◆画期的アートフィルムの誕生へ
・脚本家の田中陽造
脚本は田中陽造が担当したが、「『ツィゴイネルワイゼン』・『陽炎座』の後だったので、楽しんでやれた仕事だ」とインタビューで語っている。
『陽炎座』は泉鏡花の原作、『ツィゴイネルワイゼン』は田中のオリジナルの脚本だが、ともに鈴木清順が監督の幽遠な映像美の前衛的な映画である。
田中が当時若手だった相米の実力や可能性に関して、どの様な思いを持っていたかに関しては、特に発言が見つからず分からない。しかし、相米がこの映画で作り上げた映像がおりなすリアルとファンタジーがクロスした独特のタッチは、作品のトーンの全体を占めており、それが田中の脚本がベースになっていることは間違いないだろう。
・斬新なヒロイン像
タイトルがタイトルだけに、主人公の星泉の衣装であるセーラー服は重要なアイテムだった。しかし、何度も衣装合わせをしたが監督の気に入ったものがなかった。そんな時、薬師丸が学校のセーラー制服を着たまま撮影所に行くと、その姿を見た監督がすぐに気に入り採用となった。撮影の経費で学校の制服を新調してもらった薬師丸は、素直に嬉しかっそうで、映画公開後も、そのセーラー服で山手線に乗り通学していたという。
また、薬師丸は前作でカールのかかった愛らしいセミロングだったヘアスタイルを、今作では役柄にあわせ、ベリーショートに近いほど短くカットしている。前作とは、ヒロイン像も大きく異なっているが、映画女優とは言え薬師丸はティーンのアイドルでもある。髪の毛をバッサリ切るのは、女優・監督ともかなりの思い切りであろう。
なお、ロケ現場に関しては、薬師丸が都立高校に通っていたことを考慮し、新宿周辺をメインに撮影されている。
映画のオープニング、薬師丸の初登場シーンは、ロングショットでブリッジをしていて、カメラが寄ると顔がセーラー服のリボンで隠れるというものだった。当時の薬師丸は、鮮烈なデビューから話題作に続けて主演している女優である。作品がアイドル映画などでなく、展開が当たり前でないことを予見させるシーンだ。
脚本を担当した田中が狙ったのは、インタビューから察するに、少女が世の中に踏み出す一ヶ月間での、ヤクザなどの裏社会の人間との異なる世界観のズレからくる、シュールなナンセンスやユーモアであろう。
星泉が父の恋仲だったというマユミの過去を尋ねる時、体を売っていたことを言い淀んだり、マユミと佐久間の情事を目の当たりするなど、高校二年生だった薬師丸が演じるには、かなりきわどいシーンが用意されている。さらに、ヤクザの親分のところへ一人泉が乗り込むと、怪しげな薬入りの酒を飲まされ(女子高生とヤクザの交遊を描いたということで、生徒に鑑賞を禁じた高校もあった)、危うく強姦されそうになるシーン(初上演時にはカットされた)や、クレーンで吊されセメントの汚水に頭まで浸かるシーンなどを薬師丸は体当たりで演じている。
そして、組長を慕い守り抜く若頭の佐久間と三人の組員と泉のやりとりは、作品にシュールさと優しさをユーモアを与えている。ストイックで強いのは佐久間だけで、後の三人は個性的でユーモラスに描かれているのがミソだろう。
作中のシーンに目を向けよう。組員のバイクに後ろに泉が乗って先導し暴走族と夜の街を疾走するシーンなど、撮影方法は後に記すが、ベタな青春映画になりかねないシーンなのだが、それが漫画チックかつ生々しいのだ。
泉のことが好きな組員が怪我を手当してもらい、思わず泉を押し倒してしまうシーンは原作にもあるが、その時の組員の台詞は、「お母ちゃんみたいだ、いい匂い」である。それを受け入れた泉の答えは、「私、何も付けていないわよ」なのだ。初々しさと生々しさ、ボーイッシュと母性が同居するシーンである。
