空中を自由落下する際に感じる僅かな間に生じる無重力、フェンの頭の中では不安だけが渦巻いていた。
彼女にとってスレイは元々、トールが連れ回していたただのアンドロイドに過ぎなかった。
だがトールを失ってからの彼女にとって、いつしかスレイは兄弟の様な存在となっていた。
丁度その頃、スレイ自身も自我を獲得した事も要因としては大きいのだが、失った父親を知る唯一の家族であったそのアンドロイドにフェンは居場所を見つけ、時折人間が交わすそれと同じよう、くだらないことで喧嘩をしてはその繋がりを確認していた。
機械に対して思い入れをするのは自分でも悪い癖だと思っている、だが決して形を失うことのない機械であるが故フェンはその血の通わない存在に耽溺した。
理由同じくして、物言わないトリックスターに対しても、冷たい装甲の下には人間のそれとよく似た心がある気がしていた。
当然、フェン自身もそれが幻想である事くらいとっくに知っている、それでも彼女にとってこの出来事は、自分を世界にとどめてくれた大切な存在を失うと等しいことなのだ。
「スラスター点火」
ルミオの言葉の後強烈な衝撃が体に走り無重力状態は反転、強力な重力がニューラルリンク越しに体全体にのしかかる。
地面までの距離は大凡10メートル。
急激に減速を始め、僅かに機体が空へと持ち上がった刹那スラスターの火が消え、重力が再び機体を掴む。
「っ……!」
舞い上がる土煙の中自由落下で地面へと降り立ったライカンスロープは、前屈した姿勢から起き上がると目の前に広がる景色を再確認する。
その直後その脇を挟む様にアーキオーニスとアイギスが着地して構える。
テレグノシスだけ見当たらないのは、その機体の特性を生かすため少しだけ離れた場所に投下された結果である。
「さて何が来るか……」
着地したのは工場群の中の一角、放置されてから日が長いだけでなく、『再開発』の波に乗れなかったこの場所に人の気配は感じられない。
本来の意味での廃墟と言えば正しいこの場所で、フェンは少しだけ姿勢を低くすると、素早く物陰へと身を寄せる。
車両が自由に往来出来る程度の道は用意されてると言え、こういう建物が多い場所は視界が悪く、奇襲を受けやすい筈だった。
ジルコも素早く身を翻すと壁に張り付き、逆にグレイグは相手の注目を引くつもりか、堂々と道の中央に踊り出ると左手に備わっていた盾を構えて重心を少しだけ低くする。
しかしそんな大げさな構えとは裏腹に、身の回りに広がるのは不気味な程の沈黙で、僅かに聞こえるとすれば遙か彼方から喧噪の残滓だった。
不気味な程静かである。
広大な敷地のみが広がり、人の気配の一切が感じられない。
その景色はどこか、廃墟と言うよりも街そのものが幽霊になった様な不気味さすらある。
「本当にここであってるんだよな?」
珍しくジルコが漏らした小言に、フェンは心の中で同意を述ベる。
本拠地ではないにせよ、スレイを持ち去った集団にとってこの場所は隠れ家の一つの筈だった。
そのため目的地上空に迫った刹那一方的な先制攻撃を受けるかもしれないと身構えたのだが、実際に起きたのは拍子抜けするほど何も起きない降下シーケンスだった。
目的の相手はこの場所には居らず、プレリュード班が揃いも揃って的外れな場所に投入されたのなら悪い冗談だろう。
「索敵を継続中」
ルミオの言葉を余所に、フェンは視界に止まる建物へと視線を流し、そしてすぐに幾つかの違和感を見つけた。
「何かが隠れてるのは間違いなさそうね」
人工の建築物は何かと丈夫だと思われがちだが存外脆い物だ。
定期的な塗り替えを行わなければ塗装はすぐに痛み、塗装が剥げた箇所は酸素や日光によって瞬く間に腐食する。
そして痛みが骨組みへと通じると、今度は窓枠にはまっていたガラスが砕け、そこから入り込んだ空気が密閉されていた筈の室内を老化させてゆく。
