前橋城(2013年冬) | キャバリア マリーとララ ララとルル ルルとリラ

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とうちゃんのロードバイク走行記録を中心にしたブログです。

前橋に私用があり、どうせ行くならと車ではなくロードバイクで行ってきました。

私用が済んだ後は前橋城の遺構を巡るため群馬県庁へ向かい最初に足を止めたのがここ。
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この階段を上ると明治41年に建てられた「前橋城址之碑」があります。
漢文なのでとうちゃんにはさっぱり読めませんでした。
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碑の後ろは立派な土塁が残っています。
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前橋はその前は厩橋と呼ばれ前橋城は当初厩橋城と呼ばれていました。
前橋城の起源は、15世紀末に長野氏の拠点であった箕輪城の支城として築かれた
石倉城が始まりで1534年の利根川の氾濫で本丸、二の丸が崩壊して残った三の丸を
基に再築した城が厩橋城と呼ばれるようになったそうです。

厩橋城は戦国時代は上杉、武田、北条の間で攻防が繰り返され武田の滅亡により
織田信長の支配下になるも信長の急死により北条の手中に帰し、その北条も
豊臣秀吉の小田原征伐により落城となり、その後は徳川家康の配下となりました。

関ヶ原の戦いの後、城の大改修が行われ3層3階の天守も造営され厩橋の地名は
前橋と改められたのに伴い厩橋城も前橋城となりました。
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その前橋城も1767年の利根川の浸食を受け本丸が崩壊の危機にさらされましたが
藩主に修築の財力が無く前橋藩は川越藩の分領となり藩は廃藩、城は破却されました。
前橋城のあった所は今は利根川が流れているそうです。
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領主が川越に移ると前橋領は荒廃したため領民による前橋城再建・領主帰城の請願が
続けられ、その願いは廃城となって100年後の1867年にかないました。
再築された前橋城の見取り図。
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しかし、半年後に大政奉還となり明治維新を経て明治4年(1871年)には
廃藩置県で城郭は廃されました。
再建したもののわずか4年ばかりで廃城とは ・・・

建築物の遺構として総社町に城門は移築されて現存するようですが今回は行けず。
また、車橋門跡の石垣が県庁の近くにあるとのことで探しまわったのですが
見つけることができませんでした。

なので本日の前橋城の遺構巡りは土塁ばかりとなりました。
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前橋地方合同庁舎の建築前の発掘調査が行われていたので少し見物しましたが
石ころばかりですぐに飽きました。
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車橋門跡の石垣はこのすぐ近くにあるようで注意が足りませんでした。
桜が咲いた頃に出直してみましょう。

帰宅したのはちょうどおやつの時間。
マリララ、俄然張り切ります。
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マリー、鉄と骨どっちがいい?
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迷ったマリー ・・・ 鉄。
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やっぱり骨。
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ララは鉄でした。
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ララは待つことができます。
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が、マリーはパックンチョ!!
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