ドラマのラストで薬師丸と石渡が触れ合うシーンも、思い切った薬師丸の演技が観られる。
印象的なシーンが飽きせずに現れる映画であるが、演じ切った薬師丸は女優として、演じさせた相米は映像作家として、いよいよ旬な時であり、そのパワーが相まって、ミラクルを起こした作品だったと思う。
・相米慎二が選んだ撮影法
オープニングのロングショットの他、映画は長回しやゲリラ撮影など、リアリティーや生々しさを表現する撮影法が多用されている。
原作者の赤川も試写を観て驚いたそうだが、劇中薬師丸の顔がアップされるシーンはかなり少ない。ロングショットが多用されており、ぼんやりとして詳細は見えなかったり後ろを向いているシーンも多い。また、登場人物がハッキリ写っていなくても、セリフは明瞭に聴こえるシーンもあり、当然観る側はストレンジな感覚を覚える。
さらに、手法のみならず、相米を初めとするスタッフや出演者の熱意がリミットを超えたと思わせる撮影による映像が随所に見受けられる。相米の思惑さえ超えていたかもしれない、例をいくつか上げてみよう。
大きな地蔵菩薩の懐に薬師丸がちょこんと座っているシーンがある。薬師丸が菩薩像を離れ歩き出すと、キャメラはレールの上を移動し、さらにリアカーに乗り換え、大通りでは軽トラックに乗り、ワンシーン・ワンカットを完成させているのだ。
新宿通りを組員が薬師丸をバイクに乗せ暴走するシーンは、本物の暴走族が参加しての一発撮りで行われている。その為、周辺住民から騒音の苦情が出てしまい、スタッフニ名が警察の事情聴取を受けたそうだ。
ハイライトとなる、ラストのバトル。泉が機関銃を乱射し、流行語になった台詞のシーンである。CMやポスターにもなったのだが、じつは、薬師丸が負傷するというアクシデントが起こっている。破裂して飛び散ったダンヒルのビンの破片(アメで出来ている)が薬師丸の鼻の脇の頬の部分に当たり、傷を負ったのだ。本人はこの負傷に気づかなかったが、横に立っていた渡瀬恒彦はすぐに気づき、薬師丸をかばうような演技とも素ともつかない様子がそのまま残こされている。
この時は、主要スタッフが三者三様の対応を見せている。相米は共演者が薬師丸の出血にあたふたする中、撮影を続行した。撮影監督の仙元誠三は、薬師丸の怪我を心配しつつも、アクシデントから凄い映像が撮れたことに喜びを感じていた。当時、相米のもと助監督をしていた黒沢清は、薬師丸の足下が安全ラインを超えたことに気付いたが、OKテイクになりそうなのであえて止めなかったが、後に反省の弁を述べている。
結果としては、薬師丸の怪我は大事に至らず、偶然のアクシデントにより名シーンが生まれたのである。
そして、薬師丸が歌う主題歌とエンドロールの流れる映画のラストシーンである。伊勢丹新宿店前の新宿通り、夕刻の歩行者天国をセーラー服に赤い口紅・赤いハイヒールという出立ちで混雑の中をぶらぶら歩く薬師丸。マリリン・モンロー風に地下鉄通風口からの風でスカートをひらめかせる(下着が見えない様に細工はしてある様だ)。薬師丸は、羞恥心で役になりきれず(日常の人波の中での演技のせいか、スカートひらめきの為か?)、相米のOKはなかなかでなかった。しかし、すでに有名タレントであった薬師丸が目立つ出立ちであったのに、気付いた人はほんの数名だったという。彼女の人波への溶け込むオーラのなさは、やはり天性のものであろう。
この時は、数百メートル離れた新宿東映会館屋上から500mmの望遠レンズを用いて隠し撮りされていた。薬師丸と絡む二人の子供以外は(その子供と薬師丸の自然な演技も素晴らしい)、すべてたまたま居合わせた一般の人々である。ここで、薬師丸の歌うテーマ曲が流れるのだが、セミドキュメントと言える撮影でもあり、ヒロインの星泉とアイドルだった薬師丸がオーバーラップするラストシーンとなっている。