長いように見えて、その時間は一寝入りする程瞬く間に駆け抜ける。
だが、今現在フェンが見ている景色にはそういった現象が見受けられなかった。
確かに塗装は剥げているし、埃を被っている。
だが、変化と言えばそれだけであり、更に言えば建物の窓ガラスは揃いも揃って目隠しが施されている。
行き場のない人間が身を寄せ合って作られたコロニーの一端とは言え、わざわざ利用しない建物の保全に気をかける人間などそう居ないだろう。
あるとすれば……
「ビンゴ……」
不意にフェンが確認していたレーダーの表示が不規則に乱れる。
一見するにはそれほど大げさな通信障害ではない、だからこそ今まで見落とされてきたが、この特有のレーダーの乱れこそスクリプトが放つジャミングの特徴だった。
刹那、閉じたままのシャッターが内側から破壊され、中からベトレイヤー二機が躍り出るとその手に握られていた大型のバトルライフルを乱射する。
大口径の礫をグレイグは多重複合セラミック装甲の塊である盾で受け止める。
本来頑強さだけが取り柄だったその機体にとって、通常の銃撃なら大した問題ではない筈だ、しかし……
「なんつうものを……」
ベトレイヤーが放った弾丸は、アイギスの想定を上回る威力を持っていた。
比類無き強度を持つ鈍色の装甲は衝撃に負け、少しずつ歪んでいく。
流石に全弾を受け止めるのは限界であると察したのか、彼は射線から身を翻し、当然とばかりに銃撃がその後を追う。
敵にとって幸運だったと言えば、大型のスティールヘッドであるアイギスにとってこの戦場には身を隠せる程巨大な障害物はなかった事だろう。
故に攻撃は苛烈だった。
最も高い破壊力を持ってるであろう機体、それを倒すチャンスとばかりに執拗な攻撃が続く。
この時、敵にとっての不幸があったとすれば、この幸運には織り込み済みの不幸が隠されていた事だろう。
アイギスを追おうと上半身を捩り視線が動いたその瞬間、その死角を黒い影が走り、片方のベトレイヤーに飛びかかる。
それはフェンが操るライカンスロープだった。
良く訓練された警察犬の様に的確なタイミングで正確に動き、血に飢えた肉食獣の様にベトレイヤーにとりついたその陰は衝突の勢いでベトレイヤーを押し倒すと、その装甲の隙間に右手を突き立て、触れたソレを力任せに引きちぎって捨てた。
流石にベトレイヤーも反撃に移ろうとするが、それよりも素早くライカンスロープは動くと、装甲が剥がれ内部構造がむき出しになったそこに食らいついて獲物を食らう肉食獣の如き動きで機関部を引き千切った。
ほぼ同じタイミング、もう片方のベトレイヤーがフェンを倒す為に姿勢を整えるが、狙い澄ましたかの様なアーキオーニスの射撃により、その胸には拳大の大穴が穿たれる。
反対側の景色が見える程ぽっかりと穴が開いたベトレイヤーは、そのまま痙攣すると、地面へと倒れて完全に沈黙した。
「確かに威力だけで見たら十分だ……」
ジルコは構えていた大型の拳銃とも小型のライフルとも呼べない奇妙な銃を下ろすと、そんな言葉を紡ぐ。
オーバーチュアから貸与された装備の一つであるそれは、有効射程と装弾数を犠牲に威力と携行性に重点を置いて開発されたものとの事だ。
口径の割に非常に軽い特殊弾頭を火薬と電磁加速の複合方式で射出するそれは、有効射程では極端に劣る反面、近距離戦闘に限っては大口径ライフルと同等の威力を備えていた。
「上方注意」
ルミオの警告を意味する声と共に、先端に炸薬が仕込まれた槍の様な武器を構えたリベレイターが頭上から飛びかかる。
その攻撃を受け止めようと考えたが、瞬時に敵の意図を察したフェンは、反撃ではなく回避を選択。
素早く後ずさった刹那、突如ベトレイヤーの手足が、そして頭部が大きくねじ曲がる。
