「エホバはその民に平和を与えて祝福する。」-詩編29:11

月曜日にアップされると発表されていたのに、日本時間のアップは日が火曜に替わってからの深夜から早朝にかけてという、さすがJWは米国人の米国人による米国人のための宗教だということを再認識いたしました。

皆様、本日もうだるような暑さの中、一日のお勤めごくろうさまでございました。私めは、この記事をアップするため、有給休暇を取り都内某所のネカフェに入り浸り、食べ放題のアイスを食べ、体が冷えたらホットコーヒーを飲みというサイクルを繰り返しておりましたら、夕食何も食べられないほどおなかが膨れてしまいました。いかん、このままでは、体型だけは統治体の連中みたいになってまう…。しかし、今回のプログラム、本文だけで4万文字を超えまして、本当は復習のプログラムに備えて、1日目午前のプログラムは1つの記事に収めたかったのですが、泣く泣く2つのブログ記事に分けることにしました。拙ブログの貴重な読者様には、現役JWの方も多ございましょうことから、復習の最中に記事を移動するのもしんどかろうという配慮(?)があったのですが、申し訳ございません。パート1とパート2の二つの記事に分けることにいたしました。それでは、張り切ってどうぞ。

(以下、斜体太字部分は、本文からの書き起こし。)

(司会者 パトリック・ラフランカ)
エホバの証人の統治体と世界本部で働く兄弟姉妹たち全員を代表して、皆さんを2022「平和をつくる」地区大会に心から歓迎いたします。JWBroadcasting®の特別版として今月と来月お送りするこの大会のプログラムは、世界各地の500以上の言語に翻訳されました。1日目の主題は詩編29:11に基づく「エホバはその民に平和を与えて祝福する」というものです。次のミュージックビデオから分かるように私たちはエホバの創造物を観察しエホバの言葉である聖書を読みエホバからの良い知らせを伝えることによって平和を味わえます。どうぞビデオをお楽しみ下さい。エホバの証人の「平和をつくる」地区大会の最初の部を視聴してくださっていることをうれしく思います。ご一緒に86番の「エホバの教えを受けましょう。」という歌を歌いましょう。歌の番号は86番です。
神はどのような平和を誰に与えてくださるのでしょうか。こうした点についてエホバの証人の統治体のスティーブン・レット兄弟が大会の最初の話の中で取り上げて下さいます。この話に注意深く耳を傾けましょう。主題は「エホバは『平和を与える神』」です。


⇒今回のホストはラフランカです。しかし、何で統治体を代表するとか言っちゃうんでしょ。あいつら、現人神かよ。

【大会司会者による話:エホバは「平和を与える神」】(統治体 スティーブン・レット)
皆さんを心から歓迎しこのようにごあいさつしたいと思います。「シャーローム」。「シャーローム」とは何でしょうか。これは「平和」を意味するヘブライ語でこの言葉は聖書の中に200回以上出てきます。あいさつとして使う場合にはこういう意味になります。「あなたに平和がありますように。」それでこの言葉を使って皆さんをエホバの証人の「平和をつくる」地区大会に歓迎できることをとてもうれしく思います。この大会を楽しみにしておられたと思いますが、その期待は決して裏切られません。3日間のプログラムを通してたくさんのことを学べます。どうすれば生活のあらゆる面で平和を味わえるかについて聖書の大切な教えがさまざまな角度から取り上げられます。ではまず私たち皆をこの大会に招待してくださった方について少し考えましょう。エホバです。素晴らしい天のお父さんについて考えられるのはうれしいことですね。フィリピ4:9でエホバは「平和の神」と呼ばれています。エホバには愛、公正、知恵、力など際立った面がたくさんありますが、平和も素晴らしい面の1つです。エホバは平和を愛する穏やかな方です。天使たちや忠実な人間とも平和な関係にあります。確かに平和の神だと言えます。ではエホバは私たちも平和を味わえるようにしてくださるのでしょうか。ローマ15章に答えがあります。


