先日真岡鉄道に行って、川俣線ゆかりのC12-66が真岡鉄道で活躍している姿を見るにつけ、再び川俣線廃線跡を歩いてみたくなりました。
C12-66は、川俣線を営業運転で走っていた訳ではありません。C12-66は川俣線廃止の翌日にモニュメントとして、岩代川俣駅跡に静態保存されたものです。
一方岩代飯野駅跡にはC12-60が保存されました。
その後C12-66は真岡鉄道でSl運転する事になり、白羽の矢が当てられたわけです。C12-60は今でも岩代飯野駅跡に保存されていますが、相当痛んできているのが気になります。
記録によりますと、無煙化前に川俣線を走っていたのは、「169」「231」「252」の3機です。このうち231号機は、愛媛県内子駅で静態保存されており、インターネットで調べたところ、現在再整備されているようです。きれいな姿になって戻ってくるようで、川俣線ゆかりの車両がこれからも残る事は嬉しい限りです。
川俣線の紹介から(Google)

松川駅で東北本線から別れ、浜子隧道を通り、阿武隈川を渡って岩代飯野駅へ。
そして岩代川俣駅までの12.2kmの典型的な盲腸線でした。
1972年(昭和47年)5月13日に廃止なってしまいました。廃止後、岩代飯野~川俣間は線路上をバイパスが出来たりして、その痕跡をたどるのは難しいようになっています。
一方、松川~岩代飯野間は「阿武隈橋梁」は撤去されてしまいましたものの痕跡が数多く残っているのが特徴です。
それでは、かつての川俣線の写真も織り交ぜ、
①「松川駅~浜子隧道間」
②「浜子隧道~岩代飯野駅」
に分け、「川俣線跡を歩く」を紹介いたします。
何度かこのブログでも紹介しており、再掲載もありますがご了承下さい。
本日は①「松川駅~浜子隧道」です。
1、松川駅

駅舎前かつての1番線が川俣線のホームでした。
資1、1971年当時の松川駅

一般色のキハ23形近郊系気動車。
2、北芝電気の工場脇を大きく右に折れ、かつての陸橋の切り通しを通ります。

かつての線路跡は、車1台が通れるスペースです。
3、築堤を通って浜子隧道へ向かいます。

資2、この場所をC12が走っていたらこんな感じだったでしょうか?

※築堤とC12-66真岡号を合成してみました
4、トンネル前も築堤になっていましたが、この場所は道路が出来て、残念ながら面影ありません。

資3、1972年冬のこの場所です。

キハ52とキハ23にワム2両を牽いた混合ディーゼル車です。
この先が「浜子隧道」。
5、現在の浜子隧道は雑木林に埋もれて一見わかりません。

中央の暗くなっている場所が浜子隧道の入口です。
資4、1971年、トンネルに入るキハ28を上と同じ場所から撮った写真です。

6、近付くとトンネルが現れます。

折れた竹で入口が隠されるようになっていました。今年2月の大雪で竹が折れてしまったのでしょうか?
以上で本日の紹介は終了です。次回は浜子隧道へもう少し近付いた写真からの紹介になります。よろしくお願いいたします。