まるで見えない巨人が人型の粘土細工を壊しているかの様な景色、それが空想の怪物の力による物ではなく、純粋な力が引き出した結果だと言うことはほぼ同時に響いた銃声によって証明された。
防御姿勢から攻撃へと転じたアイギス、その腕に握られていた長大なライフルから耳を聾する轟音と共に放たれた弾丸が、空中に居たベトレイヤーの体を繰り返し打ち抜いていたのだ。
計5発、一発だけでも致命傷の一撃を連続で食らったベトレイヤーは完全に機能を停止、本来の着地地点から大きく外れた場所へと落下した。
「その弾丸一発いくらすると思ってんだ……」
大盤振る舞いな支援射撃をすませたアイギスを尻目に、ジルコは短い小言を溢す。
中距離からスティールヘッドに対して使うにはあまりにも余剰な武器、本来は遠距離から戦車などの分厚い装甲を打ち抜くために使用されるその武器を、わざわざこんな狭い戦場に使用したのはフラジールとの交戦を想定してのことだ。
いくら比類無き強さを誇る電磁装甲を備えていようと、その強度――もとい処理能力を上回るエネルギーをたたき込めば装甲を突破出来る、というのが開発元のオーバーチュアの見解だった。
「しかし俺だけ通常兵器とはな、折角だから秘密兵器を使ってみたかったのだが」
「アーキオーニスの4倍の以上する高級機乗り回してる奴が言えた口かよ」
その姿からはイメージが沸きにくいが、重量機であるアイギスは電磁装甲や複合型ジェネレーターといった、フラジールに使われている技術の多くを転用した数少ない機体であり、その重厚な機体故にフラジールに対抗できる武装が標準で使用できるのだ。
そして残されたライカンスロープに関しても、ただのハーフブルートの代替品という訳ではない。
残弾数を考慮して先ほどは白兵戦で敵を倒したが、その背中には簡易マウンタにより固定された一丁のライフルが固定されていた。
「そいつを壊すなよ」
「判ってる……」
ジルコが『そいつ』と称したその武装の名前は『ファントム』と呼ばれた試作品だ。
それは一見すれば大きめのアサルトライフルだが、その実は他の機体の武装とは大きく違う特性を持つ、指向性エネルギー兵器だった。
実体弾ではなくレーザー照射により対象を焼き切るその武器は、フラジールが備える迎撃用のレーザーを小型化した物である。
まだ開発段階であるが故に実践に耐えうる強度が無いそれだが、最も確実に電磁装甲を突破出来るその武器は今回の作戦において重要な存在である。
実体弾でないが故に電磁装甲関係なく均一な力を発揮する反面、武器としては発展途上、故に通常の火気よりも制圧力で劣る武器であると説明を受けてはいるが、この点に限ってはフェン自身都合が良かった。
フラジールは電磁装甲こそ優れているが、アイギスの様に強固な物理装甲を備えている訳では無い。
故にジルコやグレイグが持ち込んだ装備で電磁装甲を突破した場合、必要以上にその機体を破壊してしまうのだ。
有人機であるフラジールにとって、それはオペレーターの死を意味する。
故にフェンは不安定とは言え、確実に電磁装甲を突破し、同時に手加減が出来るこの試作品を選んでいた。
「前方50メートル、敵検知」
短い警告にやや遅れて、他と同じように目張りされた建物の外壁を突き破りベトレイヤーが躍り出る。
刹那、フェンはニューラルリンク越しに短く念じると、その体を四つ足状態の獣の様な姿へと切り替え、地面を蹴る。
稲妻の様に地面を突き進むその黒い影目指して弾丸が殺到するが、意図的に不規則な進路を取るその影を正確に捉える事は不可能な様だ。
せめて使用している銃器が取り回しに長けた短機関銃の類いなら良かったのだろうが、アイギスを意識して持ち込んだと思われる大口径のそれでは、フェンが操るライカンスロープの残像を撃ち抜くのが限界だった。
敵機までの距離大凡5メートル。
