さて、話題を少々さかのぼって・・・
●楽曲制作における「リフ」作りのヒントについて
リフを使って、かっこ良い曲作りをするためには・・・
当然ながら、実際に「リフ」を作ってみないことには始まらない。
いくつかのヒントを紹介しよう。
①コードの構成音を組み合わせて作る。
②ペンタトニックなどのスケール(音階)を元に作る。
③オクターブ離れた音も利用して作る。
④コード構成音の全音下、半音下を倚音(いおん)として用いると、印象的な表現となる。
⑤パワーコード(根音+5度上音)を使って重量感のある表現にする。
⑥7th、9th、などを使ってテンション感を表現する
などが挙げられる。
また、リフはコード進行に合わせて音程上を平行移動できる。
その性質を上手く活かすことで、一種類のリフで一曲ができてしまう事もある。
完全な形で平行移動しなくても、楽曲の展開に応じて多少変更することも可能であり、
(例えば、繰り返しのイメージを強調するために、4小節目や8小節目はパターンを変えることが多い)
また、曲の途中から別のリフに変えることも、もちろん可能である。
●ギタリストのために・・・その1
ギターには、カポタストというアクセサリーを使うこともできる。
主に、演奏キー(調)を変えたい時に使うのだが、クリップ式のカポタストならば、少々変わった使い方ができる。
例えば、6弦だけ外してみたり、逆に2~1弦を外してみたりすると、カポなしの時とは違うフレーズを思いついたり。
また、裏返して挟むと弦3本分だけカポを効かせる事のできるタイプのクリップ式カポも、商品化されている。
例えば4~2弦の2フレットだけにカポを効かせると、開放時にメジャーAコードが鳴る事になりる。
基本的にAコードを鳴らしつつ、ハイポジションで音を加えてみたり・・・普段とは違ったギター・ソロになりそうでしょ?
上記のタイプのカポを二個使えば、もっと面白い試みも可能だ。
「5~1弦の2フレット」と「4~2弦の4フレット」にカポを効かせると・・・6弦がEのまま、5~1弦の開放では「メジャーB」が鳴ることになる。
また、このセッティングで、6弦を「ドロップD」にするのも効果的かも・・・
●ギタリストのために・・・その2
前記のカポタストを利用した試みを、普段のギタープレイに取り入れてみると、
独特なフレーズ使いとなり、リスナーに深い印象を与えることが可能だ。
具体的に説明すると、開放弦を使ったローポジション・コードと、バレー(セーハ)技法を駆使したハイポジション・コードを融合させる方法である。
Aコードのローポジで5&1弦は開放だが、それを、5フレットでのハイポジと融合すると・・・上図右端のようなフォームでのプレイが可能となる。
A7だと3弦も開放というフォームになる(上図右端)
E7のローポジを、7フレット付近でのハイポジと融合すると・・・6,4,2,1弦が開放の新フォームができあがる(上図右端)
●ギタリストのために・・・・その3
ここまでに記してきたような、コードブック等に定められたフォームにとらわれない様々な試みの中で、意外な響きを発見することがある。
その「オリジナル・フォーム」から、かっこ良い「リフ」が生まれたら、それももちろん「作曲」だ。
実際には、すべてのフォームに何かしらのコード・ネームを付けることができるが、
「どんな音で構成されているか」という理論より、「かっこ良いリフを作る」ことに夢中になっても構わない。
そんなギタリストの後ろ姿に、クラシックやジャズばかり勉強してきた女子大生キーボーディストが胸をときめかすのも、よくある話だし(いやマジで・・・)
・・・話がそれた(笑)
次の譜例EX-1は、Bmの2~1弦を開放弦にしてアルペジオを弾きながらベース音を下げていくというフレーズ。
EX-2はEコードでストロークしつつ、そのままフォームだけをずらしていくというフレーズである。
●とはいえ、バンド仲間に伝えるには譜面(五線譜やコード譜)の必要性
では、作ってみた「かっこ良いリフ」を、キーボードの彼女に伝えるには?
