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カーヴ・ドランジュ たかお社長のブログ

ワインショップを経営する日々のよしなし事、酒を飲みながら思うこと、だらだらと書き連ねております。

One purpose Doshisha, thy neme, Doth signify one lofty aim, to train thy sons in heart and hand


To live for God and native land.


Dear Alma Mater, sons of thine, shall be as branches to the vine,


Tho' through the world we wander far and wide.


Still in our hearts thy precepts shall abide!




我が母校、同志社のカレッジソングっつうやつです。


学生の頃には全く見向きもしなかったのに、この年になるとこのカレソンを聞くとじーんとくるのです。




昨日のこと。


娘が同志社の系列校に行ってて、しかも聖歌隊なんかに入ってるもんで、その発表会というかコンサートに行ってきました。


正直なところ、朝5時半まで飲んでたんでかなりきつかったのですが、そこは気合で今出川へ。


そもそも出町柳で降りて大文字山をバックに学校まで歩いてる時点でちょいとじーんときてるのですが、コンサートの最初にこのカレソン。しかも自分の娘が歌ってるというのになんだか感動してウルウルきてしまいました。


20年の時を越えて、娘が自分と同じ校歌を歌ってるのを見るのはなかなかに感動的。


コンサート終了後も、しばし大学を散策。

クラーク記念館や明徳館などなど見てると、あぁここでサークルのみんなと一緒に写真撮ったなぁとか、M地下の食堂では何時間もアホな話してたよなぁとか、すべてが懐かしく思い出される。みんなどうしてんのかな、会いたいな。

帰りはすぐ前の御所にも行ってみた。

ここも、暇つぶしによくキャッチボールしてた御所内のグラウンドやイギリス人の先生と座り込んで話した芝生、、、学生時代を京都で過ごせたのはすごくよかったと思う。


また今出川通りに戻って出町柳までカレソンを口ずさみながら帰った。


しばらくは、鼻歌でカレソンを口ずさむのは止めれそうにない。



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クラーク記念館・・・改装してちょっときれいになってるね。

毎日見てる時は何とも思わないのに、壁までなぜてしまった!




前回のブログで、あいや待たれいと書いてたが、これはなんぞや聞いたことあるでと考えてたら思い出した、昔南区と東区が合併して中央区に成る時に反対運動がおきておって、その標語が『ちょっと待たれい、わてらのミナミ』だった。

『わてら』って…。
自分の事をわてって云う人は、わての周りにはいてまへん。
『わし』でもほとんどおらんのじゃなかろか。よく清原が『わしが…』って話してる風にスポーツ新聞に書かれるけど、たぶん本人はわしなんて言わんやろね。
最近はお笑い芸人の影響か、大阪弁がかなりデフォルメされてるよねー。ガサツで乱暴な言い回しが大阪弁みたいに言われるのは腹立たしい。
本来の大阪弁はおっとりした柔らかい言葉やのに。
桂米朝師匠みたいなのが正統派の大阪弁やね。
大阪の中心部出身の僕からすると、全部一緒くたにされてるけど、河内やら泉州の言葉は違うんよねー。ごめんねーこの辺の出身の方々。
『河内のオッサンの唄』ってのがあったけど、ちょっと茶化す対象みたいなイメージやんけワレ、ちゃうんけワレ。
ま、他の地方の人にはこの辺の差はわかってもらいにくいだろうけど、東京でもいわゆる山の手と下町では全然言葉遣いが違うのと同じやね。

今の大阪弁における一人称は、男はほとんど僕とか俺になってしまってるやないかな。女性では、『うち』っていう人はまだ多いかな。うちの娘も自分の事を『うち』って言ってて、東京出身の奥様の怒りをかってる。
二人称はまだ『じぶん』って言ったりするね。じぶん、どこ出身?とかって。

古き良き大阪弁を守ろうとは思うけど、『わて』はないな、さすがに。『わてらのミナミ』って言われても、あんまり共感できまへん。でも当時は心斎橋とかにデカデカとこのポスターが貼ってあったわ。
そら、反対運動も失敗するわな。

昨日、風邪気味で体調がすぐれなかったので早めに帰ろうと思ってバスに乗ってたら、進行方向に一列に並んでる席だったんだけど、すぐ前に座ってる女性の後ろ姿がなかなかに素敵なご様子で、例えて言うなら佐々木希が座ってるかのようなふんわりカールした髪が魅力的な感じだったのであります。

しかし自分も座ってる都合上、わざわざ立ち上がって顔を覗き込むようなハシタナイ事は育ちが良い僕はできないのであって、見たい、いや見ない方がいいのか、でも見たい、窓の外をぼんやり眺める斜め後ろ30度くらいの急角度でしか見えない横後ろ顔を眺めてみれば、これまた素敵にカールした長い睫毛が素敵ですわよ。

あいや待たれい、今までの経験上、後ろ姿の素敵なのに惹かれて顔を覗き込んでみれば、なんだよガッカリふざけんなと何の罪もない彼女たちに罵詈雑言心の中で投げつけた経験の方が多いこと、おじさん知ってます。

ここは待て。後姿を凝視しつつ、佐々木希がそこに座っているかのごとき妄想を悶々と膨らませ、想像力だけでバスに乗ってる15分を楽しく過ごすのが分別あるオトナというものであろう。

そうしてワタクシの降りるバス停が近づく、しかしこの大人の制御された分別あるワタクシは微妙に見えそで見えない角度で隣をすり抜けバスを、そして幸福な時間を去るのであった。

これぞ正しき人生の楽しみ方である。妄想万歳。