理不尽な思いを超える | 断酒てへ日常

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断酒を続けること、そのために断酒例会に毎日出席を続ける日々

 ある人の体験談で、しばらく断酒も続いて、飲酒欲求にも苦しめられることもなくなって、順調な断酒を続けているのだけど、悔しい思いがあるのです。自分と同程度あるいはそれ以上酒を飲んでいた人がいる。自分はアルコール依存症になったのに、その人はいまだに酒で問題を起こすこともなく酒を飲み続けている。これがなんとも悔しい・・・そんな話がありました。

 

 確かに自分が大酒を飲み続けたから、アルコール依存症になって、いろいろ失ったり、酒を我慢し続けなければならないという目にあってしまった。しかし同僚あるいはそれ以上の酒を飲んでいた人でもアルコール依存症にならなかった人もいる。これは何とも理不尽なことである。

どうにも納得がいかない。

 

 アルコール依存症が酒の結果であり、同じように酒お飲んでいた人はみんなアルコール依存症になるというなら自業自得、因果応報だと諦めることもできるのだけど、アルコール依存症にならない人もいるというのではあきらめきれないというものです。

 

 これはまあ尤もなことです。でも体質だかなんだかで、個人差ができるのでしょう。これもなってしまったことなのです。タコの理不尽さを思えば思うほど、癪に障りますそれこそ酒でも飲まにゃあ、やってられないとでも言いたいものです。

 

 でも、嘆いていてもな何にもいいことはありません。不快なことを思えば思うほど、気が滅入ってしまいます。でも滅入った気持ちのままいると鬱になるばかり、いいことは何もありません。

 何とか気持ちを切り替えるべきです。私は何か気が滅入る、鬱なことがあると、そのことが実は嫌なことではないと思い込むことにしています。

 

 この場合には、自分だけがアルコール依存症になったということで鬱になっているのです。ですから、アルコール依存症になったことが悪いことではないと、思えればいいのです。確かにアルコール依存症になった結果として面白くないこともあったわけですが、それはとりあえず置いておいて、アルコール依存症になったからよかったことだけを思い起こして、見ることにします。

 

 あるコース依存症になって、入院して苦しんだ挙句断酒をした。こんな経験は平凡な人生では体験でkない事である。言えがたい体験ができた。とか、断酒するために過去を見直した。普通に生きていたらそんなことはしない、人生を見直す機会を得たのはアルコール依存症になったからだ。とか、何とかいい面を見るようにしましょう。

 いつもそう思っていれば、アルコール依存症になってよかった、という気持ちに少しはなれて、と同じぐらい酒を飲んでいた人がアルコール依存症にならなかったのも、残念ながら、アルコール依存症になれなかった人、と見ることがちょっとはできるのではないでしょうか。

 

 人生を否定的にみると、とにかく気が滅入ることばかりです。悪いことも言い面を眺めるようにすれば、余分な不快感や鬱を背負い込まずに入れるのではないでしょうか。

 せっかく生きているのですから人生を肯定的、前向きにとtらえた方が楽しく生きていけるというものです。私は、そう生きていきたいと思っています。

 


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