「Bmのフォームで開放弦を使って、フォームをずらしていくんだ」
そんな言葉では、ギタリスト仲間にしか理解できない。
「じゃ、TAB譜(記譜法の一種で、ギター固有の奏法を文字や数字で表示する)に書くと・・・」
残念ながら、TAB譜の読めるキーボーディストは、ほとんどいない。
このままでは、
「ギタリストの彼女として、彼を支えててあげられないのね、私」
と彼女を落ち込ませてしまうかもしれない。
(実際には、そんな可憐な女子大生は、ほとんど生息していませんが(笑))
そんな時、手助けになるのがパソコンの譜面作成ソフトだ。
「Finale」「Sibelius」、「スコアメーカー」などが有名で、譜面作成だけでなく、楽音再生機能も備わっている。
さらにはTAB譜を五線譜に変換したり、コード名を打ち込むだけでコード・バッキングを再生できたり。
オリジナル・リフを使った楽曲の、バンド譜作りの大きなサポートとなるはずだ。
そして、バンド仲間の演奏が加わると、デモテープもグレード・アップする。
しかし、楽曲制作だけでは「音楽」は成立しない。
音楽を支える重要な要因として、他にも・・・
続きは次回の講釈で。
前回は「イエス」の「ロンリーハート」のデモテープを提示した。
このデモテープでギターとボーカルを担当しているのはトレバー・ラビン。南アフリカ出身のギタリストである。
(父親はヨハネスブルグ交響楽団の第一バイオリン奏者、指揮者だった、ゴドフリー・ラビン)
音楽(作曲)理論には、ギタリストだからこそ理解しやすい理論や技術も存在する。
「リフ」という概念は、ハードロック奏者には馴染みが深いだろう。
例えば、レッド・ツェッペリンのバンド・スコアを見ると、ギター・パートの上にコード名が書いてあることが多い、
しかし、ジミー・ペイジはコード進行や作曲理論を気にしながら「リフ」を作成したわけではないだろう。
実際、スコアに振られたコードだけを、だらだらと弾いてもツェッペリンの雰囲気は再現できない。
また、コード理論に基づいた解析を加えて参考にしても、それだけでジミー・ペイジのようなリフが作れる訳もない。
しかし、そんなツェッペリンのレコード販売枚数が、アメリカだけの累計で一億枚以上という事実。
(この数字はビートルズやエルビス・プレスリー、マイケル・ジャクソン等しか達成していない)
つまり、フレーズを作る時にコードや理論が思いつかなくても、質の高い(少なくとも商業的に成功できる)楽曲は作れるということだ。
しかし
『かっこ良ければいい』
と言って終わってしまっては「臨猫心理学会」らしくない・・・
え?今回は最初から「心理学」らしくない?
まあ、待ちなさい。
作曲家であり音楽教育家でもある、オリビエ・メシアン(フランス 1908 - 1992)は鳥類学者として、世界中の鳥の声を採譜する貴重な業績を成し遂げた、
画家、パウル・クレー(スイス 1879 - 1940)が「さえずり機械」と名付けたように、軽い羽毛で包まれた、空を舞う楽器。それが「鳥」である。
鳥の歌は学習によって作られるのであって、決してDNAに組み込まれた音声パターンの復唱ではない。もちろん、基本的なトーンは先天的なものだが、鳥のさえずりには模倣や刺激による学習が必要である。
いい歌を歌うカナリアを育てるには、歌のうまい鳥とだけ接触させる、というのが鉄則であり、それはまさしく音楽家の育て方そのものなのである。
・・・これは、「学習心理学」だね・・・
また、鳥の歌にも時代様式が存在する。天敵が増えたり減ったり、あるいは異国の生物が紛れ込んで、それが異常に繁殖したりといった、環境の変化に応じて音楽様式が変わっていくことは想像に難くない。
おなじ種類の鳥でも各地方によって鳴き方に違いがある点も含めて、鳥には鳥の巨大な音楽史がある事は確かである。
そして、その鳥の音楽史が人間のそれより遥かに古く長い歴史を持っていることも確かなのである。
機能主義に徹して鳴く「鳥」
形式を重んじて自らの種族の様式に固執する「鳥」
威嚇と警告と雌雄淘汰に徹する「鳥」
歌に酔いしれ耽溺する「鳥」
大きい声を誇示する「鳥」
愛の歌を歌い続ける「鳥」
歌わない「鳥」
さえずり以外の音を試みる「鳥」
他の鳥の声を真似るばかりで己れの歌を忘れてしまう「鳥」
・・・これは「社会心理学」や「性格心理学」だね・・・
他の芸術と異なり、その場で演奏される「音楽」とそれを授受する演奏家と聴衆。
そして、そこに関わる多数のメディアとスタッフ。
「音楽」は芸術人類学の中でも特殊な分野であり、心理学とも深くつながる分野であることがわかる。
5万年におよぶ音楽の歴史を7分で見渡せる動画
次代の音楽様式とは・・・?
