ウルブズを応援して程なく、当時はウルブズの選手であったジャック・プライスとデイブ・エドワーズの地元であるということもあって、気にかけるようになったのが始まり。当時はリーグ1昇格へと邁進していた。陰ながらではあるが、応援を始めてからもう3年になる。時が経つのは早いものだ。
そうした背景から、シュリューズベリーがどこに存在しているかは知っていたし、都合が合うなら試合を観に行こうと決めていた。
そうして、 2/16 シュリューズベリー・タウン v バートン・アルビオン のチケットを購入するに至った。
実は、その試合は開催が危ぶまれていた。その理由は何か?FAカップである。
1、2回戦をなんとか勝ち進み、3回戦にてチャンピオンシップのストーク・シティとのローカルダービーを引き当てたサロップ。ホームでの一戦では終了間際にタイリース・キャンベルにゴールを許し再試合を余儀なくされたものの、続くアウェイでのリプレイでは、(またもや)キャンベルにゴールを許し2点ビハインドに陥るも終盤の連打で大逆転勝利。驚きとともに4回戦へと駒を進めた。
一足先に4回戦の抽選が行われていた。そして、リプレイの結果、生まれた対戦カードは、
シュリューズベリー・タウン v ウォルバーハンプトン・ワンダラーズ
ローカルダービーである。
前ラウンドでリバプールを難なく退けていたウルブズが、このタイを勝ち抜けるのは自明に見えた。
しかし、町の威信をかけた戦いは、そう簡単にはならないものである。
自らも相手が変わればアンダードッグ。サロップの選手やサポーターが、隣町のビッグクラブとの対戦にどのような思いで臨んでいたかは容易に想像がつく。彼らはまさに、そのプライドに恥じない戦いを見せた。
試合時間残り30分時点で2-0。リードしていたのはなんとホームチーム。しかし、ウルブズも、強豪の名に恥じない粘りを見せた。
失点直後のゴールで1点を返し、息を吹き返すと、続く猛攻が実ったのが、終了間際の94分。
土壇場で追いついたウルブズが再試合に持ち込んだ。
こうして、地元の威信をかけたダービーは、決戦の場をモリニューに移して行われることとなった。
と、ここまで来て、私はようやく気づいたのだ。
FAカップ4回戦は、2/15~2/18 の間に行われるのだ、と。
つまり、続くリプレイにサロップが勝利した場合、FAカップ4回戦によって、2/16に予定されていた サロップ v バートン の試合が延期になってしまうということだ。
それはまずい。なぜなら、すでに試合のチケットも電車のチケットも買ってしまっている。
なんとも身勝手な都合ではあるが、リプレイでは、交差した指に一層力がこもった。
そして試合は、ウルブズが最初のプレーで先制するという幸先の良いスタートを切った。
が、あれよあれよと失点し、前半を終わろうか、という時にはビハインドを背負っていた。
思わず頭を抱えていた私だが、こんな時に、ウルブズには頼れる男がいた。
マット・ドーハティである。
アイルランド代表のフルバックは、前試合でも終了間際に同点ゴールを決めており、この試合でも先制ゴールを決めていた。
そんな彼が、またしてもウルブズを救った。前半終了直前に同点ゴールを決めたのだ。おおありがとうドク。
後半も緊迫した内容だったが、ドーハティのパスを受けたカバレイロがDFを交わしてシュートを決め、勝ち越したウルブズが、2戦に渡るローカルダービーを制した。
こうして、私はシュリューズベリーに行くことが決まった。
こんなに長く書いて、まだイギリスでの経験について話していないということから、10時間を超えるフライトがどれほど暇だったかを察していただきたい。
試合は15時キックオフだったので、何も知らない私は、試合の2時間前にスタジアムに着けば良いだろうと、電車のチケットを購入していた。
それで、シュリューズベリー駅の到着が12:15。 駅からスタジアムは2マイルほどなので、歩いて40分。ちょうど良いタイミングだ。


と、思っていた。日本では。
誰が言い始めたのかは分からない。そもそも自分で思っているだけで、誰も言っていないのかもしれない。
しかし、確かなことは、それが当てはまるのは周辺施設が豊富なビッグクラブ、あるいは大都市のクラブだけだ、ということだ。
シュリューズベリー・タウンのホーム、ニュー・メドウ(モントゴメリー・ウォータース・メドウ)には、となりにディスカウントスーパーがあるだけで、何もなかった。

ただ、見渡す限りの広大な大地に、これまた広大な駐車場と、真新しいスタジアムが聳えているだけである。
クラブショップと言えば、豊富なグッズを取り揃えているわけでもなく、小さなコンビニエンスストアと同じかそれより小さいくらいの面積しかない。
そう、これで試合開始までの2時間をどうにかしろというのは、とても難しいものである。