スティールヘッドの感覚で言えば目と鼻の先まで迫った時、フェンは再び人間の形態に戻りながら手を伸ばすと、片手ベトレイヤーが持つ銃を押さえつけ、開いている方の腕を腰へと伸ばし、そこに備わっていた拳銃を抜くと腰だめの姿勢で弾丸を全射する。
いくらライカンスロープがハーフブルートの前身とは言え、初めて使用した機体をここまで自由に操る人間はそうそう居ないだろう。
事実、端から見れば機体性能を十分に生かしている様に見えるかもしれないが、フェン自身ライカンスロープの挙動に関し、内心では困惑を覚えていた。
(……ちょっとピーキーすぎる、かと言え反応自体はちょっと鈍い……)
ニューラルリンクを結ぶ相手がスレイでない事、それ故に機体の反応速度がごく僅かだが遅い。
その反面パワーウェイトレシオという面で見れば、ハーフブルートよりも非常に軽く同時に高出力なこの機体は優れており、機体の出力制限を全て取っ払っているが故その特性が特に色濃く出ているのだ。
故に動き出すまでは僅かに遅れるが、いざ動き始めると今度は想定以上の速度で動作を終えるという奇妙な状態が生まれており非常に扱いにくい状態となっていた。
「リミッターの調整を行いますか?」
そんな意図を読んだルミオがそんな提案を投げるが、フェンは短く切り捨てると予備のマガジンを拳銃にねじ込む。
反応速度諸々の不都合も問題だが、それに加えて機体そのものの微妙な重量バランスの違いも気になる要素ではある。
ライカンスロープの重心はハーフブルートと大きく異なる。
それでも素早い動きで生じた慣性をとっさの反射だけで処理出来ているのは、それだけライカンスロープが軽く、そして高性能に作られている証拠でもあるだろう。
「慣れは必要だけど、確かにこれはハーフブルートの上位互換ね」
最初、ライカンスロープはハーフブルートの旧モデルであると説明があったが、実の所ライカンスロープからハーフブルートが開発されるにあたって、具体的に改良された点の多くは、製造コスト絡みの部分が多い。
新機軸のコンセプトモデルとして製造コストを無視し、絶対性能のみを追求したライカンスロープ。
そしてそんな非常に高コストな機体を元に、より扱いやすさや整備性、そして製造や運用コストを追求して生まれた廉価品がハーフブルートなのだ。
「ぶっつけ本番で使うにはもったいない機体ね」
物陰から新たなベトレイヤーがマチェットの様な武器を手に飛び出すが、フェンは驚いた素振りも見せずに自ら一歩距離を詰めると、片手で武器を握るその手を押さえがら空きになった胴体に拳銃を押しつけ、再び弾丸を一斉掃射。
速射性に長けたその拳銃はマシンガンの様な勢いで弾丸を吐く。
全身の力が抜けたベトレイヤーはその場で崩落ち、ライカンスロープに握られた腕を空に掲げる様なシュールな姿勢で機能停止に至る。
「思いの他数が多いな」
敵としても想定外の襲撃だったのだろう、連携を取るでもなく散発的に姿を現す敵を正確な射撃で仕留めながら、ジルコはそんなことを呟く。
最初あまりにも相手が不用心だったが為罠が仕掛けられていると踏んだ上での突入だったが、この様子を見るに杞憂だったようだ。
敵が投入した機体が全機ベトレイヤーである事は厄介ではあるが、いくら数が多くとも連携が取れてない敵などただの雁首並べ、所詮素人の集まりに過ぎない。
その上、そんな素人が戦いを挑んでいる相手は事実上リーシア国最強とも謳われるプレリュード班である。
戦力差として見ればそれは、室内犬が戯れるドッグラン中に訓練された軍犬が――いいや、狼の群れが紛れ込んだ様な物だ。
「しかしこいつらもなってないな、練度の問題はしょうがないにしても、少なくても数ではあっちの方が勝ってるんだ。
わざわざ倒しやすいようにバラバラに戦いを挑まなくとも、タイミング合わせて一斉に向かってくるだけで良いだろ」
