今朝、ノルウェー政府対JWの訴訟につき、教団敗訴の報に触れ、「因果応報」、「自業自得」、「四面楚歌」という四字熟語の意味を改めて噛みしめている次第ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。今月のマンスリープログラムがアップされておりましたので、性懲りもなく全文書き起こしを行いました。一体誰得な記事なのだろうと思いつつも、ついつい書いてしまうという、既覚醒現役の悲しい習性にお付き合いくださいまし。(以下、太字斜体部分は本文からの書き起こし。)

JWBroadcasting®へようこそ。今月の内容を見てみましょう。絶望的と思える事態にぶつかったらどうしますか。コンゴ民主共和国の3人の若い兄弟姉妹から大変な中でもどのように希望を持ち続けたかを聞いてみましょう。ストレスの多い世界で生きているので家庭の中もぎくしゃくしてしまうと感じることがありますか。聖書を通してエホバが教えていることは家庭を居心地のいい温かい場所にするのに役立ちます。疑いの気持ちが湧いてくるとしても信仰を強くすることはできます。今月のミュージックビデオを見ると自分の信仰を育てたいという気持ちになります。2024年3月のJWBroadcastingです。

⇒はぁ、そうですか。コンゴ民主共和国って最近聞いたなぁ、と思ったら、「行ってQ」でイモトさんが行ってたわ。元々は「ザイール」という国名だったということは、マメ知識としてお伝えしておきます。

今月のテーマは「希望の炎を燃やし続ける」です。希望は穏やかな気持ちで幸せに勇敢に生きていくために欠かせません。では希望とは何ですか。聖書でいう希望は良いことが起きるのを願うだけではなくそれが必ず実現すると信じる根拠を持っていることです。ですから単にわくわくしながら待つだけではありません。信じられる確かな根拠あるいは証拠が土台になっているということです。どんな約束も守れる方エホバだけが本当の希望を与えることができます。エホバはあふれるほど希望を与えてくれています。ローマ15:13に次のように書かれている通りです。「希望を与える神が信仰を持つ皆さんをあらゆる喜びと平和で満たしてくださり、皆さんが聖なる力によって希望に満ちあふれますように。」エホバは私たちが「希望に満ちあふれ」ていられるよう助けてくれます。でもパウロがコロサイ1:23で書いているように私たちには「希望から離れていって」しまう危険があります。それでいわば希望の炎を燃やし続けなければいけません。

⇒でも、延期される期待は、人の心を病ませるんやで。

ではそのために何が必要ですか。ローマ15:4で2つのことが挙げられています。「以前に書かれた事柄は皆私たちを教えるために書かれました。そのおかげで私たちは忍耐でき、聖書から慰めを得られるので希望を持っていられます。」炎を燃やし続けるために何が必要ですか。「忍耐」と「聖書から[の]慰め」の2つです。聖書の言葉をじっくり考えることは希望を強くするために欠かせません。ルカ24章に記録されている出来事について考えてみましょう。イエスが処刑された少し後のことです。落ち込んでいる2人の弟子と見知らぬ旅人のやりとりが書かれています。弟子たちはイエスが亡くなったことで悲しんでいました。その旅人は実は生き返ったイエスでしたが、弟子たちは気付いていません。それで2人はルカ24:21でこう言います。「しかし私たちはこの人がイスラエルを救出する方だという希望を抱いていました。それなのにこれらのことが起きてから今日で3日目です。」ここから期待していたことがその通りにならないと簡単に落ち込んでしまうということが分かりますね。イエスが弟子たちをどう助けたかに注目して下さい。25から27節です。「するとイエスは言った。『ああ無分別で心が鈍い人たち!どうして預言者たちが語った全てのことを信じないのですか。キリストはこうした苦しみを経て栄光を受ける必要があったのではありませんか。』そしてモーセと全ての預言者の書から始めて聖書全巻にある自分に関連した事柄を2人に解き明かした。」

⇒イエスが亡くなって、目の前にいる旅人が実はイエスだった。それに気付かないってことあります?

イエスは弟子たちの希望の炎をどんなふうに燃やしましたか。まず2人が聖書の言葉に希望を掛けていたのは正しいと伝えました。そしてその言葉がどう実現してきたかを教えました。私たちも同じようにできますか。もちろんです。希望が弱くなっていると感じるときはエホバに聖なる力を祈り求めましょう。そして「忠実で思慮深い奴隷」が準備しているものをよく調べ聖書の言葉がどのように実現してきたかを考えましょう。みんな忙しい生活を送っていますし、周りには注意をそらすものがたくさんあるのでそのための時間を取るのは簡単ではありません。でもどんなことを考え、何を心に取り入れるかで希望の炎を燃やし続けられるかどうかが決まります。人類の健康や安全を脅かす問題について今多くの人が不安を感じています。

⇒注意をそらすものを多数用意してるのが、「忠実で思慮深い奴隷」っていうのは何かの皮肉かね?

