「12人の怒れる男たち」を観る


 アマゾンプライムビデオの会員になってずいぶんになります。最初は、色々買い込む商品の割引率とポイント付与の割合が良く、送料の割引、配達までの期間が短いことからプライム会員になり、もっぱら購入の点での特典であったのだけど、その内、bびでおてーぷやDVDを無料で観ることができることが分かってきました。
 そこで観に立ち寄るようになったのが、黒沢明監督の一連の作品です。「七人の侍」「生きる」「天国と地獄」「影武者」「用心棒」「どですかでん」などを短期間に観ることができ、レビューを用意しましたが、書き終わる前に次の作品を観てしまうので、宿題がたまってしまったような状態になってしまいました。各作品のレビューと共に「黒澤作品」についてのレビューも書こうと思ってしまうので、なかなか書けなおです。
 そうこうしている内に、「ゴジラマイナス1.0」を書こうと思い、どうせなら、「シン・ゴジラ」「第一作ゴジラ」も観賞し直そうと思って、これらを観て、共通テーマでの自動検索で、「フクシマ・フィフティーズ」(原作、「死の淵を見た男たち」)が選ばれ、これで、放射能問題、原爆問題に飛ぶこととなり、「空母いぶき」「ミッドウエー」「トラトラトラ」という具合に飛び、「トップガン」にたどり着き、「ライト・スタッフ」と「海賊とよばれた男」に立ち至るので、Amazon・プライムのAIの性能には、陰りがありそうです。

 「シン・ゴジラ」は、「ゴジラマイナス1.0」のサイドストーリーで記載しました。昨日、昨日から放映開始した「ゲゲゲの鬼太郎」の誕生物語をこれについてのレブーを書こうと思っていたた、Amazonから明日、「ゴジラマイナス1.0」のDVDとBlu-rayの発売開始とのメールが来て、今日のお昼までに予約すれば、明日到着便で手に入れることが可能という事態になりましたね。
 
 で、今日は、レビューを書こうという気にならないような映画を観ようと思っていたのですが、選んでしまったのは、ヘンリー=フォンダ主演の「12人の怒れる男たち」〜刑事陪審制度を扱った傑作映画で、高校の時に見て感心し、刑事弁護士を目指した司法試験修習中に観て、決意を新たにし、弁護士になってから、所属事務所の創設者鈴木信雄先生の「もらい子雑人陪審事件〜静岡県陪審裁判第一号」を執筆した際に最高までに見て、2003年にイタリアで当事者主義訴訟構造での陪審員裁判制度〜裁判員裁判制度〜と、被害者参加制度、刑事事件に於ける損害賠償請求制度の統一的報告をする際に参考に観賞しているので、僕はこの映画を生涯に5回以上見ていることになるのだけれど、それを、何の脈絡もないのに、この作品を選択したのは、どういうことだろうか?  

 ここまでが長くなったので、作品のレビューは、「宿題」にします。

 映画の映像を、紹介します。冒頭の場面で現れる「被告人」らしき少年の運命が、どのように変転するかきになりますが。こ「少年」の結末は、少年からは語られ直野が、この映画の不思議なところですね。

 

 

 

          

 

 

          

 

 

         

 

 

         

 

 

 

         

 

 

         

 

 

         

 

          「被告人」の少年。彼の運命が。この映画で語られるのに、彼は、冒頭の結審後、陪審員が、陪審室に退室する際に陪審員の1人と目が合い、一瞬のあいだに訴える表情と、「分かったよ」という表情が交錯するが、それは、「そのように見えたかも知れない」という程度の絶妙な間であり、この表情以外少年の出番がないというのがこの映画のスタンスを示している。ここまで、「陪審員」の論議に信頼を寄せきれるか・・・・この作品製作の1960年代と現代では大きく異なっているであろう。