*注意:このテキストには、映画のストーリーが含まれております。
【基本データ】
監督 相米慎二
脚本 田中陽造
原作 赤川次郎『セーラー服と機関銃』
製作 角川春樹 多賀英典 伊地智啓(プロデューサー)
出演者
薬師丸ひろ子 渡瀬恒彦 風祭ゆきえ 柄本明 三國連太郎 寺田農 佐藤充 藤原釜足 他
音楽 星勝
主題歌 薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」
撮影 仙元誠三
編集 鈴木晄
製作会社 角川春樹事務所
キティフィルム製作会社
配給 東映
公開 1981年12月19日
上映時間 112分(完璧版・131分)
製作費 1億5000万円
興行収入 47億円
配給収入 23億円
【概要】
『セーラー服と機関銃』は、81年公開の日本映画。原作は、赤川次郎の同名小説。角川映画の代表作の一つで、興行成績・評価とも大成功を収めた。
主演映画三作目となる薬師丸ひろ子の人気を決定着けた作品であるが、アイドルが出演した映画らしからぬ、斬新な撮影や演出の手法が話題になった。
星泉は、彼女を慕う三人の同級の男子校生に囲まれ、普通の日々を送っていた。ある日、唯一の肉親である父が交通事故で亡くなる。一方、老舗のヤクザ組織目高組組長が病死し、跡目として泉の父を指名する。組の若頭である佐久間は葬儀の場で泉を見かける。自宅マンションに戻った泉は、マユミという亡き父親の愛人と鉢合わせる。翌日、泉の通う高校の正門にヤクザが大挙押し寄せ、生徒や教師たちが臆する中、泉は正門に向かう。佐久間達は泉を車に乗せ、ボロボロのビルにある一室の事務所に案内する。組員は四人のみで、大勢は他の組から借りてきた人員だった。佐久間達は、決定事項として泉に四代目就任を乞うが、泉は当然の如く断ろうとする。だが、佐久間達は泉が組長にならないのであれば対立する組織に乗り込んで散り花を咲かせると言い出し、組員を死なせる訳にいかない泉は、組長を引き受ける。こうして女子高生組長・星泉が誕生する。
【論評】映画『セーラー服と機関銃』は、後にベストセラー作家となる赤川次郎の原作のおもしろさ、当時32歳で監督二作目の相米慎二の斬新な演出、プロデュースを務めた伊地知啓のひとかたならぬ情熱、そして薬師丸ひろ子や渡瀬恒彦等の俳優陣の魅力が作り上げた、娯楽活劇・アートフィルムの傑作である。私はこの映画を振り返り、その魅力を紐解くのに、二つの点に注目した。一つは、キティフィルムと角川映画という異なった映画会社が、如何にして利害や主張が衝突しやすい共同制作を成し遂げたかという点である。もう一つは、人気がブレイクしつつある薬師丸ひろ子を主演に迎え、本来アイドル映画となって当然の作品を、どの様にして相米が斬新なアートフィルムに仕上げたかという点である。◆角川映画とキティフィルムが共同制作へ原作者の赤川次郎は、78年に三毛猫ホームズシリーズの第一作がヒットし、多忙になったこともあり、サラリーマンを辞め作家に専念して初めて執筆したのが『セーラー服と機関銃』であった。作品は、団塊の世代であった赤川が、時に心情に虚無感を伴う様な同世代の大人に向けてメッセージの意味があった。そして、自身の思いを主人公の女子高生に込めて、身勝手な大人社会に向かって怒りを放つ物語として執筆したものである。執筆をした当初、薬師丸主演で映像化のプランはあったのだが、当時中学三年生の薬師丸では、高校生の星泉を演じるの無理と判断され中止になっていた。赤川は執筆時から、映像化されるなら演じるのは薬師丸と思っていたことを後に話している。映画化は相米自らが企画をしたもので、キティフィルムのプロデューサーの伊地智啓に、女優さえ見つかれば映画化できると売り込んでいた。その後、伊地知プロデュース、相米が監督の『翔んだカップル』が完成したころ、伊地知は自分の娘から赤川次郎の小説『セーラー服と機関銃』が面白いと教えられた。赤川の住まいが同じ団地だったこともあり、赤川宅に映画化の相談に訪れ、二人は意気投合し映画化は前へ進みだす。伊地智啓は、キティフィルム社長の多賀英典に、薬師丸ひろ子のの次回作にと『セーラー服と機関銃』の企画を持ち込み、脚本の制作が始まる。さらに、伊地智は薬師丸を使うため、所属する角川春樹事務所に出演交渉を行うが、角川は自社の専属女優の他社映画への出演を一度は断る。そこで、伊地智は相米を経由し、薬師丸に脚本を渡し読ませた。薬師丸は面白さが際立っていた台本をいたく気に入り、自ら角川春樹を説得する。原作は主婦と生活社から出ており、他社の作品を映画化することに角川は難色を示すが、「赤川次郎は必ず当たる作家になる」 という伊地知の言葉に、文庫版を角川から出すことになり話はまとまる。文庫化された『セーラー服と機関銃』は約二ヶ月で100万部を突破し、赤川にとって初のミリオンセラーになっている。こうして、キティフィルムと角川春樹事務所が提携して映画を製作することになったのであるが、伊地智は本音を言えば単独で制作をしたかった。交渉の結果、製作はキティ宣伝は角川が担当するということになり、角川側は資金を半分出しているだけで、映画の製作や作品について、その後一切の注文をつけなかったのである。一方の角川は、配給の問題を考慮していた。薬師丸の前作は東宝配給の『ねらわれた学園』だった。東宝は『ブルージーンズメモリー』と『ねらわれた学園』のニ本立てのヒットに気をよくしていて、正月映画もたのきんトリオと薬師丸のカップリングを企画していた。しかし、『ブルージーンズメモリー 』のみで興行を行ったり、宣伝費が『ブルージーンズメモリー』の方に格段に掛けられるなど、不等な扱いに立腹した角川春樹事務所は、次作の『セーラー服と機関銃』の配給を東宝から東映に変更したのだ。東宝は、老舗であり大手の映画会社というだけでなく、立地的に優位な映画館を多く所有しており、人気のジャニーズ映画の併映という恵まれた条件を角川が蹴ったことに対して、大方の映画関係者は無謀だと感じていた。
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