続きは次回の講釈にて。
このデモテープでギターとボーカルを担当しているのはトレバー・ラビン。南アフリカ出身のギタリストである。
(父親はヨハネスブルグ交響楽団の第一バイオリン奏者、指揮者だった、ゴドフリー・ラビン)
音楽(作曲)理論には、ギタリストだからこそ理解しやすい理論や技術も存在する。
「リフ」という概念は、ハードロック奏者には馴染みが深いだろう。
例えば、レッド・ツェッペリンのバンド・スコアを見ると、ギター・パートの上にコード名が書いてあることが多い、
しかし、ジミー・ペイジはコード進行や作曲理論を気にしながら「リフ」を作成したわけではないだろう。
実際、スコアに振られたコードだけを、だらだらと弾いてもツェッペリンの雰囲気は再現できない。
また、コード理論に基づいた解析を加えて参考にしても、それだけでジミー・ペイジのようなリフが作れる訳もない。
しかし、そんなツェッペリンのレコード販売枚数が、アメリカだけの累計で一億枚以上という事実。
(この数字はビートルズやエルビス・プレスリー、マイケル・ジャクソン等しか達成していない)
つまり、フレーズを作る時にコードや理論が思いつかなくても、質の高い(少なくとも商業的に成功できる)楽曲は作れるということだ。
しかし
『かっこ良ければいい』
と言って終わってしまっては「臨猫心理学会」らしくない・・・
え?今回は最初から「心理学」らしくない?
まあ、待ちなさい。
作曲家であり音楽教育家でもある、オリビエ・メシアン(フランス 1908 - 1992)は鳥類学者として、世界中の鳥の声を採譜する貴重な業績を成し遂げた、
画家、パウル・クレー(スイス 1879 - 1940)が「さえずり機械」と名付けたように、軽い羽毛で包まれた、空を舞う楽器。それが「鳥」である。
鳥の歌は学習によって作られるのであって、決してDNAに組み込まれた音声パターンの復唱ではない。もちろん、基本的なトーンは先天的なものだが、鳥のさえずりには模倣や刺激による学習が必要である。
いい歌を歌うカナリアを育てるには、歌のうまい鳥とだけ接触させる、というのが鉄則であり、それはまさしく音楽家の育て方そのものなのである。
・・・これは、「学習心理学」だね・・・
また、鳥の歌にも時代様式が存在する。天敵が増えたり減ったり、あるいは異国の生物が紛れ込んで、それが異常に繁殖したりといった、環境の変化に応じて音楽様式が変わっていくことは想像に難くない。
おなじ種類の鳥でも各地方によって鳴き方に違いがある点も含めて、鳥には鳥の巨大な音楽史がある事は確かである。
そして、その鳥の音楽史が人間のそれより遥かに古く長い歴史を持っていることも確かなのである。
機能主義に徹して鳴く「鳥」
形式を重んじて自らの種族の様式に固執する「鳥」
威嚇と警告と雌雄淘汰に徹する「鳥」
歌に酔いしれ耽溺する「鳥」
大きい声を誇示する「鳥」
愛の歌を歌い続ける「鳥」
歌わない「鳥」
さえずり以外の音を試みる「鳥」
他の鳥の声を真似るばかりで己れの歌を忘れてしまう「鳥」
・・・これは「社会心理学」や「性格心理学」だね・・・
他の芸術と異なり、その場で演奏される「音楽」とそれを授受する演奏家と聴衆。
そして、そこに関わる多数のメディアとスタッフ。
「音楽」は芸術人類学の中でも特殊な分野であり、心理学とも深くつながる分野であることがわかる。
5万年におよぶ音楽の歴史を7分で見渡せる動画
次代の音楽様式とは・・・?