万が一にもそんな声を相手に聞かれ、『はいそうですね』と敵に実行されたらひとたまりも無い発言を溢すグレイグに、ジルコは小さな舌打ちで返す。
事実、スティールヘッドと言う物は、そういった捨て身の作戦を気軽に行える事にもメリットがあるのだ。
遠隔操作であるが故に傷ついても人的被害が出ない、だからこそこういう一対一で勝てない相手と戦うのなら、ある程度の数をまとめ、一斉に一つの目標に襲いかかれば話が済むのだ。
銃器にしてもマガジンが空になればリロードの隙が生まれるし、どんな近接兵器であろうと全方位を同時に、そして常に攻撃できる訳ではない。
無人機である以上人的被害は無視できるのだから、多少の損害から目を瞑り数の利を生かせばどれだけ実力差があろうと確実な成果を出すことが可能である。
この期に及んで出し惜しみなどをしてる訳でもあるまい、となればこの状況は単純に敵の指揮系統の麻痺による結果とみることが可能だ。
「しかし良くもこれだけ揃えたな……」
通算6機目の機体を葬り、二つ目のマガジンを銃から引き抜きながらジルコは呟く。
ジルコ自身これほど大量のベトレイヤーの相手をしたのは初めてだったが、単純なオペレーターの腕という面ではどれもが二流以下なのが救いだ。
初めてベトレイヤーと対峙した時の様な異質さは無く、寧ろ見慣れた獲物といった認識になりつつあるのが事実でもあった。
機体が多少優れていようが統率が取れていない、練度も足りない。
そんな相手にわざわざ焦りを覚える必要は無い。
だが同時に、今の現状はまだ敵の切り札が登場していないという意味でもある。
一つは圧倒的な機体性能を盾に猛威を振るうフラジール、そしてもう一つは、前回の戦闘でグレイグの操るアイギスを仕留めた機体である。
一見するにはわかりにくいが、細かな箇所がカスタムされた専用のベトレイヤーを操るそのオペレーターは他の現場でも時折確認されており、高い戦闘能力を発揮していた。
使用する機体が平凡なそれであるが故フラジールと比べると地味な存在に見えなくもないが、単純な操縦技術という点ではフラジールのそれを遙かに凌ぐその存在は、今回の作戦に於ける懸念材料の一つだった。
そして、その懸念材料は想定通りに姿を現す。
僅かな物音に反応しライカンスロープは素早く身を捻ると、物陰から現れたそれに一斉掃射を仕掛ける。
携行性に特価してるが故に威力はさほど大きくないが、それでも対戦車ライフルに相当する弾丸は暗がりから姿を現したベトレイヤーの胸部を撃ち抜き、擬似的なその命を易々と摘み取った。
しかし――
「――!」
そのベトレイヤーは、死しても尚こちらへと迫り来る。
動力が備わる胸部を確実に破壊した、故にその場で崩れ落ちると思っていたその相手の足が止まらず、寧ろ出鱈目に手足を振りながらその動きは加速していた。
「なるほどね……」
一瞬見た分には気づかなかったが、ベトレイヤーの奥にもう一つの陰が隠れている。
丁度前のベトレイヤーに隠れる様に、前のベトレイヤーを盾にするように肉薄していたその機体は、『盾』が機能停止に陥ったのを確認するや否や、今度はその骸を掴み、力任せに突進を仕掛けてきたのである。
直撃を避ける為、フェンは左右に目配せをしてから重心を落とし次の動きに備えると、タイミングを見計らってから素早く地を蹴った。
だがその刹那、彼の動きを見計らったかの様にハープーンが打ち込まれる。
「あーもう鬱陶しい!」
フェンは咄嗟に身を捻って攻撃を躱すが、それは敵の計算の内だったようだ。
ベトレイヤーは『盾』を手放すとワイヤーを巻き上げつつ、更にスラスターによる急激な加速を用いて軌道変更、回避行動を取った直後のライカンスロープに対して、ラグビー選手の様に体当たりを放つ。
