昨日のブログ、

タイトルが決まらなくて悩みました。

 

たぶん猛暑で煮えてる上に

噛めなくてお粥ばかりの食生活なので

頭が回らなくなってきたのでしょう(苦笑)。

 

せめて涼しげな画像を☆

 

 

とっさに思いついたタイトルで上げたものの、

「無駄な横文字批判」のほうへと

印象が傾いてしまったようです。

 

一番言いたかったのは

スポーツ用語を政治ニュースに持ち出す、

それが場違いだと感じる言語感覚であって欲しい

ということ。

 

ドレスコードを意識するのと同じように。

 

 

別に、政治の話が

スポーツより高尚だとも思いません。

 

しかし、皆で楽しむスポーツの得点差と

我々の生活にも影響を及ぼす

与党総裁選の支持率を語るのとでは、

自ずと選ぶ言葉が違う。

 

着古したジャージで結婚式に出ない、

浜辺で遊ぶ格好で会社に行かないのと同様に、

それが「当たり前」であって欲しいと思います。

 

 

というところから、

 

だいたい、意味が共有できない人たちを

どうする気なの?

TVなんて幅広い人々が観るものなのに、

横文字言葉の多用は無神経すぎる。

 

おまけに、

外国へ行ったら通じない「根の無い言葉」を

どこへでも持ち出して広めるのはやめて欲しい。

 

 

…といった風に考え進めたものだったので、

タイトルかなり不適切だったなぁと反省しまして、

変更いたしましたm(_ _)m

 

 

 

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

 

さて、今日の話柄。

 

「バベルの塔」の神話は

どれほど知られているのだろう?

 

※これ、実際はピサの斜塔だそうで。

 

 

旧約聖書に出てくる、

思い上がった人間が天にも届く塔を築こうとして

神の怒りに触れ、神罰が下る話。

 

この神罰とは何だったか、ご存知だろうか。

 

わたしはかなり長いこと、

神罰で塔が破壊されたのだと思っていた。

 

 

実際には、

 

全地はひとつの言語、一式の言葉のままであった

彼らは互いにこう言い出した

さあ、我々のために大都市を、そして塔を建て、

その頂を天に届かせよう

 

(神が)人の子らの建てた都市と塔を見に下って

彼らのすべてにとって言語もただひとつである

そしてこのようなことを行い始めるのだ

 

さあ、わたしたちは下っていって

彼らの言語を混乱させ、彼らが互いの言語を

聞き分けられないようにしよう】…

(旧約聖書 創世記10~11章より抜き書き)

 

 

 

言葉の意味が共有できないことは

神罰に匹敵するのだ。

 

互いに言葉が通じなくなった民たちは

建築途中の塔はもとより、

繁栄を誇った都を失い、文化文明を失い、

流浪の民になるよりほかなかった。

 

 

 

世代間の言葉を含むギャップは

現代に始まったことではない。

 

けれど、

現代の言葉の移り変わりの速度は

少し異様だと思う。

 

祖父母が使っていた言葉、

たかが数十年前の言葉が

数百年前の古語のように

遥かなものになってしまっている。

 

 

わたしたちが

新しいバベルの民でないように。

 

せめてもの「落書き」を残しながら、

わたしは祈っている。

 

 

 

 

くま バビルの塔じゃないよ(笑) おとめ座

※画像はすべてフリー画像です。