気が付けば今年も残すところあと2週間。明日の朝の集まりで何を話そうか考えていたところ、派手なシャツを着た顔芸人風情が、「2023統治体からの話(8)」をしたり顔で語ってやがりましたので、ブログのネタにします。(以下、斜体太字部分が放送からの書き起こし。)

愛する兄弟姉妹、またお会いできてうれしいです。まず最近私たちの仲間が被害を受けた自然災害についての情報を短くお伝えしたいと思います。9月にはギリシャの兄弟たちを激しい雨と洪水が襲いました。10月にはメキシコの兄弟たちがカテゴリー5のハリケーンに見舞われ甚大な被害を受けました。さらに11月にはフィリピンでマグニチュード6.7の地震がありました。悲しいことにこの地震のせいで1人の姉妹が亡くなりました。そして10人の兄弟姉妹がけがをしました。世界各地で起きている自然災害で苦しんでいる仲間のためにこれからも祈りたいと思います。皆さんの祈りやサポートに心から感謝しています。災害救援のために働いている兄弟姉妹もいます。大勢の方が進んで寄付をしています。そのおかげで被災した兄弟姉妹に必要なものを提供し家や王国会館を直すことができています。皆さんは本当によく支えてくれています。統治体を代表してお伝えします。ありがとうございます。

 

⇒JWほど、自然災害と犯罪と戦争と疾病が好きな集団はありませんからね。在NYの幹部にとっては、他国の自然災害なんて、飯ウマ~以外の何物でもないでしょう。

 

これから次のテーマでお話ししたいと思います。「自分を神の奉仕者として推薦する」。このテーマはコリント第二6:4の使徒パウロの言葉から取られています。こうあります。「あらゆる点で自分を神の奉仕者として推薦します。」どういう意味でしょうか。スタディー版聖書の注釈によると「『自分を推薦する』という意味のギリシャ語の動詞は『自分自身を証明するあるいは示す』という考えを伝えている」とあります。ではどんなふうに自分が本当の神の奉仕者だと示せるでしょうか。1つの大切な方法は見た目に気を配ることです。エホバを愛し崇拝していることが周りの人に分かるような身なりや服装をしたいと思います。そのためには聖書に書かれている神の考えに合わせる必要があります。

 

⇒その割には、各会衆に居る老害長老って、ヨレヨレのスーツ着て、ボロボロの靴履いてません?

 

例えばテモテ第一2:9,10には次のように書かれています。こうあります。「女性は慎みと健全な考え方が表れたきちんとした服装をすべきです。凝った髪形をしたり金や真珠や非常に高価な服を身に着けたりするのではなく神への専心を表明している女性にふさわしく善い行いによって身を飾って下さい。」これはクリスチャンの女性に向けて書かれた言葉ですが、背後にある考えは兄弟にも姉妹にも同じように当てはまります。それで私たちみんなが「自分を神の奉仕者として推薦」するためにできることの1つは自分の身なりによく気を配り慎みと健全な考え方が表れたきちんとした服装をするということです。

 

⇒アーミッシュよろしく、服装に関して厳格なローカルルールを強いてきた教団が何を言ってるんだか?

 

ということはエホバの証人はみんな同じような服装をしないといけないんでしょうか。制服みたいなものがありますか。きちんとした服装というのはどれも似たようなものばかりなんでしょうか。もちろん違います。エホバの証人は世界中に800万人以上いてみんなそれぞれに違った文化があります。エホバは多様性を楽しむ方なので自分が引き寄せたいろいろな国や文化の人を愛しています。

 

⇒トリニダード・トバゴ訪問したモリスはどんな講話したんだよ?かつての同僚の暴言を忘れたんか?