と、なんだか暗いムードになりつつあるが、要は、シュリューズベリー・タウンのような、田舎に在する小規模のクラブは、町の外から来るサポーターの数が、ビッグクラブと比べて少ないのだ。そりゃあ当然といえば当然である。
代わりに、規模が小さいからこその良さも垣間見れた。それは、クラブショップで商品を吟味している時に聞こえてきた。
「やあ。調子はどうだい?」
「上々よ。あなたのお母さんの容態はどうかしら?」
「ひとまずは大丈夫そうだ。まだまだ安心はできないけどね。」
これが、客と店員の間で起こる会話なのだ。
他にも、スタジアムに勤める警備員と、サポーターの間にも、仲が良さげな会話が発生するのだ。
サポーター同士でも、全員がそれぞれのことを知っているかのように会話が成立していた。
このことには大変驚かされた。テレビの中継カメラには映らず、ビッグクラブのスタジアムでは起こりえないことだから、知らなかったのだ。
その陰で、ひっそりと疎外感を覚えたというのも嘘ではない。とはいえ、これについては充てがわれた席も大きな理由と言えるだろう。
チケットに記載された座席番号を目指して歩いた先には... 椅子がなかったのである。

立ち見席だった、というわけではない。立ち見席区画は、スタンドの上部に、Safe Standing Area と銘打たれ、堂々とその新鋭な姿を見せていた。
立ち見席でない以上、ひとまず座らないことにはどうにもならないので、ひとまずその隣にあった座席に座った。
この座席もなかなかの曲者だった。前述の通り、隣には椅子がなく空間ができている。それが両方ともなのだ。つまり、その座席だけ周囲から若干切り離されていたのだ。加えて、椅子のすぐ背後には広告板。最前列であったために正面は通路を挟んでピッチ。完全に孤立していたのである。
幻の座席があったことが、特に何の問題もなく放置されていると、少なくともそう感じ取れる原因としては、単純に満席にならないために座る椅子がないという事態が起きないことだろう。言ってしまえば、もしその状況が発生しても適当にうまくやってくれ、と問題視されないのではないか、という自由な雰囲気がそこにはあった。

試合の様子については、是非ともクラブが配信しているハイライトを確認してほしい。
サロップ相手にゴールを決めまくったタイリース・キャンベルをデッドラインデーに獲得していたサロップは、試合序盤に彼の加入後初ゴールで先制するも、その熱が冷めぬうちにセットプレーから綺麗なヘッダーを決められ、そのまま1-1のドローに終わった。
これと言ってチャンスが多いわけではなかったが、怪我から復帰したショーン・ウォリーがとても速く走って相手にプレッシャーをかけ、ボールを得てはドリブルとパスでチャンスを演出していた。やはり彼は素晴らしい選手だと再認識した。
ちなみに、私がサロップを見に行くと決めた理由の一つであるデイブ・エドワーズは、ウルブズとのカップ戦を怪我で欠場したのち、復帰戦でレッドカードを受け、バートン戦では出場停止だった。不幸だ...
試合が終了したのが17時。帰りの電車が出発するのは17:55。見知らぬ土地での電車だと用心し、駅ではゆとりを持って行動するためには、あまりもたもたしている時間はないと、早足で駅へと急いだ。
だったのだが!あろうことかこの私!駅への道を急ぐあまり地図を確認せず、道を間違えてしまったのだ!
幸いにも、方角的には間違っていなかったため、若干の迂回で済み、ロスも5分ほど。しかし、万が一のことを考えると、今まで以上に急がずにはいられない!
しかし、タダでは帰らせてくれないシュリューズベリー。なんと、駅の周囲は急な坂道だったのだ。
そういえば... スタジアムに行くときも、この坂道は傾斜がきついなあ... とぼんやり思っていたが...
まさか、切迫した状況で急ぐ私に牙を剥くとは!急ぎ足が鈍る...
幸い、それまでも全速力での歩行が功を奏し、電車には間に合った。
ちなみに、駅で電車を待つ間、バーミンガムへ向かう電車が、「空き車両がありません」という理由で運休に。ええ... それでいいの...? と思いつつも、何となくイギリスらしいな、と妙に納得してしまう私であった。
シュリューズベリーから北上し、クルー駅へ。グーグルマップによれば駅のすぐ近くにアレクサンドラ・スタジアムがあるとのことだったが、暗闇の中からその姿を見つけ出すことは叶わなかった。残念。

クルー駅で55分の乗換時間があったが、食べ損ねていた昼食用のサンドイッチを食べている間にその大半を費やし、気づけばもう電車が来る時間となっていた。
あっという間だなあ... それもそのはず。55分とは、10時間のフライトの十分の一にも満たないのである。
こうして、リバプール発 ロンドン・ユーストン行 のヴァージン・トレインズ車両に乗り込み、ロンドンの拠点に帰ってきたのが22時を回ろうかという頃。この頃には、もうロンドンに帰ってくるだけで安心感を覚えるようになっていた。