《Bトレで再現》キハ58系第2ざおう…1968年3月27日404D | cavacho☆彡“きゃばちょこ”です。

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 私が初めて上京したのは、小学校を卒業した1968年(昭和43年)3月27日です。
 
 小学校の卒業記念として、姉といっしょに、伊豆大島~伊豆半島の旅に行った時です。
 27日は「急行ざおう2号」(404D)に福島から15:20に乗車しました。この時の事は大変嬉しかった程ですので、今でも鮮明に記憶しています。
 
《Bトレで再現》第13弾、1968年3月27日・404D山形発上野行き「急行第2ざおう」です。
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 ほぼ当日の7~12号車の6両編成を再現していますが、7号車のキロ28が冷房車、8号車キハ58がキハ65の冷房化車両になっています。(実際のキロ28は冷房化されていたかは確認できません)
 Bトレ404D「急行第2ざおう」は上野←キハ58+キロ28+キハ65+キハ58+キハ28+キハ58→山形です。
 
 当日の実際の編成は、上野←1~6号車2404D「新潟発磐越西線回り・いいで」(郡山で併結)+
(7号車)キハ58+キロ28+キハ58+キハ58+キハ28+キハ58(12号車)→山形でした。
 
 《1968年(昭和43年)4月交通公社発行時刻表から》 404Dのダイヤです。
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 「第2ざおう」は満席で、通路にも多くの人が立ったり、新聞を敷いて座ったりしていました。私は長距離旅行は始めてでしたから、窓から外を眺めたかったのですが、それもかなう状況ではありませんでした。
 
 郡山で新潟からの2404D「いいで」を併結。車掌さんから「いいでの車両には空席があります」との車内放送があり、早速「いいで」に乗り移り着席できました。それからは、ずっと窓外を眺め上野を目指したのです。
 線路に平行して伸びている電信柱に大変な数の線があるのに驚きました。その数10~20本はあったのでは?と思います。当時は高圧線の鉄塔などなく、全て電信柱でまかなっていたものと思われます。
 
 上野は地平ホームの14番線着。2階建ての駅と人の多さに圧倒されたのか、浜松町まで国電で移動した事はあまり記憶がありません。
 
 山手線で移動したのか京浜東北線だったのかは記憶にありませんが、山手線の101系のうぐいす色の電車と、京浜東北線の茶色の旧型国電を見た記憶は残っています。特に京浜東北線の茶色の電車を鮮明に記憶しています。5日後再び東京に戻った時は、大塚まで乗車しましたので、山手線にも間違いなく乗車しました。
 大塚では、高架の山手線が、都電と立体交差する様子にも圧倒されました。
 
 東京に行った時の写真ではありませんが、1972年(昭和47年)3月の7404D「ざおう2号」です。
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※アルバムに写真を多く貼る為、写真を切ってしまっています
 
 昭和50年(1975年) 大学2年10月、福島帰郷時、上越線~只見線~磐越西線を経由しました。
小出~会津若松間は、414D「奥会津」に乗車しました。
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小出駅で撮影したものです。急行といっても、キハ58+キハ28の2両編成でした。当時、良く利用した東北線の急行は少なくとも6両以上ありましたので、2両の急行は貧弱に見えました。
 
イメージ 5 小出10:23発会津若松13:42着3時間19分の旅でした。紅葉には早かったものの田んぼは黄金色に染まっていました。車内はずいぶん空いていたような気がします。
 
 おまけの写真
 小出駅で撮影、80系新潟色721M
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 六日町~小出間乗車。当時新潟地区では70系が活躍していました。 
 私は当時、茅ヶ崎に住んでおり、80系の湘南色はたまに見る事がありましたが、新潟でみたクリームにエンジ色の70系新潟色が珍しく感じて、カメラに収めました。