 

では次のことを考えてみましょう。顎ひげを生やすことはどうでしょうか。兄弟は顎ひげを生やしてもいいんでしょうか。これから1つの動画を見ていただきます。エホバに仕える人たちがこれまで顎ひげをどう見てきたかまとめられています。どうぞご覧下さい。族長時代男性が顎ひげを生やすのは普通のことでした。イスラエル人の男性も顎ひげを生やしていました。顎ひげをそるのは辱められたり悲しんだりしているときだけでした。例えばアンモンの王がダビデの家来たちの顎ひげをそり落として辱めた時ダビデは家来たちの尊厳を守るためにこう言いました。「顎ひげが伸びるまでエリコにいてそれから帰ってきなさい。」数百年後預言者エゼキエルは頭と顎ひげをそりました。これはエルサレムに臨む災難とそれによって生じる悲嘆を表す行為でした。イスラエル人だったイエスは顎ひげを生やしていたでしょうか。一部の考古学者たちの見解に基づき以前私たちの出版する本や雑誌は、イエスをひげを生やしていない姿で描いていました。でも1968年の「ものみの塔」誌は歴史的な資料や聖書などのもっと信頼できる証拠に基づいて次のように考察しています。4つの福音書のどこにもイエスがほかの人と違う見た目をして目立っていたとは書かれていない。むしろ当時のユダヤ人の普通の格好をしていたので顎ひげを生やしていたはずだ。それからはエホバの証人が制作する動画やイラストなどの中でイエスは顎ひげを蓄えた姿で描かれています。クリスチャン会衆ができた頃にはローマ人の間でひげをそることが一般的になっていました。ではユダヤ人のクリスチャンはひげをそる必要がありましたか。あるいは異国人のクリスチャンの方がユダヤ人の兄弟たちに溶け込むためにひげを生やす必要がありましたか。そんなことはなかったはずです。聖書にはひげを生やすようにともそるようにとも書かれていないからです。それは自分で決めることでした。

 

⇒ここから、話の風向きが変わるんですよ。あれ?適用変えてくんのかな?って。そうです、お見込みのとおり。以下続きます。

 

19世紀の終わりごろから20世紀の初めにかけて聖書研究者たちの間でも顎ひげを生やすことは普通に受け入れられていました。この写真に写っている巡礼者の兄弟たちのようにです。ラッセル兄弟も顎ひげを生やしていました。ある新聞記者は兄弟のことを「上品な装いの牧師」と呼びこう続けています。「彼がほかの伝道者たちと違っているところは何もないように思えた…白くて柔らかなひげは…さながら信頼のおける父親のようだった。」第1次世界大戦のすぐ後ひげをそることが流行し始めました。これは1919年に撮影された巡礼者たちの写真です。ひげを生やしている人はあまりいません。私たちの本や雑誌が強く勧めたわけではありませんがひげを生やす兄弟はかなり少なくなりました。1960年代に入るといろいろな国で権力に逆らう人の多くが顎ひげを生やすようになります。そういう風潮があったのでエホバの証人でもそうでなくてもたくさんの人が顎ひげをそるようになりました。顎ひげは反抗的な態度と結び付いていると思われていたので顎ひげを生やす兄弟が援助奉仕者や長老ほかの責任ある立場で奉仕することはほとんどありませんでした。

 

⇒やっぱ、世界的に顎ひげはNGだったんすね。

 

でも時代は変わり一部の国では顎ひげは反抗的な態度とは関係ないと思われるようになってきました。そういう場所では顎ひげがあっても援助奉仕者や長老として奉仕している兄弟がいます。最近ではもっと多くの国で顎ひげが一般的なものとして受け入れられています。では今私たちは顎ひげを生やすことをどう見るべきですか。動画はこんな質問で締めくくられていましたね。今私たちは顎ひげを生やすことをどう見るべきですか。ここで統治体から次のお知らせを読むよう依頼されています。「私たちはこれまで世界各地の支部事務所から顎ひげを生やす兄弟が責任ある立場で奉仕することができるかどうかを尋ねる手紙を受け取ってきました。統治体は祈ってよく検討した結果以下のはっきりした指針を皆さんにお伝えするべきだという結論に至りました。

 

⇒顎ひげを反抗的な態度とみなす国がどこにあんだよ?で、このあと素晴らしい「新たな光」が増し加わりますよ。ジャジャーン!!