⇒「平和の神」ねぇ…。じゃぁ、いち早くロシア軍をウクライナから撤退させてくれよぉ。

ローマ15:33をご一緒に読んでみることにしましょう。こうあります。「平和を与える神が皆さんと共にいて下さいますように。アーメン。」エホバは平和を惜しみなく与えて下さいます。ヤコブ1:17にあるように、あらゆる「良い贈り物」を与えて下さいますが、その中に平和が含まれています。ではエホバが与えてくださる平和とはどういうものなのでしょうか。多くの人は平和と聞くと争いがない状態を思い浮かべるでしょう。でも神からの平和はそれ以上のものです。エホバしか与えることができない平和にはこの上ない安心感や穏やかで幸せな気持ちが含まれています。そのエホバからの平和についてフィリピ4章に書かれているのでそこを見てみましょう。フィリピ4:6,7。「何も心配せずいつでも祈り、祈願を捧げ感謝しつつ願いを神に知っていただくようにしましょう。そうすれば神からの平和がキリスト・イエスを通して皆さんの心と考えを守ります。その平和は人間の理解をはるかに超えています。」ここでエホバは何も心配しないようにと言っています。これは一切心配してはならないという意味でしょうか。いいえ。ここでエホバが私たちに注意してほしいのは、心配し過ぎないことです。適度な心配はためになることがあります。それによって他の人のことを気遣えたり与えられた務めを果たせるように一生懸命努力できたりすることでしょう。でも心配し過ぎるとどうでしょうか。体や精神に悪影響があります。体力や気力が奪われて弱ってしまうかもしれません。では何も心配しない、つまり心配し過ぎないためにはどうしたらいいのでしょうか。フィリピ4:6,7の続きの部分に答えがあります。エホバは心配しないようにと言ってから何と述べているでしょうか。エホバに祈り祈願や請願をするなら「神からの平和」が得られると言っています。では聖句の最後の部分はどういう意味でしょうか。「[神から]の平和は人間の理解をはるかに超えています。」とあります。これは神からの平和があまりに素晴らしいので人間には十分に理解できないということです。私たちには説明がつかないこともあります。心配や不安で頭がいっぱいになって八方ふさがりのように思える時に、エホバに「平和を与えて下さい。」とお願いするとします。どうなるでしょうか。とても不思議に思えるほど穏やかで落ち着いた平和な状態になることがあります。ロレインという若い姉妹は母親をがんで亡くした時のことについてこう言っています。「わたしが部屋にいる時に母は息を引き取りました。すぐにわたしは…耐え[ら]れる強さをお与え下さい。とエホバに祈りました。するとすぐに神の平和を感じました。」

⇒ロレインの経験もねぇ。いや、分かりますよ、お母様を亡くされて辛いのは。でも、祈ってすぐに平和を感じられますかね?

では7節にある「神からの平和が…皆さんの心と考えを守[る]」とはどういうことでしょうか。ここで「守る」と訳されているギリシャ語は軍事用語で、兵士たちが昼も夜も見張りをしている様子を思い起こさせます。神からの平和はいわば兵士のように私たちの心と考えを24時間体制で守ってくれて、穏やかで平和な状態を保てるように助けてくれます。ここで考えたいのはこの素晴らしい神からの平和を与えてもらうために欠かせないのはどんなことかという点です。答えはエホバとの親しい友情を築いていることです。使徒パウロが何度も経験したように、神からの平和は個々の状況に左右されるものではありません。エホバとの親しい関係があれば得られるものです。例えばある時パウロとシラスは伝道をしてひどい目に遭いました。2人とも服を剝ぎ取られ、棒で何度も打ちたたかれた後牢屋に入れられました。さらに足かせもはめられました。でも真夜中にパウロとシラスは何をしましたか。祈ったり歌でエホバを賛美したりしました。他の囚人は驚きながら祈りや歌を聞いていました。ですからパウロとシラスはとてもひどい状況に置かれていたものの神からの平和を味わっていたことが分かります。この例から貴重な教訓を学ぶことができます。神からの平和は個々の状況に左右されるものではありません。エホバとの親しい関係があれば、いつでも与えてもらうことができるものなのです。ここまででエホバが平和の神で平和を与えてくださること、またそれがどんな平和かを考えました。では平和を与えてもらうために何が必要かをさらに考えましょう。エホバが平和を与えるのはご自分との絆を強めようと努力し導きに従いたいと思う人たちです。ですから神からの平和を頂くには、エホバの道徳基準に従って清く正しい生き方をする必要があります。世の中の多くの人はどんな生き方をしたとしても神に受け入れてもらえると思っています。神が基準を下げてくれると思っているのです。それは間違っています。あたかも器が自分を作った陶芸家に自分の使い方について指図し自分の要求を無理やり受け入れさせようとしているかのようです。それは受け入れられませんね。人間がエホバの基準に合わせるべきです。変わるべきなのは私たちの方でエホバではありません。

⇒結局、平和の神とは言ってはいるものの、自分に従わないと平和はやらんよ、って。条件付きなんですよね。

興味深いことにヤコブ3:17にはこのように書かれています。「天からの知恵を持つ人は第一に清く次いで平和を求め[る]」。ですから神からの平和を与えていただくためにはエホバの道徳基準に従って清くなければなりません。イザヤ48:22でエホバはこのように言っています。「邪悪な者たちに平和はない」。ですから自分の道徳基準に従って生きる邪悪な人たちはエホバから平和を与えられず、平和を味わうことはないのです。ぜひエホバの基準に従うように努力し続けましょう。もちろんエホバは助けてくれますが、私たちが努力することを望んでいます。エホバはいわば掛け算のように私たちの努力を祝福してくださると言えます。どういうことでしょうか。私たちの努力が0だとエホバは祝福できません。0×10は何ですか。0です。0×100、1000、10000だとどうですか。やはり0です。ですから何も努力しないならエホバは祝福しようがないのです。ガラテア5:22によると平和は「聖なる力が生み出すもの」の一面です。ですから平和をつくる人になれるよう聖なる力が助けてくれます。ヨハネ14:26では聖なる力が「援助者」と呼ばれています。ですが、援助者がいるからといって私たちの側に何の努力も必要ないということではありません。例えで考えてみましょう。あなたが自分の家の外壁に一生懸命ペンキを塗っているとします。そこへ友達がやって来て塗るのを手伝ってくれます。でもあなたは「自分はもう家に入ってゆっくりしよう」と考えます。では友達はどうするでしょうか。ペンキを塗り続けたらもう援助者ではなくあなたの代わりに働いていることになります。

