今日は再び「掘り鉄」ですが、今回は本当の「お宝発見」です。
YT先輩を通して知り合いになった「KNさん」
先日【YT先輩ライブラリー】で紹介した、C11三重連を含めた会津のC11現役時代を8ミリで撮影された方です。
最近は撮影にご一緒する機会も多くなり、お話しする事も増えました。7月29日の真岡鉄道夜汽車&花火の際、響鉄さんと同行しましたが、その際も現地でお会いし、「櫻桜鉄鐡さん」共々お話ししたのが「KNさん」でした。
「KNさん」は私より3歳年上の昭和27年生まれ。お住まいは福島県南相馬市小高区です。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、小高は東日本大震災に伴う東電原発事故で避難区域となった地で「KNさん」も避難を余儀なくされました。
その小高も震災から5年経った昨年7月1日に一部を除き避難指示解除になりました。「KNさん」は65歳を区切りに仕事も辞められて、小高に戻られる事となりました。
これを機会に家を新築、今までの旧家に残されたものを処分する事になったそうです。残された物の中でも特に目立ったのは膨大な量のSL写真との事でした。
KNさんによりますと、高校生だった1969年(昭和44年)頃からSLに興味を持ち出したそうです。1970年(昭和46年)から早朝に駅に行って新聞を荷受けするアルバイト。毎日新聞を運んでくるSLを見る事で好きになり、アルバイトでためた金を資金源に日本各地に撮影に行くようになったとの事でした。
その当時は日本全国でSLが最後の活躍をしている頃で、撮影された写真はどれもが惚れ惚れするようなものばかり。写真一つ一つに目が釘付けになってしまいました。
紹介しきれない程の量ですが、その中には
「C62重連ニセコ」「宗谷本線塩狩峠のC55」「奥羽本線矢立峠の三重連」「花輪線8620三重連」「常磐線の8620、C50、C571」「糸崎のC62安芸」「奥羽本線のD511、C6120、C612」「会津のC11」「米坂線の9600」「五能線の8620」「八高線のD51」……ここにあげただけでもほんの一部です。
まさに宝の山です。KNさんは「いらないので処分する」と。
その話をYT先輩から聞き、“なんとももったいない”と思いました。
これを機会に、私がそれらの写真をお預かりし、cavacho☆彡のブログで紹介する事をお話ししたところ快諾をいただきました。
本日新たな書庫【KNさんライブラリー】を立ち上げました。膨大な量の写真を整理しながら皆様に紹介すべく「掘り鉄」を進めていく事にしました。
栄えある第1回の報告は、YT先輩が函館本線で「C623ニセコ」を撮影するなんと22年前の1971年(昭和46年)に函館本線で撮影された「C62急行ニセコ」です。
1971年8月5日仙台0:42発の「急行八甲田」で青森へ。青函連絡船で函館から長万部に行って撮影を開始したとの事でした。
※日立→小樽築港の乗車券。

北海道行の2日目に撮った重連の写真から紹介。
1、小樽を発車、峠へ挑む「C62重連・急行ニセコ」小樽~塩谷 1971.08.07

高校生だった私が、見たくても見れなかったC62重連。感激の1枚です。
この当時の有名撮影地小樽~塩谷間での撮影です。
2、上の写真の一つ前の様子。編成が綺麗に入っています。

この頃は優秀な機関助士は煙を出さないと言われた時代。こんな煙は普通です。
3、C622とKNさん。長万部にて 1971.08.06

北海道遠征の最初の撮影は「長万部」だったそうです。
この当時は国鉄もおおらかで、機関区内にある意味自由に入れてくれました。cavacho☆彡も機関区内で撮影したことがありました。
KNさんは今と容姿は全然違うものの、流石にボカシナシは迷惑がかかるかと…。
あまり崩さない形でボカシを入れてみました
4、大迫力のC622。長万部にて。 1971.08.06。

5、C623牽引 104レ「急行ニセコ」 長万部発車。

6、小樽からの重連は長万部まで、長万部からは単機で函館を目指します。

非電化区間特有のすっきりした駅構内が広がります。
C62ニセコ最後の年はC62三重連が運転されました。
※KNさんの撮影ではありませんが、同じ高校の鉄仲間からいただいたとの事です。
参1、C62三重連 104レ「ニセコ1号」 小沢~倶知安。 1971.07.18

7、長万部駅のC6215 1971.08.06。

KNさんはこのC6215の糸崎時代の写真もお持ちでした。糸崎から小樽築港へ転属しています。
1970年にも函館線へニセコ撮影に行ったようです。
8、C62重連「ニセコ3号」二股→蕨岱 1970.10.08。

C62ニセコが運行を終えるほぼ1年前ですね。
【KNライブラリー1】は以上です。
膨大な量の「掘り鉄」素材は「YT先輩」の分も含め気が遠くなるほどの量があります。
今後の中で整理しながら報告してまいりますので、末永くお付き合いいただければ幸いです。