それでテクノロジーや経済政治の専門家たちはこの危機的な状況を言い表すために新しい言葉を作り出しました。2023年「ポリクライシス」という言葉が広く使われるようになりました。これは地球規模のたくさんの脅威が同時に発生している状態を表す言葉です。深刻な病気、気候変動、戦争、強制移住、自然災害、経済破綻などが同時に起きています。こういう「ポリクライシス」はクリスチャンから希望を奪いかねません。でも私たちはイエスが教えた終わりの時代のしるしを知っています。これからも厄介な問題が同時に発生することが分かっているので驚くことはありません。でもイエスの預言を知らない一般の人たちでさえこの世界があまりにも異常だと気付いて新しい言葉を作り出しています。認めているかどうかは別としてイエスの言葉の通りになっていると気付いているわけです。でも私たちが心配にのみ込まれることはありません。ますますおかしくなっていく世界の様子を見て確かにイエスの預言の通りになっているということをじっくり考えるなら、希望の炎の勢いを強められます。

⇒え?ポリクライシスって、会衆の長老、巡回監督、BBA開拓者姉妹たち、忌避という教理、児童虐待、寄付の強要、布教活動の強制という信者の精神をむしばむ厄介な問題が同時に発生することですか?

聖書には神からの約束が書かれています。私たちを助け出すという約束です。「地を損なっている人々が滅ぼされる」、「復活させてくださる」、「もはや死はなくな」る、「正しい人は地上に住み続けそこで永遠に暮らす」、こういう聖書の言葉がこれからどんなふうに実現していくかを学ぶと信仰が強くなります。信仰が強くなればなるほど希望も強くなります。「信仰とは望んでいる事柄、[つまり希望]が実現するという確信」確信だからです。いつも希望について考えていますか。その希望はあなたにとってどれくらいリアルですか。テサロニケ第一5:8には「救いの希望というかぶとをかぶりましょう。」とあります。かぶとが頭を守るように希望は考えを守ります。このかぶとは私たちみんなに必要です。エホバの約束を生き生きとイメージするのに役立つ賛美の歌やオリジナルソングがあります。皆さんはどの曲が好きですか。歌詞の意味に思いを巡らせると希望が強くなり考えが守られます。私たちの希望は新しい世界にいる自分の様子を鮮明に思い描けるほどリアルでしょうか。新しい世界では病気になることも憂鬱な気分になることもありません。耳も目も良くなり見た目も変わります。気持ちもポジティブになります。大切な人を亡くす悲しみではなく生き返ってくる人を迎える喜びを味わえます。

⇒バカかよ。落ち込んだ時に、「ぼくはカート」を歌って、前向きになれる訳ねぇだろが。

これまでで一番長生きした人は何歳だったでしょうか。皆さんが知っている一番大きな数は何ですか。この2つを合わせてみましょう。あなたが知っている一番大きな数その年の分だけ生きることを想像してみて下さい。どれほど長い期間をイメージできたとしてもエホバが約束している命の長さには到底及びません。数字で表現することなどできません。終わりがないからです。それが、聖書が何度も約束しているいつまでも生きるという希望です。想像してみて下さい。計画から完了まで何千年もかかるような一大プロジェクトに取り組めます。森を造ることだってできますね。エホバがしてきたことや造ったものについて何百万年もかけて学びじっくり考えることができます。新たな発見もたくさんあるに違いありません。エホバを心から愛しエホバの願い通り地球を大切にする人たちにはいったいどれほどのことができるでしょうか。今とは違って知りたいことをいくらでも追求できます。あなたはどんなことを知りたいですか。たくさんの人によって蓄積されてきた知識の上に自分もまた積み上げることができます。亡くなった人たちが生き返ります。家族やアベルをはじめとする聖書に出てくるエホバに仕えた人たちに会うことができます。生き返ってくる人たちを含め地球にいる人みんなと友達になれると考えるとすごいと思いませんか。その時全ての天使と全ての人間が幸せな家族として心を一つにしてエホバを賛美するようになります。これはうま過ぎる話でしょうか。単なる夢や願望にすぎないんでしょうか。いいえ。これは希望です。この希望は神の約束について考えた先にあるものです。「偽ることができ」ない神の約束です。エホバはその約束を守って私たちを救い出すために贖いを与え天に王国をつくりました。またこの希望はエホバの魅力的なところについて考えた先にあるものです。神が造ったもの聖書イエスの人柄についてよく考えるとどんどんエホバに引き付けられます。自分が経験してきたことからもエホバの素晴らしさを味わっています。

⇒知っている一番大きな数まで生きられるんやて。へぇ~。今の会衆の連中と、それだけの時間一緒に居なあかんの?イヤです!

