先日、纏向遺跡で邪馬台国時代の大型の建物跡が見つかったそうな。
これは古代史ファンとしてコメントしておかねばなりませぬ。
この遺跡が見つかったからって邪馬台国が大和にあったという決定的な証拠ではないので断定はできない。できないが!もはや、ノーアウト満塁である。内野安打でも決勝点が入る。
この期に及んで九州説を唱えている人達は、もはやあはれですらある。
これだけの考古学的資料が出てきてるのに。意地になってるとしか思えない。
そもそも邪馬台国は(やまたいこく)ではなく(やまとこく)と読むべきだったのだ。
だって卑弥呼の後継者である台与は(とよ)って読むんですよ。おかしいでしょ。(もちろん原文では「臺与」で「邪馬臺国」という字ですが)
以前日曜日に子供たちを連れて桜井市まで行って纏向遺跡や箸墓古墳などを見てきた。
これが卑弥呼のお墓やでぇ・・・と断定して教えておいた。
長女はもう6年生なので、「九州説もあるんでしょ?」とか聞いてきたが、「誰や、そんなあほな事言うてんのは。ありえへん。」と言下に否定しときました。お父さんが正しかったことがもうすぐ証明されるよ。
もっと調査が進んで邪馬台国と初期ヤマト政権の関係や成り立ちが解明されることを望んでいます。
もはや邪馬台国がどこかなんて魏志倭人伝を重箱の隅をつつくような事してないで、邪馬台国とはそもそも何だったのか、そのままヤマト政権に繋がるのか否か、詳しい調査をしてほしいですね。
それには、もうちょっと研究・調査が必要やね。宮内庁管轄になってる王墓の調査をさせてくれたら一気に進むのに。科学的な調査なんだから。
わからないからロマン・・・ではなく、解ったからロマンなんだと言いたいですね。