⇒でもね、ホントに平和な神なら、たとえ人間がゼロ努力でも、祝福してもいいと思うんですよ。あと、この「援助者」の例えは、マジで意味が分かりません。要点がボケるような例えを使うな。神権学校からやり直せ。

ルカ11:13にはエホバは「求めている人に聖なる力を与えてくださる」とあります。ですから聖なる力を求めてその援助者に助けてもらいながら努力するなら神との平和な関係を楽しめます。そして他の人とも争うことなく仲の良い平和な関係を持つことができるでしょう。聖なる力が生み出すものの重要な一面である平和を愛する人たちとの交友は本当に素晴らしいものです。眠っている赤ちゃんが夜中に目を覚ましてしまうことがあります。大きな音がしたのでその音にびっくりして泣き出してしまいます。でも親が優しく抱き上げて安心させるように声を掛けてあやすと落ち着きを取り戻します。同じように詩編55:16-18にある通りダビデはつらい状況に直面して「神に向かって叫」びました。するとエホバがその「声を聞いて」「安らぎを与えて」くれました。私たちもダビデのようにつらい時に祈りで天の父に呼び掛けるならエホバは落ち着かせてくださり安らぎを与えて下さいます。実際エホバはぜひとも私たちを助けたいと思っています。エレミヤ29章を見るとエホバが私たちの不安を取り除いて安らぎを与えたいと思っていることがよく分かります。29:11,12「エホバはこう宣言する。『私はあなたたちのために自分が行おうとしていることをよく知っている。あなたたちに災いではなく、平和をもたらし良い将来と希望を与えたいと思っている。あなたたちが私を呼び私のもとに来て祈る時私は耳を傾ける』」。素晴らしいですね。エホバは喜んで私たちの心配や不安を取り除いてくださりご自分にしか与えられない平和を与えてくださるのです。ここまででエホバが平和の神であることを考えました。誰に平和を与えるかも考えました。神との絆を強めようと努力し平和を求める人たちです。ではこれから考えたいのは私たちがどのように平和をつくる人になれるかという点です。次のビデオの中で統治体のケニス・クック兄弟が平和をつくる上でこの大会のプログラムがどう役立つかということを説明して下さいます。

⇒ダビデが辛い辛いとか言ってるけど、王様で金持ちで、芸術の才があってさ、他人の妻をNTRしてさ、何が辛いんだか?

(ビデオ)統治体を代表して「平和をつくる」地区大会を視聴している皆さんを心から歓迎します。ところで世界本部があるここニューヨーク州ブルー湖はまさに心安らぐ場所です。湖面が鏡のように景色を映すこともあります。ワシやタカが飛んでくることもあります。秋になると山々は鮮やかに紅葉します。素晴らしい景色です。でももっと素晴らしいのはエホバがご自分の組織に与えている豊かな平和です。エホバが平和を与えてくださるので私たちは国、言語、人種、部族、社会的立場の壁を越えて一致していられます。この平和は素晴らしいものです。世界のどこでも分断が進み人々が政治、宗教、社会問題を巡って分かれているからです。でもこの平和は偶然に生じるものではなくみんなでつくり上げるものです。神に喜ばれるには一人一人が平和をつくらなければなりません。エホバは兄弟姉妹の平和を願っています。昔もそうでした。イスラエルの祭司は民のために祝福を願う際こう言うことになっていました。その言葉を見てみましょう。民数記6:24-26です。祭司たちはこう言いました。「エホバがあなたを祝福して守って下さいますように。エホバが笑顔をあなたに向け恵みを与えて下さいますように。エホバがあなたに向かって顔を上げ平和を与えて下さいますように。」27節「彼らはイスラエルの民のために私の名を言わなければならない。私が民を祝福するためである。」私たちも神の名を大切にし、祝福されています。この大会で学べる点を概観しましょう。どうすればエホバから平和を与えていただけるかを学べます。第一に神との平和について考えます。エホバとの絆があれば穏やかで平和な心を持てます。エホバを一番の友達にするならどんな状況でも平和を失うことはありません。どうすればエホバと親しくなれるのでしょうか。頭だけの知識では不十分です。エホバがどんな感情を持つ方かを知ってエホバを敬うことが必要です。エホバが愛するものを愛し憎むものを憎むのです。この大会で真剣に学ぶならエホバともっと親しくなれるでしょう。第二に周りの人との平和について考えます。家庭は安らぎの場であるべきです。言い争わないのはもちろん自分のことより家族を優先するということです。後で学びますが、そのために必要なのは愛と敬意みんなの協力良いコミュニケーション一緒にエホバに仕えることです。第三に試練や大変な中での平和について考えます。この大会では世界各地の兄弟たちの経験を聞けます。反対、病気、失業、災害に立ち向かいながら互いを心から気遣いエホバの組織から助けを与えられエホバに仕え続けているという経験です。命の危険や生活の不安があってもエホバは忍耐できるよう助け心の平和を与えて下さいます。第四に新しい世界での平和について考えます。神の王国の助けによって人間が完全になったら状況は大きく変わります。詩編72:7の「平和が行き渡る月がなくなる時までも」という言葉の通りになります。つまり平和が永遠に続きます。エホバは将来素晴らしい祝福を与えてくださるのです。今年の大会のテーマは平和をつくるというものです。平和をつくるにはいろいろな面で努力しなければなりません。サタンの影響今の悪い世界受け継いだ不完全さのせいで平和は壊れやすいものです。平和を壊さないために真剣な努力が必要です。何ができるかみんなで学びましょう。平和の神がいつも皆さんと共にいて下さいますように。統治体全員は心からそう願っています。皆さんを深く愛しているからです。ぜひこの大会をお楽しみ下さい。

