生まれたときは、酒を飲んだことは無いのです。それがだんだん飲む機会を得て、いろいろ飲んでいくうちに、酒の飲み方が変わっていきます。飲み始めた当初は、世間の常識の範囲の飲み方をしていたと思います。
毎日酒を飲むのは飲みすぎでしょう。何か特段なことがあるときの夕食時に、ほどほどに飲むもので、飲み過ぎて酔っぱらうのも、よくない事と思っていたようです。
その範囲の飲み方をしていれば、周りの人に迷惑をかけることも無かったでしょうし、アルコール依存症になることも無かったと思われます。だから常識の範囲をいつしか逸脱していって、毎日二日酔いになるまで飲み続け、朝は迎え酒をし、隙あらば朝酒昼酒を飲もうとし。その挙句の果てには連続飲酒となり。朝から晩まで酒を切らすことが無くなり、職も家族も何もかも失うところまで行ってしまったのです。
朝から酒を飲むなどと言う行為は、就職するまではあり得ないことと思っていました。それが職場旅行の朝、隣に座った上司がビールをたのんだ時、「えー、朝から、飲むの?それも昨日の宴会で飲んだ酒っ気も残っているのに」そんな風に思ったものです。しかし注がれたビールはつい飲んでしまいましたし、職場旅行なんてシチュエーションでは朝酒もありうるのだと、意識が変わってしまったのでした。
それが就職して1年足らずのころのことでしたが、数年もすると、東京出張の朝の新幹線でサンドイッチとビールを供養になっていたのです。ちょっとしたことで、意識が崩れると、やがてそれは、普遍性を持って、常識の域を食いつぶしていくようです。いつしか酒に関する常識はことごとく踏みにじられて、それが朝酒に限らず量や場所なども非常識になっていてしまったのです。
酒と言うのは常識と言う抑制をマヒさせる効果を持っていますので、酔っぱらうことによって常識の範囲を越えさせる力を持っています。そして、酒そのものの誘惑が、非常識な飲み方を後押ししてもいるようです。
飲み始めたときには常識的優等飲酒人であった私はいつしか、非常識極まりない酒飲みになってしまっていたのは、最初の一歩をどこかで踏み出して踏み外してしまったことと、酒そのものの本質的恐ろしさの両方によるものだったと思うのです。