私たちの希望の炎を強くしてくれるものをもう1つ考えましょう。ローマ15:4には2つのものが希望を強くするのに役立つとありました。1つ目は先ほど考えた「聖書から[の]慰め」、2つ目は「忍耐」です。忍耐するとどんなふうに希望の炎が強くなるでしょうか。ローマ5:3-5でパウロが何と言っているかに注目しましょう。「それだけでなく苦難に遭っても喜びましょう。私たちが知っている通り苦難によって忍耐力が身に付くからです。そして忍耐すると神から良いと認められ神から良いと認められると希望を持てます。その希望が失望に至ることはありません。」ここでいう「希望」とは私たちが初めて聖書から神の約束について知った時に抱いた希望のことではありません。パウロが3節で「それだけでなく」と言っているのはそのためです。私たちは最初に抱いた希望だけでなくエホバが自分を助けてくれた体験を通して、ますます強くなった希望を持っていることを喜べます。希望を強くするこのプロセスがどういうものかは自分で経験しないと本当の意味では分かりません。そういう経験をしたことがありますか。大きな問題にぶつかった時どうしましたか。必死にエホバに頼ったはずです。どうなりましたか。エホバが助けてくれました。問題そのものがなくなったわけではないかもしれません。でも忍耐して持ちこたえる力をもらいました。問題に取り組むための知恵もです。ちょうどぴったりのタイミングで誰かが助けてくれたり元気づけてくれたりしました。大変な中でも伝道を続ける勇気をもらいました。そんな時どんな気持ちになりましたか。エホバが祈りに答えてくれたと感じたんじゃないでしょうか。エホバが自分のことを大切な友達だと思ってくれていることが伝わってきたんじゃないでしょうか。1回でもこういう経験をしたことがあればきっとこれからも逆境に耐えていけると思えるようになります。エホバが助けてくれると分かっているからです。これこそ希望です。良いことが起きるのを願うだけではなく必ず実現すると信じる根拠を持っているということです。生涯を通じて何度もそういう経験をしてきた兄弟姉妹は大勢います。新しい世界が来るのを何十年も待ってきたとしても希望の炎の勢いは弱くなるどころか、ますます強くなっています。ローマ5:3-5に書かれていることをまさに味わっています。皆さんもそうではないでしょうか。「希望を与える神」エホバに心から感謝したいと思います。私たちは絶対に「希望から離れてい」きたくありません。何があっても希望の炎を燃やし続けて下さい。これからも「聖書から[の]慰め」についてじっくり考えましょう。力と知恵を与えてくれるエホバを信頼しましょう。エホバは毎日希望の炎の勢いを強くしてくれます。私たちのあなたの希望は必ず実現します。皆さんも世界中の兄弟姉妹が希望の炎を燃やし続けている様子をjw.orgで読んだり見たりしているんじゃないでしょうか。

⇒覚醒前はねぇ、神様が助けを与えてくれていると思ったことがありましたよ。私にも。でもねぇ…、実は偶然と思い込みの産物だったのよねぇ~。

コンゴ民主共和国の3人の若い兄弟姉妹から話を聞きましょう。外から大きな音が聞こえてきました。出てみると火山が噴火していてたくさんの人が逃げていました。家にいたのは私と2人の弟だけでした。初めてのことだったので本当に怖かったです。紛争が始まる前はいろんな物を持ってました。でも2017年7月に状況が悪くなりました。逃げないといけなくなって持ち物を全部失いました。武力衝突が起きそうだと聞いて村の人たちはとても怖がっていました。私たちはみんなでウガンダに逃げることになりました。いろいろ持っていくわけにはいかないので、たくさんの物を手放しました。朝になって噴火のせいで家が破壊されてしまったと聞きました。全部を失いました。逃げる時何も持ち出せなかったからです。ショックでした。逃げている途中のことです。父は岸辺に行ってボートを探すようにと言いました。そして自分はバイクで逃げることにしました。でも途中で事故に遭いけがをしてしまいました。大けがでした。父は痛みに苦しんだ末残念ながら亡くなりました。ブリュクァから遠く離れたブニアまで逃げました。ブニアには食べ物を育てられるような畑も家もありません。とても不安になって「これからここでどうやって暮らしていこう?」と思いました。兄弟姉妹は親身になって助けてくれました。本当に信仰が強くなりました。強い信仰があると幸せでいられます。コンゴに戻ってからも聖書を学び続けバプテスマを受けました。エホバは兄弟姉妹を使ってたくさん助けてくれました。生きていくのに必要な物とエホバとの絆を守るのに必要なものを与えてくれました。住む場所もです。胸がいっぱいになりました。エホバに心から感謝しています。その頃いつも思い出すようにしていた聖句は詩編46:1,2です。そこには「神は私たちの避難所」と書かれています。周りで何が起きても怖がらなくていいんです。たとえ「山々が深い海の中に落ちても」私たちは恐れません。本当にこの言葉の通りだと感じています。大変な目に遭ったり逆境にぶつかったりしても諦めるつもりはありません。心を込めてエホバに仕えていきます。これからもずっとです。今はとても安心して暮らせています。エホバの証人でいられてうれしいです。自分の全てを尽くしてエホバにいつまでも仕えていきたいです。私に愛を注いでくれたエホバのために私も何かしたいと思いました。今正規開拓奉仕をしています。補助開拓奉仕を楽しんでいます。会衆で正規開拓者、援助奉仕者として働いています。ベテルのリモート・ボランティアの奉仕もしています。ヒーゲットエスペランスモーイスは苦しい時もエホバを信頼しました。そうやって希望の炎を燃やし続けることができました。エホバの約束が果たされるのを見るたびに私たちの希望は強くなっていきます。

⇒まぁ、大変な状況だったとは思いますよ。だからって、今、会衆で正規・補助・援助奉仕者・ベテルのボランティアをやってるかどうかは、あえて触れなくてもいいんじゃねぇか?