⇒いや、マジでいい所に住んでんなぁ…。そんな感想しかないですよ。ここに住んでりゃ、心の平穏は得られるだろうよ。ワシやタカが飛んでくることもあんねんて?こちとら、ハイエナとかハゲタカが襲ってくる荒野で生活してんねやで。

クック兄弟ありがとうございました。平和をつくるのにこの大会のプログラムがどのように役立つか教えていただきました。では平和の神が私たちのために準備してくださったこの大会のプログラム全体をご一緒に少し概観してみましょう。よろしければお手元のプログラムを見て内容に注目して下さい。1日目の主題は「エホバはその民に平和を与えて祝福する」というものです。最初のシンポジウムでは神を愛し隣人を愛し聖書を愛するなら本当の平和を味わえるということについて学べます。今年の劇形式の聖書朗読ではヤコブについて取り上げられます。ヤコブが「平和に役立つこと…を何でも行[う]」という点で私たちにとってどのように素晴らしい手本となっているか学びましょう。その後「真の正しさは平和をもたら[す]」という話を聞くことができます。どうすれば周りからの圧力に抵抗できるかが取り上げられます。ライオンが食べたものがライオンの体の一部になるようにサタンは私たちに圧力をかけることによってむさぼり食おうとし、自分の世の一部にならせようとしています。ぜひサタンからの圧力に抵抗する方法を学びましょう。1日目の午後の部ではまずこの大会の2つ目のシンポジウムがあります。「神は平和をつくってくださる!」という主題です。イザヤ書に書かれている平和についてのエホバの約束に力づけられるでしょう。例えば1つの話の題は「オオカミと子羊が一緒に食べ[る]」というものです。現在ではこれはなかなか想像しにくいことですね。一緒に食べさせようとしてもおそらく子羊がオオカミのディナーになってしまうことでしょう。でもイザヤ書の中でエホバが約束している通り、将来動物同士が平和に暮らすようになり人間と動物も平和な関係になります。この大会の3つ目のシンポジウムのテーマも興味深いものです。「家庭の平和に欠かせないもの」というものです。夫婦や親や子供たちがいろいろな課題を乗り越えながらどのように家庭の平和に貢献できるかを学ぶことができます。次の話は「『平和の統治者』を心から支持する」という題です。この話を通して政治的な問題で中立を保つことの大切さを思い起こすことができます。1日目の最後の話の主題は何でしょうか。「偽物の平和に惑わされないで下さい。」です。世の中で考えられている平和とイエスが、弟子たちに与える本物の平和との違いが論じられます。では2日目の主題は何でしょうか。「汚点も傷もない平和な人と神に認めていただ[く]」です。最初にシンポジウムを通して伝道を行い続けるための励みを得ることができます。平和の良い知らせを伝えるためにどんな努力を払えるか学びましょう。次の話の主題は「若い皆さん平和につながる進路を選んで下さい。」です。若い方々に全時間奉仕を行うよう励ます話です。若い皆さんが全時間奉仕を行うなら素晴らしい人生を送ることができ決して後悔はしません。次に動画を見ます。世界各地の兄弟姉妹がさまざまな問題に直面しながらも平和な心を持ってエホバに仕えている様子を見ることができます。次はイエスの新しい弟子たちがいよいよバプテスマを受ける時です。話の中でバプテスマ希望者たちは次のように勧められます。「『平和の道』」を進み続けて下さい。」なぜそうすべきかというとそれがまさに最高の生き方だからです。午後の部の2つのシンポジウムでは一連のビデオを通して学び平和を壊す人と平和をつくる人の違いを理解することができます。その二者には本当に大きな違いがあることがはっきり分かるでしょう。しょっぱい塩と甘い砂糖ぐらい全然違います。聖書に基づく今年のドラマの第1部ではエホバに仕えて平和をつくった昔の人たちについて思い起こします。その人たちの手本を今の私たちの生活にどのように当てはめられるかを考えます。2日目の最後の話では「『平和という絆』を守る」方法について取り上げられます。それを守るには国や地方の文化や伝統に従うことよりも聖書の原則に沿って行動することの方が大切です。3日目の主題は「希望を与える神が…皆さんをあらゆる喜びと平和で満たしてくださ[る]」です。午前のシンポジウムでは全部で7つの例を考えます。「平和の種をまいて平和を刈り取った人たち」の例です。取り上げられるのはヨセフと兄たち、ギベオンの人たちギデオン、アビガイル、メピボセテ、パウロとバルナバ、そして現代の例です。