◆主題歌について
映画に関して何も注文をつけなかった角川春樹が、唯一クレームをつけたのが、キティ・レコードが用意していた来生たかおが書いた曲である。「この主題歌は俺が聴いたなかで最低だよ」とまで言ったらしい。
来生は、映画主題歌の候補に三曲用意していたが、伊地知が選んだのは、一番自信のなかった「夢の途中」であった。
決定後にレコーディングも行われていた。
しかし、相米がエンディングのイメージから薬師丸本人に歌わせるとキティレコード社長の多賀英典に言い出した。来生は、歌手としては降ろされることになった。その件を作詞者であり来生の姉の来生えつこが激怒し、キティレコードからCBSソニーに移籍する寸前までいったが、多賀が「両方ともヒットさせる」と来生のシングル発売とプロモートを約束し、えつこを説得した。
相米は、薬師丸に歌ってもらいカセットテープに録音した。試聴したスタッフは皆、薬師丸の歌唱力を認め、角川に内密でレコーディングが行われリリースが決定し、歌手デビューの運びとなった。
来生は、本人が歌うために作った曲でなかく、アイドルには歌唱は難しいと思っていたが、薬師丸の歌を聴くと音程がしっかり取れており、音楽をやっていた人なのだと感じたという。
当時の薬師丸の歌唱力は技術で言えば、プロのシンガーに比べれば当然稚拙であろうが、独特の澄んだ声はまれな魅力を持っていた。また、曲はもともと来生が自分で歌うために書いており、サビに至って初めて人称が男性と分かる。そこから何度もサビを繰り返すのだが、これが薬師丸のボーイッシュな魅力と相まる。来生の独特の詞の世界を薬師丸が歌い、映画のストーリーとエンディングで重なり合う。
また、アイドル特有のビブラートをかけず、素人でも無意識に利かせてしまうこぶしがない。歌う姿勢も、ほぼ直立した状態で振付はなかった。おそらくは、意識してのパフォーマンスでなはいと思われるが、それらはアイドルを含む以前の歌手にはないものだった。
角川が試写を観てのただ一つの注文は、主題歌のタイトルは、映画と同じ『セーラー服と機関銃』にしろということだった。
来生の『夢の途中』と薬師丸の『セーラー服と機関銃』は、同時期にリリースされ、ともにロングヒットとなり、合わせての売上枚数は、200万枚を超えている。
来生は、まだ歌手としては無名であり、薬師丸は新人である。多賀の取ったセールス手法は英断だったと言えるだろう。
シングル『セーラー服と機関銃』の売上は、年間で二位となり、女性アイドルとして最高位だった。
◆作品完成後の狂想曲
1981年11月29日に新宿アルタ前で行われた映画宣伝イベント"ひろ子DEデート"が行われた。これには一万五千の人が集まり、この種のイベントの新記録を樹立した。新宿アルタ前のイベントとしても異例の動員数で、なにぶん都心の駅前の野外イベントである。機動隊も出動も招くことになり、イベント後、東映宣伝部は新宿警察署から呼び出され厳しく絞られている。
封切り当初、東映宣伝部は五週間で配給収入12億円と予想したが、それさえ大風呂敷と思われていたが、最終的に東映の歴代記録となる配給収入23億円を達成した。
公開ニ日目の12月20日、大阪・梅田東映ほかでの舞台挨拶を予定していたが、徹夜組を含めた約8,000人のファンが上映三館に殺到、放水車を伴う機動隊が出動、舞台挨拶も上映も中止に。翌日のスポーツ新聞のみならず、一般新聞の社会面トップ記事にもなっている。お固いイメージの朝日新聞の一面には「機動隊と機関銃」という見出しの記事が載っている。