比較的大柄のベトレイヤーと軽さが売りのライカンスロープ、その重量差は大きく、殆ど減衰されなかった衝撃により二機はそのまま反対側の建物へと直撃。
瓦礫を巻き上げながら壁を突き破ると、白塵より隠された建屋の中に共に入り込んでいた。
「――損害軽微」
まともに受け身も取れず地面を転がる衝撃を前身で感じながらも、フェンは冷静に状況を分析し、ルミオもまた短く状況だけを伝える。
このベトレイヤーだけは動きが違う、明らかに不利だと判っている多対一での戦闘を避ける為強制的に室内での単機戦闘へと持ち込んだのだ。
あの機体のオペレーター間違い無く例の人物だ、明らかに他とは違う手練れな動きに、フェンは元々引き締めていた緊張の糸を更に引き締める。
『援護には行かねえぞ』
「信頼してもらえて結構」
ニューラルリンク越しに矢鱈と高圧的な言葉が返ってくる事に苦笑いを浮かべたフェンは、ぽっかりと穴が開いた外壁から目線を逸らすと、その横で身構えるベトレイヤーをにらみ据える。
「フェン・グライト……」
すぐにでも攻撃を仕掛けてくると思われたその機体は、若干腰を落として次の動きに備えると、予想外な事に外部スピーカーを用いわざわざこちらに向けて声を投げかけた。
宿敵でもあるこの組織がフェンの名前を知っている事自体はさして驚く事ではない、だが、その声を聞いたフェンは少しだけ驚きを覚えていた。
「その声、あの泥棒さんね」
元々蛇行を繰り返していたフェンの人生を大きく変えた出来事、その切っ掛けとも呼べるその声に、フェンは場違いにも胸を高鳴らせながら応じる。
「ずっとやり合いたいと思ってたんだ、フェン・グライト……」
「リベンジマッチの間違いでしょ? ディロ・エリウム」
フェンはあまり他人の名前を覚えるタイプではない。
だが、彼女が人生最後となる競技者生活を行った際、SHマッチの会場に現れデュークと名付けられたキャンサー機で暴れ回った人物の名前となれば、嫌でも印象に残る。
平気で子供を人質にし、警備員と仲間を平気で撃ち殺し、最後は己の機体を自爆させる事で現場をかき回し、どさくさに紛れて姿を消したその人物は今でも捕まっていないと話しには聞いていたが、そんな人物がこんなところに潜んでいるとは思っても居なかった。
何気なく片付けていた棚から懐かしい物が出てきたような、怒りや戸惑いよりも場違いな懐かしさが色濃いその感情に、フェンは鼻を鳴らして応じる。
「遠慮は要らないからさっさと始めよっか、私急いでるの」
その声に応じたのは、ディロの声では無く、彼が操るスティールヘッドに握られた散弾銃だった。
驟雨の如く降り注ぐこぶし大の礫。
生身の人間ならそれだけで何度も命を落とせる状況だったが、スティールヘッドにとってはせいぜい塗装に傷が入る程度の問題でしかない。
それ故に、強化チタン多層装甲にコンクリート片がぶつかることで作られた旋律を聴きながらも、ジルコは冷静に言葉を紡ぐことが出来た。
「援護には行かねえぞ」
『信頼してもらえて結構』
建屋内に姿を消したフェンに対し、ジルコは焦る気持ちを抑えながらもそう答える。
正直、あの敵の腕を見ると援護に行った方が良いのだが、こちらもそうは言ってられない状態になったのだ。
「真打ちは遅れてくるか」
どこか感心した様なグレイグの声を余所に、ジルコは舐める様な視線を後方に浮かび上がった陰に向ける。
強烈な一撃を躱した二機がにらみつける先、そこには、スラスターにより空に浮かび上がった6本腕の異形が浮いていた。
グレー一色に塗装されたNESTの最新鋭フラッグシップ機、フラジールである。
「挨拶もなしとは随分と偉そうだな、フラジール」
幾ら準備をしたとはいえ、機体性能だけで見れば圧倒的な差のある両勢力。
その不利を埋めることが出来るのは、プレリュード班のテクニックのみなのは説明するまでもないだろう。