⇒ここは、大会の概要ですから、飛ばしてオケかと存じます。しかし、問題は次のセリフですよ。

続く公開聖書講演をぜひとも大勢の方々に聞いていただきたいと思っています。講演の主題は「神と友達になるには」というものです。私たちはアダムの子孫で罪深いので生まれつき神の友達ではありません。生まれた時は神の敵のような状態です。ある人は赤ちゃんを見てこう言います。「かわいいわね。天使みたい」。でも正しくはこうですね。「かわいいわね。神の敵だけど」。もちろんそのかわいい赤ちゃんには希望があります。神はその赤ちゃんを含め全ての人がご自分と和解できるようにしてくださったからです。皆が神の友達になれます。

⇒こんなこと、普通思う?赤ちゃん見て。こういうセリフを、全世界の840万人が視聴しているプログラムの、最初の最初の話でシレっと吐いちゃう所が、頭の中までカルトだね、って披瀝しているようなもんなんですけどね。情けなや。

そしてエホバとの友情関係は私たちにとって最も大切なものです。ドラマの第2部を楽しんだ後この大会の結びの話を聞くことができます。「誰もがエホバに仕え平和になる時が来る!」と題する話で喜びに満ちた将来について考えます。「偽ることができ[ない]」神が約束しているものです。最後に新しいオリジナルソングを一緒に歌い平和の源であるエホバに賛美の祈りを捧げて大会を終えたいと思います。兄弟姉妹の皆さん3日間のプログラムがますます楽しみになったでしょうか。平和の神が用意してくださったこの大会をぜひ漏らさず視聴しましょう。プログラム全体を通して興味深いたくさんのビデオも出てきます。兄弟姉妹たちの経験談やインタビューまたドラマ仕立てのビデオなどがあって共感したり教訓を学んだりできるでしょう。ここでもビデオを見てみましょう。この大会で見るいろいろなビデオのダイジェストを少しお見せしたいと思います。
(ビデオ)ねえみんな誰だと思う?オリビアです。今日も投票よろしく。オリビアはジェイクとすると思う?しないでしょ超真面目だもん。あの子たちのところに行って携帯壊したか。った。中立?そんなのないんだよ!臆病者!こんなもんごみだニューヨークにいた頃は悲しくて全然平和な気持ちではありませんでした。皆さんこんにちは。デミュアデザインのヘイリーです。ちょっとねたんでるところない?2018年6月武装した集団がうちに押し掛けてきました。警察官は子供の頃の私の憧れでした。これどれだけコストかかるか分かってんのか?しょうがないだろこっちは聞いてなかったんだから。マスクは?会社で何人感染したか。知ってる?ゼロだよ。こういうことはよくあります。もう駄目だと思った時エホバは私たちを元気づけるために必ず何かをしてくれるんです。平和な関係を取り戻せて本当に良かった。世界が大変なことになる前に。


⇒まぁ、このビデオも、アメリカナイズされた内容で、全世界のJWの大半は役に立たないビデオなんですけどね。

では次の重要な点を考えましょう。この大会で神から平和を与えていただくために私たちは心を整えるでしょうか。エズラ7:10にはこうあります。「エズラはエホバの律法を調べて実践するためまた…イスラエルで教えるため心を整えていた」。その結果11節にあるようにエズラは「エホバのおきて…の研究者」として熱心に奉仕できました。ではエズラに倣ってこの大会で学ぶためにどのように心を整えることができるでしょうか。とても大切なのは祈りと黙想です。その2つを行って自分の心がエホバからの教育を受け入れる用意ができているようにしましょう。そして心の中でエホバが教えてくださることを当てはめる決意をするようにしましょう。さらにできるのは大会中に毎日流されるミュージックビデオを注意深く見ることです。3日間の午前の部と午後の部の最初に流されます。どのミュージックビデオも入念に準備されていて私たちが心を整えるのにとても役立ちます。たくさんの美しいミュージックビデオを制作するために多くの時間や労力や費用がかけられました。ぜひじっくり耳を傾けて下さい。音楽や映像によって心が整えられ、その後に学ぶ事柄を受け入れる用意ができるでしょう。私たち一人一人がこの大会でエホバが教えてくださることに十分に注意を払うことができますように。詩編85:8で次のように述べた詩編作者の謙遜な態度にぜひ倣いましょう。「私は真の神エホバが語ることを聞く。神は民に…平和を語る。」注意深く聞くならどうすれば平和をつくれるかが分かります。そして平和を与えてくださる平和の神エホバを賛美できます。そうです。今平和をつくることができるようになり将来は平和を追い求めなくてよいのです。エホバについて考えてみましょう。エホバは平和を追い求めますか。いわば平和を捕まえようとしますか。いいえエホバは平和を表すのです。新しい世界では素晴らしいことに私たちも平和を追い求める必要はなくなります。エホバのように平和を表すことに専念できるのです。でも今はぜひ平和を追い求めることを決意しましょう。この素晴らしい大会が、私たちが平和をつくる上で大きな助けになりますように!