今回のJWヒストリーで神に仕える人たちの建設プロジェクトをエホバがどのように導いてきたかを見てみましょう。多くの人に良い知らせを伝えエホバを崇拝するよう助けるためには建物が必要です。エホバが導いている建設プロジェクトは私たちの信仰や希望を強くします。どうしてそう言えますか。今回のJWヒストリーをご覧下さい。かつてネヘミヤはこう言いました。「神が私を助けてくださったのである。」清い崇拝を立て直すのはとても難しいことに思えましたが、エホバは必要なものをぴったりのタイミングで与えました。それは現代でも同じです。大事な年である1914年が近づいた頃のことです。当時聖書研究者と呼ばれていた人たちは聖書の素晴らしい預言の実現について広める大規模なキャンペーンを計画しました。1909年C・T・ラッセルは世界本部をペンシルバニアからニューヨーク市ブルックリンに移します。そして2つの建物を購入し改装しました。拡大するニーズに応えるためです。建物はベテルそしてブルックリン・タバナクルと呼ばれました。当時ある人たちは1914年に神の王国ができると伝道は終わると考えていました。その先もやるべきことが山積みだということがまだ分かっていませんでした。

⇒当時の偽預言者が、ものの見事に預言を外したわけやな。フムフム。

第1次世界大戦のために反対が激しくなり1918年には大きな責任を担っていた8人の兄弟たちが収監されます。戦争で物資も手に入りにくくなりブルックリンでの運営を続けることは不可能に思えました。ブルックリン・タバナクルは売却されます。でもコロンビア・ハイツ124番の建物はなかなか売れません。エホバには考えがありました。1920年ごろまでに兄弟姉妹はまた一生懸命伝道するようになりもっともっとたくさんの本や雑誌が必要になります。それで兄弟たちは外部に印刷を依頼するのではなく自分たちで印刷することにしました。ブルックリンの施設をさらに拡張しなければいけません。最初は小さな建物を借りて印刷を始めました。でも手狭になり別の建物を借ります。そこも手狭になったのでブルックリン・ベテルのすぐ近くに8階建ての工場を建てることになります。10年ほどして第2次世界大戦が始まります。ヒトラーは強制収容所を造ります。兄弟姉妹は世界中で激しく迫害されるようになります。それにもかかわらず戦争中に伝道者の数は2倍になりました。エホバはペースダウンすることはないと分かっていました。1940年にはニューヨーク州サウスランシングの王国農場に3階建ての建物を建設するプロジェクトが始まりました。何に使われるかはエホバだけが知っていました。戦争のせいで資材調達が難しくなっていましたが兄弟たちは1943年までに建設を完了しました。エホバはその建物を、宣教者を育てる学校として使うことにしました。ものみの塔ギレアデ聖書学校です。目を見張るような成長の始まりです。ますます多くの本や雑誌が必要になっていたので1955年にはブルックリンで2つ目の工場の建設が始まります。やがて工場は町の5つの区画にまたがるようになります。それからの22年で世界中の伝道者の数は3倍になりました。1971年にはニューヨーク州のものみの塔農場に印刷施設が造られ、その後も生産数を伸ばすために何度か拡張されてきました。1980年代半ばまでにアルゼンチンからジンバブエに至るまで世界各地に40以上の支部施設が造られていました。

⇒売れなかったのは、当時の不動産市場に依るんじゃねぇの?で、結局、近年、金の卵を生み出す鶏を売っちゃって、他に利用価値のないNY郊外の土地に移った訳でさ。そこに神の意思は介在したんかね?

 

「ものみの塔」1986年1月1日号にはこう書かれています。「現代の・・・拡大には終わりがないように見えます。・・・エホバの組織はとこしえの将来に備えて建てています。」アフリカでは今13の支部施設で拡張や改装が必要になっています。遠隔翻訳事務所のための50以上のプロジェクトも進んでいます。伝道者数の増加の勢いに合わせるため毎日5つ以上の王国会館プロジェクトを完了させていかなければいけません。私たちの希望を強くする動画が次々と制作されているのでたくさんのスタジオが必要です。2015年以降アメリカ、カナダ、イギリス、南アフリカにスタジオが造られてきました。最近ではオーストラレーシアにもできました。そこで「イエスが伝えた良い知らせ」のドラマが撮影されています。ニューヨーク州ラマポの新しいメディアセンターのプロジェクトも着々と進んでいます。エホバがこういう建設プロジェクトを導いていることは明らかです。私たちは新しい世界でも建設を続けます。これからもネヘミヤと同じように「神が私を助けてくださっ」ていると実感できるはずです。確かにエホバは私たちの建設プロジェクトを後押ししてくれています。でももっと大事なのは私たちが自分の信仰を建てることです。

