昼頃から我が家周辺も風が吹き荒れ、

ベランダから異音がしてビビリましたあせる

 

直撃地域に

大きな被害がありませんように。

 

 

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

 

バベルの塔の神話だけれど、

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言葉が相互に通じなくなるや、
ひとつの集団だったものが
壊れてなくなってしまったわけで、

言葉が思考・精神を形作ることを思えば、
そこに集団としてのコンセンサスが
なくなってしまった、とも読める。

 

※コンセンサス=意見・感情などの一致、
大多数の一致した意見、衆意、世論

 

 

 

昨今、いろいろな方が
日本人のマナーの悪さを嘆いておられる。

海外在住の方が久々に帰国され、
日本人観光客の態度をご覧になって、
「これ、ホントに日本なの?」
と、驚かれたという記事も拝読した。

マナー違反者は
いつでもどこにでもいるけれど、
少し程度が悪くなりすぎているのは
わたしも実感で賛成できる。



言葉は常に乱れ、混じり、
変化してゆくものではあるが、

その「度の過ぎた」乱れが
日本人としてのコンセンサスを
見えにくくしているのなら、

言葉への雑な態度は
日本人の常識や美意識の乱れに
直結しているかもしれない。

 

 

 

こう見てくると、

 

ただただテストの点数を稼ぐため、

ただただネットで手早く書くため、

 

少し似通っている言葉や文字を

調べることなく混同するような、

 

 

ただただ時流に乗りたいがため、

ただただ自尊心を満たすため、


世代間、または環境による

内輪ウケの言葉で満足するような、

 

母国語すらおぼつかないのに
どこにも通じない外来語を濫用するような、

 

 

そんな言葉の使いかたの先にあるのは
日本という国の瓦解…
 

と言ったら言い過ぎだろうか。


 

 

人によっては
ここに意図的な目論見があると仰る。

社会に出れば普通に使う漢字を
わざわざ減らして、
熟語・慣用句を却って読みにくい
かな交じりにしてのけたり、

(そうそう、
人名までかな交じりにするのは
とても失礼な話だと思う。

変換しても出ないケースもあるが、
日本語として全うできないフォントは
使わないことにしたらどうだろう)

地+震がヂシンでなくジシンだとか、
治安はチアンなのに政治はセイジだとか、
わかりにくいかな書きを定めたり、

日本語をわざと混乱させているような
文科省の方針では、
そういう陰謀もあり得る気がしてくる。

 

 

 

 

ここでは言葉の話がしたいので
陰謀の有無については深入りしないが、

悪意の意図があるならもちろん、
ないと思うのなら、
むしろ余計に考える必要があると思う。

ひとつの国に対する悪意と思える状態を、
読み・聞き・書き流すことで
無意識に選択しているわたしたちのことを。

 

 

 

 

くま 基本を抜きたがるのは何故? おとめ座

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