⇒もう、いいよぉ。ミュージックビデオは。何だよこの教団は。そのうち、ゴスペルでも歌い出すんじゃねぇか?

レット兄弟ありがとうございました。心を整えるように助けられました。平和をつくるにはどうしたらよいかを学ぶ用意ができました。次に考えることができるのは平和と愛の関係です。愛を表すとどうなるのでしょうか。この大会の最初のシンポジウムからご一緒に学びましょう。統治体の奉仕委員会の援助者セス・ハイアット兄弟が1つ目の話をして下さいます。主題は「愛があれば平和になる 神を愛する」です。

 

【シンポジウム:愛があれば平和になる 神を愛する】(奉仕委員会の援助者 セス・ハイアット)
どう思いますか。愛と平和の間には何か関係があるでしょうか。もしあるなら平和を得る上で愛はどんな役割を果たしますか。聖書が述べるところによれば愛は平和を得るのに欠かせません。それは本当に大切です。それで私たちは愛を示すようにします。聖書を学んで知っているように人間は神に似た者として造られました。私たちが愛を示すことができるのはそのためです。でもご存じのように私たちが住んでいる世界には愛についてゆがんだ見方が見られます。それに私たちは不完全です。それで注意しないと私たちの見方もゆがんでしまいます。どうすればそれを避けられますか。愛し方をエホバに教えていただくことによってです。その点でエホバ以上の方はいません。聖書によれば「神は愛」です。エホバは創造者で私たちのことを私たち以上によく知っています。そして行うこと全てに愛があふれています。その方が愛について教えてくださるのです。どのようにですか。ご自分の言葉聖書によってまたご自分の素晴らしい手本によってです。エホバを知るにつれて本当の愛とは何かが分かってきます。そして愛を行動で表す点でイエスに倣えます。私たちがそうするなら本当の平和を味わえます。このシンポジウムで愛があれば平和になることを学びます。神への愛、隣人への愛、聖書への愛がどのように平和につながるかです。まず神への愛を考えます。平和を味わうために愛はどれほど大切ですか。イエスが、マタイ22章で述べた言葉からその答えを知るヒントが得られるので見てみましょう。


⇒好々爺ハイアットが出てきましたねぇ。元巡回から奉仕委員会の援助者への華麗なるステップアップ、オメデトウゴザイマス。

マタイ22:37を読みましょう。まず文脈を見てみるとこの時イエスは律法に通じた男性からこう質問されました。「律法の中で最も重要なおきてはどれですか。」答えに注目しましょう。「イエスは言った。『「あなたは心を尽くし知力を尽くし自分の全てを尽くしてあなたの神エホバを愛さなければならない」。これが最も重要な第一のおきてです。』」「あなたの神エホバを愛さなければならない。」命令です。エホバを愛することはとても重要でそれは生活の中で最も大切な関係です。どんな人間との関係よりもどんなものよりも大切です。エホバを愛したいと思いますが、どれほどですか。イエスは「心を尽くし」と言いました。どういうことでしょうか。続く言葉と合わせて考えるとイエスが使った「心」という言葉はここで人の気持ち感情欲求を指しています。神への愛に感情が関係するということですか。その通りです。でも神への単なる愛情以上のものが関係しています。なぜそう言えますか。聖句を見ましょう。イエスはここで「自分の全てを尽くして」とも言っています。それで持っているもの全てを使ってエホバを賛美し神への愛を表します。もう1つあります。「知力を尽くし」ともイエスは言っています。私たちの思考力が関係しています。私たちは時間を取ってエホバのお考えを知るようにしそれに自分の考えを合わせます。エホバと同じように考えたいと思います。エホバがどんな方で私たちにどんなことを求めておられるか。そしてエホバの目的を理解したいと思います。このような愛について考えてくるとそれに何が含まれるかは明らかです。考え言葉行動全てが含まれます。このような愛によって私たちは神との友情を持つことができます。それは神との平和をもたらします。つながりが見えてきましたね。心と知力と自分の全てを尽くしてエホバを愛するなら神との平和が得られます。そして神との平和があれば心の平和と周りの人たちとの平和も味わえます。どうしてですか。エホバを愛するとエホバに倣いたいと感じます。エホバが持っている性質を身に付け示すよう努力します。例えば辛抱、親切、温和です。そうした性質はほかの人を引き付けほかの人との平和を築くのに役立ちます。皆さんも神と平和な関係でいたいと思われるでしょう。でも平和が奪われそうになる時もあります。ストレスを感じることもあればひどい扱いや不公正な扱いを受けたり悪いことをされたりすることもあるかもしれません。そんな時平和が奪われかねません。それで考えるべきなのはエホバに喜ばれる仕方でその状況に対処するか、それとも自分のやり方で何とかするしかないと思ってしまうかです。では次のビデオである家族がエホバの主権に対する愛と敬意を思い出させる聖書の記述から力を得る様子を見てみましょう。