⇒ラマポねぇ…。今更メディアセンター?結局、あの土地って、係争の結果売却が叶わず、利用方法を模索する中で、大した必要もないメディアセンターに利用しようって思いついただけでしょ。何が神の後押しだか。

迫害などの逆境に遭っても持ちこたえられるだろうかと思ったことがありますか。統治体のマーク・サンダーソン兄弟がどんな問題にぶつかっても穏やかな気持ちでいるためにできることを話します。今日の聖句は私たちに力や勇気を吹き込んでくれます。この聖句を読むと神に仕える人が特別な平和を味わえるということが分かります。それはどこにいても周りで何が起きるとしても味わうことのできるものです。ではここでパウロが書いている「神からの平和」とは一体何でしょうか。どんな意味がありますか。「洞察」第2巻703ページにはこうあります。「『神の平和』つまりクリスチャンが持つエホバ神との貴重な関係から生じる穏やかさや落ち着きは必要物について思い煩うことのないよう人の心と知力を守ります。そのような人はエホバ神がご自分の僕たちの必要物を供給しその祈りに答えてくださるという保証を得ています。このことからその人の心と思いは安らぎます。」この説明から聖句の意味がよく分かります。フィリピ4:6,7に書かれているのはつまりこういうことです。私たちが考えていることや感じていることを包み隠さずエホバに伝えるなら、そして助けを求めて祈願するなら、良いものを与えてくれるエホバへの感謝の気持ちにあふれてそうするなら、さらにエホバが必ず助けてくれると信じてそうするなら、エホバだけが与えられる安心感に包まれ心が穏やかになり落ち着いて考えられるようになるということです。パウロは7節でこうも言っています。「神からの平和・・・は人間の理解をはるかに超えています。」この平和を味わった人たちの例を見てみましょう。最初に聖書に出てくる人たちに注目します。まずダニエル3章をお開き下さい。ダニエル3:16から見てみましょう。シャデラク、メシャク、アベデネゴの3人が出てきます。よくご存じのようにネブカドネザル王は像を作りそれにひれ伏すようみんなに命じました。でもシャデラク、メシャク、アベデネゴはそうしなかったので王の前に連れていかれます。3人が何と言っているか16節から読んでみましょう。「ネブカドネザル王この件で私たちがお答えする必要はありません。もし火の燃え盛る炉に投げ込まれても私たちが仕えている神は私たちを救い出すことができます。王の手から救い出してくださるでしょう。そうならないとしてもご承知下さい。私たちはあなたの神々に仕えることもあなたが建てた金の像を崇拝することもいたしません。」シャデラク、メシャク、アベデネゴがこの時どんな祈りを捧げたかは聖書に書かれていません。でも今の言葉からすると3人が落ち着いていたことが分かりますね。話し方も穏やかだったはずです。パニックになることも怖がることもありませんでした。エホバを100%信頼していたので穏やかにでも自信を持って語れました。それを聞いたネブカドネザルはどうしますか。19節に書かれている通り激怒し炉をいつもより7倍熱くするように命じます。22節によると王の命令が厳しく炉がとても熱くなっていたのでシャデラク、メシャク、アベデネゴを抱えていた兵士たちの方が炎で死んでしまいました。それだけ炉が熱かったということです。これは実際に起きたことです。実際の迫害、本物の火でした。どうなったか24節をご覧下さい。王が炉を見てこう言います。「3人の男たちを・・・火の中に投げ込んだのではなかったか。」「その通りです。」王は言います。「見ろ!4人の男たちが火の中を自由に歩いている彼らは全く無傷で4人目はまるで神々の子のようだ」。今日は「神からの平和」について考えています。火の燃える炉の中を歩いていた3人はどうだったでしょうか。もしかしたら「シャデラク今日予定ある?ここ出たら何しょうか?」みたいに話していたかもしれません。パニックになることも怖がることもなく落ち着いていて冷静でした。まさに「神からの平和」です。