 

統治体は兄弟たちが顎ひげを生やすことに反対しません。どうしてでしょうか。聖書は顎ひげを生やすことが間違っているなどとは言っていないからです。加えて時代の流れと共に多くの国で顎ひげを生やしている男性がビジネスで責任ある立場に就いたり政府の要職に就いて働いたりするようになってきました。それで兄弟が顎ひげを生やすかどうかは個人的に決めるべきことです。兄弟が援助奉仕者や長老に任命されるかどうかは聖書に書かれている資格を満たすことに懸かっています。顎ひげが生えているかどうかは関係ありません。この指針は特別全時間奉仕者にも当てはまります。例えばベテル奉仕者、特別開拓者、宣教者、巡回監督などです。ローマ14:4にある通り長老もほかのクリスチャンも人を批判すべきではありません。兄弟が顎ひげを生やすことにするとしてもです。私たちはこの指針がエホバに仕える人たちのためになることを信じています。そして生じかねない亀裂を防いでくれることも願っています。」統治体からのお知らせは以上です。

 

⇒ね?いや、小峠さんのセリフを借りれば、「何て言えばいい?」、「いや、どぉでもイイねぇ!」って感じじゃないですか?今更?誰得の決定?

 

でも幾つか疑問が湧くかもしれません。例えば1つ目にどうして統治体はこのタイミングで指針を出したんでしょうか。コリント第一7:31で使徒パウロは聖なる力に導かれてこう書きました。「今の世のありさまは変わろうとしている。」スタディー版聖書の注釈によるとここでパウロは当時の劇場を念頭に置きこの世を場面が移り変わって役者が次々と出入りするステージに例えていたのかもしれません。このパウロの言葉の通り服装や身なりも時代の流れとともに変化していきます。例えば高い立場に就いていて尊敬されている男性が風格を増すためにひげを蓄えるというケースが増えています。

 

⇒どうしてこのタイミングで?そんなん、ヒマでやることないからに決まってるやろ?

 

2つ目の疑問です。私たちは顎ひげを生やしている兄弟をどう見るべきでしょうか。イエスがヨハネ7:24で教えた通りにしたいと思います。こう言いました。「見掛けで裁くのをやめ…なさい。」先ほどの動画で見た通りどんな身なりが良いかは時代によって変わります。そういう変化は必ずしも悪いものではありません。考えてみて下さい。私たちは誰も聖書が書かれた時代の人のような服装や身なりをしたいとは思いません。100年前の人と同じような格好でも嫌ですよね。私たちは普通何年も前にはやっていたものではなく今一般的な服装を選びたいと思うものです。聖書が教えていることに反しないのであれば私たちの住んでいる地域の人たちが普通にしている服装や身なりを取り入れることは何も間違ってはいません。私たちが願っているのは自分の身なりに気を配って聖書が教えている通り清潔で慎みと健全な考え方が表れた服装をすることです。

 

⇒ホンマやな?顎ひげ生やしてても、講演さすんやな?今から剃らへんで?かまへんねんな?

 

3つ目の疑問です。この新しい指針をどんなふうに受け止めればこれからも一致協力できますか。このプログラムを視聴した後もしかしたらいろいろなことを言いたくなる人がいるかもしれません。例えばある人は自分の正しさがついに証明されたと感じてこう言いたくなるかもしれません。「これ私がずっと言ってきたことですよね。やっぱり最初から私が正しかったんですよ。」逆にがっかりしてこう言いたくなる人もいるかもしれません。「私はこれまでの方向性を大切にしてそれに合わせてきたのになんか残念だな。」こんなふうに言ってもいいんでしょうか。いいえ。使徒パウロがコリント第一1:10で言っていることに注目しましょう。コリント第一1:10「兄弟たち私たちの主イエス・キリストの名によって勧めます。皆さんが語る事柄は一致しているべきです。分裂があってはなりません。同じ思い同じ考え方でしっかりと団結して下さい。」

 