⇒こんな内容も、過去14万4千回ぐらい繰り返されてきましたけどね。で、次に、おそらくこの大会を通して、続けて流されるであろうビデオの冒頭部部分です。

(ビデオ)オリビア!オリビア!早く!学校に遅れるわよ。ありがとう。奉仕行ってくる。行ってきます。じゃあねお母さん。はい頑張ってね。行ってきます。今日も投票よろしく。オリビアはジェイクとすると思う?しないでしょ超真面目だもん。真面目ぶってるだけだって。ほんとはすごいんだから。だよね。わあ、なんかすごいこっち見てる!よしじゃあこれで上げちゃおう。オッケーできた。ねえみんな…来た?うん。すげえな。ねえみんな…まじ受ける。うわー。ねえみんなブルックだよ。アマンダです。来た来た、誰だと思う?オリビアです。でジェイク。今日も投票よろしく。オリビアはジェイクとすると思う?しないでしょ超真面目だもん。真面目ぶってるだけだって。ほんとはすごいんだから。あこっち見るかな?あ見た!超受けるんだけどなんて書く?さあね。男子に興味あんの?レズなんじゃない?ほんとだ。そうだね。みんな書いてくれてる!みんな見たんだ!まだ未経験なんじゃないの?ちょっと見てもいい?あもちろん。どうぞ。「いつまでも幸せに暮らせます。」へえどうやって?そうですよね、実は神様が…いやいやいやいやいや、神じゃなくてあんただよ。あんたは何やってんの?私?あ人を助けようと…助ける?そこに突っ立ってるだけじゃないか。こっちは自分たちの権利のためにもっとやってるんだ!あ私は中立を…中立?そんなのないんだよ!臆病者!こんなもんごみだ。どうだった?カートの奉仕大変だった。でも大丈夫。ねえみんなブルックだよ。アマンダです。来た来た、誰だと思う?オリビア…オリビア何かあったの?ねえみんなブルックだよ。アマンダです。来た来た、誰だと思う?オリビアです。でジェイク。今日も投票よろしくオリビアはジェイクとすると思う?しないでしょ超真面目だもん。真面目ぶってるだけだって。ほんとはすごいんだから。あこっち見るかな?あ見た!うーん大変だったね。あのね、パウロが経験したことを思い出したの。確か「使徒の活動」の16章23節「そして何度も打った後2人を牢屋に入れ牢番に厳重に見張っておくよう命じた。そのような命令を受けたので牢番は2人を奥の牢屋に入れ足かせをはめた。しかし真夜中ごろパウロとシラスは祈ったり歌で神を賛美したりしていて囚人たちはそれを聞いていた」。なんで歌おうと思ったんだと思う?エホバを愛していたのよね。そのことを考えてどんな気持ちになったと思う?平和?穏やかな気持ちかな?そうね。もうちょっとみんなで続きを見てみようか。いいよ。うん。

⇒まぁ、アラフィフの私としましては、現代に学生JWじゃなくてよかったなとは思いますけどね。色々辛いこともあるでしょうよ。しかし、SNSで嫌がらせ受けてる10代の子どもに、パウロとシラスの話をするかねぇ…。

どうでしたか。子供たち2人とも大変そうでしたね。オリビアは学校でガブリエルは伝道でです。どのように対処すればこの状況でエホバとの平和を保てますか。大切な点です。大変な状況になる時私たち皆がこの点を考える必要があります。私たちはエホバの方法が最善であることもエホバの統治が最善であることもよく分かっています。でも難しい状況に置かれると例えば不公正な扱いやひどい扱いを受けたり悪いことをされたりすると自分のやり方で何とかするしかないと思うかもしれません。でもそうすると平和を失いかねません。ではエホバの主権に対する敬意をどのように表しますか。ローマ12章にあるアドバイスが役立ちます。見てみましょう。ローマ12章の17節からです。「悪いことをされても」と書かれています。そんな時にどうしたらよいと述べられているでしょうか。「悪いことをされても決して仕返しをしてはなりません。どうすれば誰の目から見ても良いことを行えるかを考えて下さい。できる限りのことをしてどんな人とも平和な関係でいるようにしましょう。」つまり平和をつくり出すということです。この言葉からエホバが無理な要求をされないことが分かり本当に感謝が深まります。なぜそう言えますか。エホバは私たちにできないことをするよう求めてはいないからです。平和をつくるためにエホバが求めているのは何ですか。できないことではなく「できる限りのこと」とあります。ほかの人はコントロールできませんが自分自身、自分の反応はコントロールできます。エホバはそれを求めておられます。