⇒神からの平和ねぇ…。お前が言うな、お前が。あと、聖書の記述、三人の若者の試練を軽く扱うなよ。急に陳腐になるだろうが。

次にエホシャファトのことを考えてみましょう。歴代第二20章をお開き下さい。歴代第二20章です。エホシャファトとユダの人たちが敵の軍隊に囲まれている時のことです。12節でエホシャファトは次のように祈っています。「向かってくるこの大軍を前にして私たちは無力です。どうしたらよいか分かりません。私たちはただあなたを見つめます。」必死さが伝わってきますね。13節によると「その間ユダの人は皆妻も子供も小さな子もエホバの前で立って」いました。この時エホシャファトは重圧にさらされて少し弱気なことを言っています。「エホバもうどうしたらいいか分かりません。」でもフィリピ4:6,7に書かれていることをしました。助けを求めてエホバに祈願します。以前エホバが国民を守ってくれたことに触れて感謝の気持ちも伝えました。どうなりましたか。15節でエホバからのメッセージが伝えられます。「この大軍のことで恐れたりおびえたりしてはならない。これはあなたたちの戦いではなく神の戦いである。」17節にはこうあります。「あなたたちが戦う必要はない。しっかり立ちじっととどまってあなたたちのためのエホバの救いを見なさい・・・。恐れたりおびえたりしてはならない。」この言葉がエホシャファトに力を吹き込みます。エホシャファトは確かに神からの平和に包まれました。20節をご覧下さい。エホシャファトはこう言っています。「ユダとエルサレムの住民たち聞きなさい。エホバ神を信じなさい。そうすれば動じないでいられます。神の預言者たちを信じなさい。そうすれば全てうまくいきます。」それからエホバに向かって歌う人たちを任命しました。イスラエルの軍隊の前を行き賛美を捧げる人たちです。どうなりましたか。ユダの人たちは守られました。エホシャファトはあの穏やかさと落ち着きを味わいました。神だけが与えられる平和に包まれたからです。

⇒個人的にね、エホシャファトは好きなんで、コメントはしません。

現代でも同じような例があります。1976年の「年鑑」には統治体として奉仕したダニエル・シドリック兄弟の経験したことが載っています。兄弟はクリスチャンとしての中立を守ったために1944年に収監されます。最初の晩寝床で横になっていると鉄の扉の音が聞こえてきました。兄弟によると「雷鳴のような音」だったそうです。そういう扉の音が一つ一つ近づいてきてついにシドリック兄弟の監房の扉が動き、ごろごろと音を立てながらゆっくり閉まりました。兄弟はこう言っています。「突然わたしはどうしようもない、胸の悪くなるような気持ちに襲われ、逃げ道のないわなにかかったように感じました。そのあとすぐに別の同じぐらい強い気持ちがわいてきました。それによってわたしの心は非常な平和と喜び、聖書に[人間の理解をはるかに超えた神からの平和]と述べられているような平和で満たされました。」すごいですね。別の例もあります。ナチス・ドイツの時代にある若い兄弟が両親に宛てて別れの手紙を書きました。こうあります。「きょうは私の裁判の行なわれる日で、今は朝の9時です。でも11時半まで待たなければなりません。この手紙は国家軍事裁判所の独房の中で書いています。私には大きな平安があります。実際にはとても信じられないようなことですが、すべてを主にゆだねているので・・・この時間を冷静に待つことができます。」そしてこう続けています。「12時35分です。すべてが終わりました。[私が]拒否する立場を変えないということで死刑が言い渡されました。その判決を聴き私が『汝、死に至るまで忠実なれ』というような私たちの主の言葉を少し述べたあとすべてが終わりました。でもそのことについて決して心配しないで下さい。私はお二人が想像もできないような平安と落ち着きを得ています。」処刑される直前にもかかわらず兄弟は神からの平和に包まれていました。

⇒シドリックBにも、このドイツのBにも、やはり敬意は表したいと思いますのでね、ここもあえてコメントはしません。

ではロシアの仲間は今どんな目に遭っていますか。武装し覆面をかぶった人たちに家宅捜索され、集会を中断させられ、裁判にかけられ、収監されています。それでも兄弟姉妹はエホバだけが与えられる平和に包まれていることを実感しています。ある兄弟は自宅を捜索されている時とても怖くなり不安に感じました。それでエホバにこう祈ります。「どうしたらいいか分からないので教えて下さい。」ちょうどその時捜査官が兄弟の家の冷蔵庫に貼ってあったマグネットを見て、そこに書かれていることを気持ちのこもった大きな声で読み上げます。「心配してはいけない。私があなたの神である。」兄弟は今自分に何が必要かすぐに分かりました。ポイントは何でしょうか。私たちの周りで何が起きるとしても、どんなに厳しく迫害されるとしても、どれほど大変な目に遭うとしても、感謝にあふれた心でエホバに祈願を捧げるならエホバは素晴らしい贈り物を与えてくれます。「人間の理解をはるかに超え」た「神からの平和」です。大変な中でもエホバに頼ればエホバは私たちが穏やかな気持ちで持ちこたえられるよう助けてくれます。