さらに、舞台挨拶を見られなかったファンが薬師丸を追って大阪空港へ殺到し、空港もパニックになる。空港を回避し新大阪駅に向かったが、そこにもファンがいて、結局、名古屋までタクシー移動し東京に戻った。その後、薬師丸が大阪を訪問するには、何年かの間、警察の許可が必要となってしまった。
映画館でも異例の動員は続き、連日の満員御礼で、当時は入れ替え制ではなかったので、映画を初回から繰り返し観る観客が続出し、結果席が空かずに立ち見客があふれてしまい、スクリーン前に体育座りで鑑賞する人もいた。
さらに、満員の為、映画館の扉が閉まらなくなり、満員電車の様に壁に寄りかかる隙間がなく、通路の床に二列縦隊で座り込む観客という光景も見られた。
また、大半の観客がパンフレットを買い求めるというのも異例のことで、劇場の在庫がなくなり、ファンの強い要望に押され、後日映画館に来てもらい、領収書とパンフレットを交換するという苦肉の策が講じられた。
1982年7月10日には、「完璧版」と称される長尺版がTCC系で公開されている。当初、編集が完了した時点で作品は131分という長さだった。初公開された版は、二本立ての関係で13シーンがカットされ112分だった。カットされたシーンの中には、星泉がヤクザの親分の家に乗り込んで、犯されそうになったり暴行を受けるシーンがあった。それを雑誌に載ったシナリオを読んだファンが気付き、「早く完全な形でもう一度上映して欲しい」という要望が東映に殺到した。大学受験の為、休業中の薬師丸へのファンの渇望の大きさを考え、夏休みに合わせ公開することが決まる。薬師丸も体当たりで演じたシーンだったため復活を喜んで、公開初日には薬師丸が新宿東映会館に姿を見せ、報道陣のインタビューを受けるというサプライズもあった。
◆アイドル同士の代理戦争
『セーラー服と機関銃』の公開時の観客は、中高生がメインで男女半々くらいだったという。ここで、当時の薬師丸の人気の内実が分かる。同世代からの支持を受ける等身大のスーパーヒロイン。そういったところではないか。
当時は、アイドルとは異性にアピールする為に存在していて、ファンの男女比が同等というのは珍しかったはずだ。やはり、男女同等にファンにアピールした安室奈美恵やSMAPの登場は、10年以上後となる。
そして、ジャニーズも絡んだ因縁の正月映画対決の結末はどうなったのか。東宝の『グッドラックLOVE』は、東宝会長も務めた田中友幸とジャニーズの御大ジャニー喜多川が自らプロデューサーを務めており、当時人気最高だったたのきんトリオが主演していた。結果は都立高校の二年生だった薬師丸がジャニーズの人気者を大きく水を空けて打ち負かした。
東宝との因縁は、作品内にも表れている。ラストの殴り込みのシーンで、ホームシアターで写されていたのは、美空ひばりと江利チエミ主演の時代劇ミュージカル『ひばり・チエミの弥次喜多道中(62年)』である。映っている出演者から推測し、『浪人八景(58年)』か『浪人市場 朝やけ天狗(60)』という説もあるが、相米自体がタイトルを知っておらず、真偽は謎のままとなっている。
当初は、東宝のミュージカル映画『ああ爆弾』を使いたかったのだが、東宝に「東映の映画には貸せない」と断られた経緯があったのだ。
難航もともない策略も相まった、角川とキティの合作だったが、結果として傑作となるアートフィルムを残し、社会現象となる映画と薬師丸ひろ子の一大ブームを巻き起こし、評価・収益とも大成功を収めた。波及は角川映画のビジネスモデルにも及び、映画による話題作りと文庫本の販売拡大を狙った映画制作から、専属女優のイメージとタレント性を強く売り出し、ファンの拡大を狙った方向へとシフトチェンジすることになる。


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