⇒結局ここ。1975年問題も、血液分画も、後だしジャンケンで、コロコロコロコロ教理変えまくって、「奇異に思える指示に従いましょう。」って、信者には妄信を強いるのね。

 

どうすればこの言葉の通りにできますか。もし私たちが自分の意見を強く主張したり統治体から与えられる指針を軽く見るようなことを言ったりするなら会衆は一つにまとまっていられるでしょうか。「同じ思い同じ考え方でしっかりと団結」できるでしょうか。できません。自分にそういうところがあると感じる人は改めなければいけません。ではこれまで長年にわたって統治体や責任を与えられた兄弟たちからの指示の通りにしてきた人はそのことを後悔する必要があるでしょうか。そんなことはありません。エホバは私たちが進んで従うことを喜んでくれるからです。謙虚な姿勢で与えられる指示に喜んで従う私たちのことを高く評価し大切にしてくれます。西暦1世紀クリスチャンの間で割礼の問題が持ち上がり会衆がばらばらになりかけていました。でも聖なる力が統治体に働いたので問題は解決し会衆は一つにまとまって奉仕を続けられました。今の統治体も兄弟姉妹が一つにまとまっていられるようできることは何でもしたいと思っています。この顎ひげのことでみんながばらばらになってほしくはありません。

 

⇒あのねぇ…。仮にも真理なんでしょ?真の宗教を自称するんでしょ?顎ひげぐらいで信者の絆が揺らぐぐらいなら、所詮その程度の関係なのよね。ばらばらにならないように、顎ひげをゴムでまとめとけ!(誰が上手い事言えと。)

 

エホバは天で物事を動かし導いています。私たちエホバの証人はその動きにぴったり付いていきたいと願い一生懸命頑張っています。エゼキエルが幻の中で見た兵車はどれぐらいの速さで動いていましたか。「ひらめく稲妻」の速さです。まだ時が来ていないのに早まって変化を望んで兵車の先を行こうとしたり、反対に忠実な奴隷から来る指示の通りにしょうとせず兵車に遅れを取ったりするならエホバの動きに合わせていないことになってしまいます。まとめです。顎ひげについてとてもバランスの取れた新しい指針を聞くことができました。エホバは私たち一人一人の決定を尊重しています。兄弟たちが顎ひげを生やすかどうかについてもです。皆さんがエホバの動きにぴったり付いていき、必要なら見方を調整しエホバを揺るぎなく愛していくことを信じています。これからも兄弟姉妹を愛しみんなで一致団結してエホバに仕えていきましょう。エホバの証人の世界本部からJWBroadcasting®でした。

 

⇒どうですか?今が終わりの日の最後の最後の部分とか抜かしてやがる教団最高幹部が、840万人の信者相手に送った内容が、「顎ひげはオケ!オレら、祈って決めたかんね!ドヤァ。」って、もう、どうしようもないぐらいの低レベル。ブログのネタにするにはもってこいな内容ではありますけども。他に討議する内容はなかったんかね?忌避を止めるとか、輸血解禁にするとか、聴聞会の第三者立ち合い許可(あるいは可視化)とか、やることはラッセルのアゴヒゲぐらいあるじゃんよね?

 

年の瀬に、今年一番の「大山鳴動して鼠一匹」賞更新ということで、明日は海老名にトロフィー贈呈に行こうと存じます。(えぇ、ウソです。)
何と言っても今日(土曜)は、奉仕の集まり司会⇒交わり⇒奉仕の司会⇒交わり、日曜は集会⇒朗読⇒奉仕⇒交わりという、何と「霊的な」予定がめじろ押しな週末でしょうか。

 

しかし、冬らしい寒さが来ないのとインフル爆増中なのが非常に怖い今日この頃ですので、皆さま体調にはくれぐれもご注意くださいませ。そう言えば、どこかのインチキカルト集団が、異常気象と疾病は、終わりの日のしるしだとか抜かしてやがりましたよね…。

 

それでは、よい週末を。

Have a happy weekend!