続きは次回の講釈にて。
人間を何かしらの行動(能動的であれ、受動的であれ)へと導く「動機」は何だろうか。
精神科医のアルフレッド・アドラー(オーストリア 1870-1937)は、
劣等感(いわゆる、「劣等感」という意味でコンプレックスという言葉を使ったのは、フロイトではなくアドラーが最初である)
により傷つけられた自尊感情の埋め合わせを行動の動機ととらえた。
同じオーストリア出身の精神科医、ハインツ・コフート(1913-1981)は、
「褒められたい」というような承認欲求的行為を重視し、自己愛を満たすことが人間の本能だという。
やはり精神科医のジョン・ボウルビィ(イギリス 1907-1990)は、
人間にはアタッチメント(愛着)の本能があり、ゆえに人間の最大の不安は分離不安である、という観点から関係性を持とうとする本能を動機ととらえた。
そのように、さまざまな主張の存在する動機理論を体系的にまとめたようなモデルとして、
心理学者のアブラハム・マズロー(アメリカ 1908-1970)の、
欲求五段階説がある。
マズローによれば、各種の動機は対立的に存在するのではなく、階層的に存在している。そして、下位の欲求が満たされなければ、上位の欲求は出てこないと考える。
下位から、生理的欲求(飲食、睡眠、性欲)、安全欲求(健康、安定した収入、住まい)、所属欲求(友達や家庭、職場関係などボウルビィの説に相当する)、承認欲求(コフートの説が含まれる)、
そして最上位に位置するのが自己実現欲求(自分の持つ能力を最大限に発揮したいという欲求)である。
マズローの理論は、政治や経済の分野でも好まれている。それは人間の欲求解析だけではなく、社会の進歩にも当てはめられる。社会がある程度発達してくると、下位欲求から満たされやすくなってくるのは容易に想像がつくし、たとえば「衣食住に足りた中国の裕福な市民が、次に何を求めるだろうか」というような経済的仮説を考える際にも有効な手がかりとなるだろう。
しかし、ここで過去の日本における社会・経済成長を考えたとき、マズローの説にはある疑問が残る。
オイルショックも乗り越え、日本経済がいわゆるバブル景気へと向かう中で、
アメリカのCBSレコードをソニーが買収し、ロックフェラービルは三菱地所が買収し、宮崎のリゾート会社フェニックスは数億円の出演料を払いオープニングイベントにイギリスのポップス歌手「スティング」を呼び、佐世保のハウステンボスのCMには「アラビアのロレンス」役として有名なピーター・オトゥールが出演した。
そこには、実利的な思惑以上に世界的に認められたいという日本経済・社会の自己愛的承認欲求が見受けられる。
しかし、バブル経済が収束していった後に、日本経済と日本人が拠りどころとしたのは、自己実現欲求対象ではなく、メディア(携帯電話、インターネットなども含む)や各種コンパに依存した所属欲求対象と承認欲求対象だった。
実は、承認欲求と所属欲求は上下関係に位置するのではなく、互いに同位において補完しあう(あるいはメビウスの輪のように抜け出せない)関係なのではないか。
そして、そこから自己実現欲求段階に移るには、音楽や絵画などの芸術的な方法や手段が不可欠なのではないか。
しかし、誰もが芸術的手法に耽溺できる環境にあるはずもない。
そして、たとえば経済的・芸術的に恵まれていたとしても、それがすぐに自己実現欲求段階へと結びつくわけでもない。
「たとえば有料老人ホームで余生を過ごす自分を考えてみる。わたしは身体の自由も利かず、意欲も衰え、静かに無為な日々を送るだけだろう。
だが、老人ホームだろうと病院だろうと、結局は集団生活である。詮索好きの人間や、鬱陶しい輩が必ず存在する。あるいは空威張りしたり、老いてもなお俗な価値基準から逃れられない下らない連中が。