⇒冷蔵庫のマグネットねぇ…。昔は、こういう経験聞くと、身震いするような感動を覚えましたよ。今?身震いしますよ、今日は寒いんで…。

でも夫婦の関係がぎくしゃくすると心が乱されてしまいます。夫婦がお互いを尊敬すれば気持ちのすれ違いを減らし居心地のいい家庭をつくれます。「幸せな家族になるために」の新しい動画をご覧下さい。誰かを尊敬するのは簡単ではありません。そして誰かに大切にしてもらえることもほとんどありません。そうだとしても家族の中でお互いを尊敬することは大切です。家族を見下すような考え方が染み付いている人やテレビやネットに影響されて家族を大切にできなくなっている人が増えているからです。でも簡単ではなくても結婚した頃に持っていたお互いを尊敬する気持ちは取り戻せます。聖書に書かれていることが役に立ちます。「人からしてほしいと思う通りに人にもしなさい。」夫は妻から尊敬されたいと思っています。妻は夫に大切にしてもらいたい愛されたい話を聞いてもらいたいと思っています。お互いを認め合うようにすれば相手のことをもっと尊敬できるようになります。自分の話すことが相手をどんな気持ちにさせるか考えて下さい。ほかの人といる時も夫婦でいる時もです。関係がぎくしゃくしていると思うなら2人だけで話し合いましょう。優しく穏やかに話して下さい。納得できないとしても相手の気持ちを大切にしていることを伝えて下さい。相手がしてくれていることをよく考えましょう。大きなことから小さなことまで家族のために一生懸命しています。相手のできていないことばかり気にしてはいけません。文句を言うのではなく感謝できないか考えましょう。毎日相手をねぎらったり褒めたりして下さい。夫は妻から妻は夫から尊敬してもらいたいと思っています。そうやってお互いを大切にすれば家庭は居心地のいい場所になります。ここに挙げられているのは夫婦でぜひ考えてみたい質問です。この機会に感じていることをオープンに話し合って下さい。相手の気持ちをよく聞いて改善できるところに取り組みましょう。ここで動画を止めてやってみて下さい。夫婦が仲良くやっていくためにはほかの誰よりもまず相手のことを尊敬しなければいけないと学べました。うまくいっている夫婦でも子育てをする時は特にチームワークが必要です。

⇒夫婦の関係がぎくしゃくするのって、JWの教理ゆえじゃね?じゃぁ、初代会長はどうだったんよ?二代目は?

ある夫婦は特別なサポートが必要な息子がエホバとの絆を強くできるよう一生懸命頑張っています。この子が生まれて大きな瞳を見た時思いました。「エホバ素晴らしい贈り物をありがとうございます。」僕たちの子供なんだと思って感動しました。幸せでしたでもジェイデンは自閉症だと言われました。自閉症のことをよく知らなかったのですぐにいろいろ調べました。息子を愛していて何でもしてあげたかったので親としてできることをぜひ知りたいと思ったんです。私も自閉症について勉強して小児科の先生とよく相談しました。毎日が手探りでした。「今何が起きてるんだろう。次どうすればいいんだろう。」と2人で必死に考えました。ジェイデンを育て守っていくというのは簡単なことじゃありません。頑張り続けるための力が必要です。それでエホバに助けてもらおうと思い何でもエホバに話すようにしました。一緒に時間を過ごすことはとても大切です。ふとした時にジェイデンの性格とか好みを垣間見ることができるからです。その瞬間を逃してしまうと次のチャンスはなかなかやってきません。何一つ見落としたくないと思っていました。周りには助けてくれる友達がたくさんいます。本当に感謝しています。電話でこんなふうに言ってくれます。「元気にしてる?ジェイデンもだけど2人は大丈夫?本当に頑張ってるね。」そう言ってもらえると力が湧いてきて元気になります。おかげで前に進み続けることができています。ジェイデンはたくさんの言葉は話せません。いらいらしているように見える時はこう聞きます。「怒ってるの?」「うん怒ってる」「どうして?」「分かんない」「大丈夫よ何かあったの?」写真を撮って見せながら「楽しくなさそうだよ」と言います。悲しい顔になるので「どうしてだろうね?」と聞くと少しずつ話してくれます。今度はうれしそうにしている写真を見せます。「これがジェイデンだよ」そうやって気持ちをほぐしていきます。写真を見ると自分がどんな表情をしているか分かるのでいいみたいです。ジェイデンにとって読んだり書いたりして学ぶのは難しいようです。それで絵を描いたり本や雑誌のイラストを見たり実際に演じたりして学べるようにしています。動画にも助けられています。ソフィアとカレブが大好きなんです。あのシリーズが始まった時エホバがうちの家族のために作ってくれたみたいに感じました。「まんが聖書物語」に出ているせりふと場面の説明を使って役を演じることもあります。大会の時はプログラムに載っている歌を全部練習するようにしています。前もってね。それでジェイデンも大会に向けて準備できます。スペイン語会衆にいたんですけど、ジェイデンのためには英語会衆に移る方がいいと思いました。その方が集会を楽しめるからです。ジェイデンがコメントする時は兄弟姉妹に前もってこう言います。「うまく伝わらないかもしれないけどよろしくね。」みんなジェイデンを温かく励ましてくれます。そんなふうに応援してもらえるとまたコメントしたいという気持ちになるみたいです。ジェイデンは自分の信仰や希望について語るのが大切だと分かっています。伝道にも家族みんなで参加するようにしています。ジェイデンは自分にできるやり方で精いっぱい真理を伝えています。バプテスマを受けたいとも言っています。私たちがみんなで新しい世界に入れるよう家族でどれほど頑張ったかきっと将来ジェイデンも分かってくれると思います。ちょっと水足してくれる?いいね。ああ上手上手。たくさん?動物たくさん。たくさんだね。大好き。私も大好き大事な息子よ。ありがとう。将来のことを思い描くとどういうわけか丘の上に私たちがいてジェイデンが私と夫の間に立っている様子が頭に浮かんできます。ジェイデンは私たちを抱き締めてこう言います。「一緒にここまで来れたね。」この子はエホバから頂いた最高のプレゼントです。うれしいことにこの動画が撮影された少し後ジェイデンはバプテスマを受けました。

