お正月はお屠蘇で祝いました | 断酒てへ日常

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断酒を続けること、そのために断酒例会に毎日出席を続ける日々

 断酒してからはご縁がないことですが、元旦の朝はまずお屠蘇で飲んで、家族で「あけましておめでとうございます」をして、それからお重に詰めたおせち料理をたべはじめます。そしてしばらくすると、お雑煮を食べましょうということになるのです。

 そのあたりで母は父にお屠蘇ではなくてお酒に変えましょうなんて言っていました。日ごろは朝から酒を飲むということは無い父でしたが、正月だけはという事でしょう「うむ」とか言って燗酒をゆっくり飲んでいたのを思い出します。

 

 子供だった私は、お屠蘇をちょっと飲ませてもらってから、雑煮を食べ始めるのですが、お屠蘇がとっても美味いものと感じていました。それで2~3杯は飲んでいたと思います。お屠蘇が甘いからか、とにかく美味しいものだと刷り込まれていたようです。

 かつては、普通のサラリーマンの父は職場の後輩?部下?を家に呼んで宴会をすることがありました多くの人が家に来てあちこちで酒を飲んでいて、そのどさくさに、私もそこで出ていた酒をすこしずつ飲ませてもらったりしました。当時の赤玉ポートワインとか甘い酒が多かったとは思うのですが、酒とは美味いものだとの意識がしっかり根付いていました。

 

 それで、大ぴらに酒が飲めるのを待っていたと思います。大学に合格した時点から、とやかく言われなくなって、機会あるごとに酒を飲むようになりました。とにかく酒は旨いものとの意識付けがされているので危機とぢて飲んでいました。そしてたまたま酒に強い体質であり、さらに酔うとさらに飲みたくなるという性癖もあったようで、すぐに大酒飲みになってしまいました。

 

 酒は美味いもの、という意識で飲んでいますから、それを薬のように、ストレスを晴らすとか、不満を忘れるとか、眠るためといった使い方はしませんでした。だから、就職して毎日大酒を飲んでいた挙句、集中力がなくなるとか、仕事への意欲が失いなどの弊害が出ても酒が悪いという見方はできませんでした。

 

 まあその結果なるべくして私はアルコール依存症になってしまったのです。そんな流れでなった依存症ですので、どこで何を心掛けたとしても、しょせんは依存症になる運命だったと思います。ですから、アルコール依存症になったことをとやかく言わずに素直に認めざるを得ませんでした。

 

 まあ素直に認めた結果、断酒はしやすかったのかもしれません。そしてなってしまったことを素直に認めそのうえで、どう生きるかに進んでいったと思います。

 

 幼少のころお屠蘇が美味いと感じた結果、アルコール依存症になった、というのもまあ真実だとは思います。


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