考えただけでげんなりしてくる彼らを、わたしは相手にしない。すると連中は腹立ち半分にこちらの過去を詮索してくる。いかに取るに足らぬ人間であったかを証明しようとする。もしそんなときに、わたしが錚々(そうそう)たる過去や目を見張る業績の持ち主と知れたら、彼らは(たぶん)無礼な態度をあらため、一目置くようになる。
だからどうしたというわけではないが、おそらく老人ホームでの生活は遥かに快適になるはずで、言い換えるならば、わかりやすい成功や権威は幸福をもたらすとは限らないが、往々にして不快さや煩わしさや侮辱から自分を守ってくれる。
ここでわたしが述べたいのは、成功とか勝利とか業績とか地位といったものは、なるほど虚しいものである。そこには俗っぽく低劣な欲望が宿りがちであろう。
しかし、世の中を淡々と、無欲に過ごすためには実は成功や勝利や業績や地位の実現こそが裏づけとなる。俗物的サクセスは意外にも人を恬淡(てんたん)とさせるための必要条件のようにわたしには感じられる」
精神科医は腹の底で何を考えているか/春日武彦/幻冬舎新書/2009年
芸術に関する考察(芸術人類学など)は、人間の動機(欲望)の原初的な部分を避けて通るわけにはいかない。
そしてそれは、福祉や臨床心理の現場における問題点の考察とも重なってくるはずである。
自己実現欲求段階の音楽とは・・・
「自分の理想とはほど遠い現状に憤慨や焦燥、諦念を覚えることも少なくはない。
だが、どうあろうと自分から光を発し続けていればいいのだ。その光源たり得るものとして、音楽はある。」
精神科医で指揮者、作曲家のジュゼッペ・シノーポリ(イタリア 1946年 - 2001年)
というものだろう。
・・・でもね、そんなに深刻にとらえることはない。
あの「yes」の名曲「owner of lonely heart」だって、最初はこんなデモテープから始まったんだ。
続きは、次回の講釈で・・・
精神科医のアルフレッド・アドラー(オーストリア 1870-1937)は、
劣等感(いわゆる、「劣等感」という意味でコンプレックスという言葉を使ったのは、フロイトではなくアドラーが最初である)
により傷つけられた自尊感情の埋め合わせを行動の動機ととらえた。
同じオーストリア出身の精神科医、ハインツ・コフート(1913-1981)は、
「褒められたい」というような承認欲求的行為を重視し、自己愛を満たすことが人間の本能だという。
やはり精神科医のジョン・ボウルビィ(イギリス 1907-1990)は、
人間にはアタッチメント(愛着)の本能があり、ゆえに人間の最大の不安は分離不安である、という観点から関係性を持とうとする本能を動機ととらえた。
そのように、さまざまな主張の存在する動機理論を体系的にまとめたようなモデルとして、
心理学者のアブラハム・マズロー(アメリカ 1908-1970)の、
欲求五段階説がある。
マズローによれば、各種の動機は対立的に存在するのではなく、階層的に存在している。そして、下位の欲求が満たされなければ、上位の欲求は出てこないと考える。
下位から、生理的欲求(飲食、睡眠、性欲)、安全欲求(健康、安定した収入、住まい)、所属欲求(友達や家庭、職場関係などボウルビィの説に相当する)、承認欲求(コフートの説が含まれる)、
そして最上位に位置するのが自己実現欲求(自分の持つ能力を最大限に発揮したいという欲求)である。
マズローの理論は、政治や経済の分野でも好まれている。それは人間の欲求解析だけではなく、社会の進歩にも当てはめられる。社会がある程度発達してくると、下位欲求から満たされやすくなってくるのは容易に想像がつくし、たとえば「衣食住に足りた中国の裕福な市民が、次に何を求めるだろうか」というような経済的仮説を考える際にも有効な手がかりとなるだろう。