⇒この部分もですね、自閉症のお子様を育てていくには、それはご苦労があるでしょうから、コメントは差し控えます。でも、バプっちゃったんだね…。

信仰が揺らいでいると感じたことがありますか。エホバの愛を疑ってしまうことがありますか。そういう時もエホバに助けてもらえることが次のミュージックビデオで描かれます。
ずっと迷っているこれで良いのか 一歩踏み込めないモノクロの景色には 疑い背負う自分に向けて これが真理だということを証明したい 信じる理由を心に集めて エホバに願うの 見えないもの見られるように 色づく信仰を育てて 霞む正しさと間違いの境目 歪められているこの世界にのまれたくない 不確かなものに囲まれても 握りしめた望みは保証されてる 信じる理由を心に集めて エホバに願うの 見えないもの見られるように 色づく信仰を育てて エホバから届いた手紙や歌の歌詞をたどっていく 繋がるはず求めていた答えに 信じる理由を心に集めて エホバに願うの 見えないもの見られるように 色づく信仰を育てて 色づく信仰を育てて 


⇒毎回毎回、よく作るねぇ…。MV。暇なのかな。

エホバはいつもその時必要なものを与えてくれます。私たちの希望のベースになっているのは「偽ることができ」ない神の約束です。戦争や暴動自然災害などに巻き込まれるとしても希望があれば動じないでいられます。希望の神エホバが終わりが来る前に伝道活動を加速させていることは建設プロジェクトの様子を見ても分かります。夫婦が聖書に書かれている通りにすれば家庭は安心感に包まれます。そしてそういう経験を積み重ねていくと希望が強くなります。今月のビデオレターは火山の国と呼ばれているエルサルバドルから届いています。この国には20余りの火山があり幾つかは活火山です。絵のように美しい湖コアテペケ湖は火山が崩れ雨水が火口にたまったことで形成されました。山が多い地形にもかかわらずエルサルバドルはコーヒーなどの農作物で有名です。肥沃な火山性の土壌に育まれたコーヒーは苦味が少なくキャラメルやチョコレートのような甘さがあって飲む人を魅了しています。エルサルバドルは中央アメリカで一番小さく一番人口密度が高い国です。1945年にこの国に宣教者が到着しエホバの証人の活動が始まりました。宣教者たちには150万人もの人に良い知らせを伝えるという途方もなく大きな仕事が任されました。この国の人たちは親切でよく働きもてなし好きです。聖書について話し合うのも好きなので多くの人が真理を聞いて受け入れてきました。1972年にエホバの証人は国に認可されました。今では3万7000人以上の伝道者が約2万件の聖書レッスンで教えています。スペイン語、エルサルバドル手話、中国語で伝道しています。20の刑事施設でも良い知らせを伝えています。伝道者のおよそ7人に1人は開拓者です。伝道に費やした時間の合計は昨奉仕年度20%以上増加しました。兄弟たちは海岸沿いの町アカフトラの港での伝道も楽しんでいます。エルボケロン会衆はラリベルタードのエルプログレソにあります。コーヒーの栽培が盛んな場所です。毎朝おいしいコーヒーを飲んだ後兄弟たちは家から家農場から農場に歩いて伝道します。毎月平均50件の聖書レッスンが報告されています。昨年174人が記念式に出席しました。エルボケロン会衆の66人の伝道者が皆さんに温かいクリスチャン愛を送っています。エホバの証人の世界本部からJWBroadcastingでした。

⇒コーヒー好きとしては、エルサルバドルの豆は美味しいですからね。そこは評価しましょうよと。それ以上でもそれ以下でもないです。

ということで、年度末を迎え、夜には家族の崇拝を行おうかという暇人は、かような記事を書いております。現役の皆様におかれましては、3月4月と春の時期のキャンペーン、そして5月~6月には東京&大阪での特別キャンペーン、そしておそらく夏には地区大会の招待キャンペーン、秋には別のキャンペーンと、毎月毎月キャンペーン活動に追われることになろうかと思いますが、どうぞ心穏やかに、健やかにお過ごしくださいませ。カルトの爆心地からは以上です。