断酒てへ日常

断酒てへ日常

断酒を続けること、そのために断酒例会に毎日出席を続ける日々

 私自身は断酒会のおかげで酒が止まったと思っているので、断酒するなら断酒会に入りなさい、と言いたいわけですが 断酒会やにもAAにも頼らずに、断酒ができないとは思っていません。

 

 アルコール病棟入院中のレクチャーで、医者は自助会には行った方が断酒できる可能性が高い、そう言いました。そして、自助グループに入ることを勧めていました。医者は病気から回復させることを目的としていますから、可能性が高い道を示すのは当然です。
 
 そこで私は、ちょっとでも断酒できる可能性が高いならと思って、断酒会に入ったわけです。そして現実に断酒は継続できて13年続いています。少なくとも私にとっては、断酒会を選んだことが正解だったと思うのです。しかし自助グループは人の集まりであり人づきあいが苦手な人にとっては苦痛であり、ストレスを感じるものでしょう。
 多くのアルコール依存症患者は、ストレスを紛らわすために酒を飲んでいるわけで、そのストレスが人間関係であったことも少なくないでしょう。だから、酒を止めるための自助会でストレスを感じて、それで、酒が欲しくなってしまったりしては、仕方がないです。
 という訳で、自助グループに依らず断酒しようと思う人も当然いるでしょうし、それでは断酒はできないなんて言う気もさらさらありません。断酒はあくまで、本人の意識世界が大事で、自助グループは、それをサポートするものでしかないのです。
 
 逆に自助グループに入れば、断酒できると思っている人もいたりしますが、そんな人は当然断酒できません。自分自身が、断酒しようと思い、その意志を貫きとおすために自助グループがあるにすぎないのですから。
 
 多くの人は、断酒開始からしばらくは自助グループに所属し、ある程度の期間断酒が続き目途が立ったと思ったら、会・グループを離れていきます。群がるのは嫌だけどとりあえず医者も勧めるし、自助グループのやり方に乗って断酒し、自分自身の方式を確立したら、グループを離れるということです。
 断酒初期は不安定ですし、拠り所を失っている状態なので、「みんなで断酒すれば怖くない」と言うのを選ぶのが、より望ましい方策でしょう。
 また、日常生活でも人間関係の軋轢はあるわけで、それは熟していかなければならないので、仏の社会生活に戻るための訓練としての自助グループと言うとらえ方もまたあるのではと思います。
 
 断酒と言うのは、自分をいかに律していくかにつきますし、自助グループはそれを助けるものでしかないのですから、必要な時に、それを利用して何とかなると思えば見切ればいいと思います。

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