しかし、ここで過去の日本における社会・経済成長を考えたとき、マズローの説にはある疑問が残る。
オイルショックも乗り越え、日本経済がいわゆるバブル景気へと向かう中で、
アメリカのCBSレコードをソニーが買収し、ロックフェラービルは三菱地所が買収し、宮崎のリゾート会社フェニックスは数億円の出演料を払いオープニングイベントにイギリスのポップス歌手「スティング」を呼び、佐世保のハウステンボスのCMには「アラビアのロレンス」役として有名なピーター・オトゥールが出演した。
そこには、実利的な思惑以上に世界的に認められたいという日本経済・社会の自己愛的承認欲求が見受けられる。
しかし、バブル経済が収束していった後に、日本経済と日本人が拠りどころとしたのは、自己実現欲求対象ではなく、メディア(携帯電話、インターネットなども含む)や各種コンパに依存した所属欲求対象と承認欲求対象だった。
実は、承認欲求と所属欲求は上下関係に位置するのではなく、互いに同位において補完しあう(あるいはメビウスの輪のように抜け出せない)関係なのではないか。
そして、そこから自己実現欲求段階に移るには、音楽や絵画などの芸術的な方法や手段が不可欠なのではないか。
しかし、誰もが芸術的手法に耽溺できる環境にあるはずもない。
そして、たとえば経済的・芸術的に恵まれていたとしても、それがすぐに自己実現欲求段階へと結びつくわけでもない。
「たとえば有料老人ホームで余生を過ごす自分を考えてみる。わたしは身体の自由も利かず、意欲も衰え、静かに無為な日々を送るだけだろう。
だが、老人ホームだろうと病院だろうと、結局は集団生活である。詮索好きの人間や、鬱陶しい輩が必ず存在する。あるいは空威張りしたり、老いてもなお俗な価値基準から逃れられない下らない連中が。
考えただけでげんなりしてくる彼らを、わたしは相手にしない。すると連中は腹立ち半分にこちらの過去を詮索してくる。いかに取るに足らぬ人間であったかを証明しようとする。もしそんなときに、わたしが錚々(そうそう)たる過去や目を見張る業績の持ち主と知れたら、彼らは(たぶん)無礼な態度をあらため、一目置くようになる。
だからどうしたというわけではないが、おそらく老人ホームでの生活は遥かに快適になるはずで、言い換えるならば、わかりやすい成功や権威は幸福をもたらすとは限らないが、往々にして不快さや煩わしさや侮辱から自分を守ってくれる。
ここでわたしが述べたいのは、成功とか勝利とか業績とか地位といったものは、なるほど虚しいものである。そこには俗っぽく低劣な欲望が宿りがちであろう。
しかし、世の中を淡々と、無欲に過ごすためには実は成功や勝利や業績や地位の実現こそが裏づけとなる。俗物的サクセスは意外にも人を恬淡(てんたん)とさせるための必要条件のようにわたしには感じられる」
精神科医は腹の底で何を考えているか/春日武彦/幻冬舎新書/2009年
芸術に関する考察(芸術人類学など)は、人間の動機(欲望)の原初的な部分を避けて通るわけにはいかない。
そしてそれは、福祉や臨床心理の現場における問題点の考察とも重なってくるはずである。
自己実現欲求段階の音楽とは・・・
「自分の理想とはほど遠い現状に憤慨や焦燥、諦念を覚えることも少なくはない。
だが、どうあろうと自分から光を発し続けていればいいのだ。その光源たり得るものとして、音楽はある。」
精神科医で指揮者、作曲家のジュゼッペ・シノーポリ(イタリア 1946年 - 2001年)
というものだろう。
・・・でもね、そんなに深刻にとらえることはない。
あの「yes」の名曲「owner of lonely heart」だって、最初はこんなデモテープから始まったんだ。
続きは、次回の講釈で・・・

