⇒でも、その「できる限りのこと」が限りなく高い要求だってことね。

続く19節にこうあります。「愛する皆さん復讐してはなりません。神の憤りに任せましょう。」なぜですか。「『「復讐は私がすることであり私が報復する」とエホバは言う』。と書いてあるからです。」まとめるとこうです。平和をつくり神の憤りに任せましょう。復讐するかどうかいつ誰に復讐するかは神に決めていただくのです。言うのは簡単です。でもそうするのはいつでも簡単ですか。いいえ。ダビデ王の手本はこの点でとても役立ちます。何も悪くなかったのにダビデはサウル王に憎まれ命を狙われるようになりました。そしてサウルは何度もダビデを殺そうとします。ダビデは何年も逃亡生活を送りその間に機会が開かれてもサウルに手を出し殺すことはありませんでした。そうしたとしても正当化できたでしょう。でももしサウルを殺していたら平和を特にエホバとの平和を失うことになったと思いませんか。そうです。ではダビデはどうしましたか。ある時部下たちに言いました。「私の主人にエホバが選んだ人に…このようなことをするなどエホバの観点からは考えられないことです。」何が分かりますか。ダビデは自分とサウルの関係以上のものを見ていました。エホバがどうご覧になるかを考えました。サウルが正されるべきならエホバがご自分の時にご自分の方法でそうされると分かっていました。それでダビデは辛抱し平和を保つことができました。神との平和心の平和周りの人たちとの平和です。素晴らしい手本です。私たちもエホバの主権に敬意を払うことによりエホバを待つことによりエホバへの愛を表すなら平和を味わえると確信できます。エホバはご自分の民を祝福し平和を与えると約束してくださっています。では心と知力と自分の全てを尽くしてエホバを愛し、またエホバを待ち、エホバの主権、物事の行い方に敬意を払うことによりエホバへの愛を表していきましょう。そうするなら神が与えてくださるこの上ない平和を味わえます。人事委員会の援助者ラルフ・ウォールズ兄弟がシンポジウムの次の話をして下さいます。「愛があれば平和になる 隣人を愛する」。

⇒サウルの命を容赦した時は、「エホバの観点からは考えられないことです。」とか言ってるくせに、バテシバが水浴びしてた時は、ピーピングトムよろしく、一部始終をガン見してたという怪。

【シンポジウム:愛があれば平和になる 隣人を愛する】(人事委員会の援助者 ラルフ・ウォールズ)
終わりの時代によく見られる特徴を予告したテモテ第二3章には「人々は自分を愛し」と書かれています。自分を愛するのは間違ったことですか。いいえ。自分を適度に愛するのは普通で必要なことでもあります。イエスも「隣人を自分自身のように愛さなければならない」と言いました。これは後ほどさらに考えます。しかし最初に述べた愛はゆがんだ自己中心的なものです。それによって隣人を愛するのが難しくなるので平和が妨げられます。ある聖書学者たちによるとパウロがテモテ第二3:1-5で自分を愛することを最初に挙げたのは後に続く悪い性質全てがそこから来ているからです。そうした性質もやはり平和を妨げるものとなります。例えばテモテ第二3:3にあるように、「全く人に同意しようと」しないなら「怒り憤りわめき暴言など」につながることがあります。そのように自制心がないと平和ではなく「争いを引き起こし」ます。一方隣人を愛するならそれと逆の結果、本当の平和につながります。マタイ22章をお開き下さい。36節を読みましょう。律法に通じたパリサイ派の人がイエスを試して言います。「先生、律法の中で最も重要なおきてはどれですか。」前の話で詳しく取り上げられたようにイエスは37節でこう答えます。「あなたの神エホバを愛さなければならない」。でもイエスは質問に答えるだけでなく2つ目のおきても述べました。39節を読みましょう。「第二も同様でこうです。『あなたは隣人を自分自身のように愛さなければならない』」。イエスによるとこの2つのおきて、神への愛と隣人への愛はつながっています。


⇒ベテル新入者向けの道徳ビデオで、ゲイリー・ブローがB向けに、こやつがS向けにレクチャーしておりましたけどね。画面映りがすこぶる悪いすね。もう少しダイエットした方がいいんじゃね?とは思いますが。まぁ、美味いもん食ってんでしょうよね。

では「隣人」とは誰のことですか。どうぞルカ10章をお開き下さい。「私の隣人とはいったい誰でしょうか」。という質問に答えイエスは隣人として行動したサマリア人の有名な例えを話します。この例えの背景として当時ユダヤ人はサマリア人を軽蔑していました。例えの中でサマリア人はユダヤ人の男性を助けるためたくさんのことをしました。ユダヤ人は強盗に襲われ半殺しにされていましたが、仲間のユダヤ人は知らないふりをして通り過ぎていきました。イエスの話を聞いた人たちは驚いたことでしょう。ルカ10:33,34にはこうあります。「ところがその道路を通っていたあるサマリア人は、そこに来て彼を見るとかわいそうに思いました。それで近寄り傷に油とぶどう酒を注いで包帯をしてあげました。それから彼を自分の家畜に乗せ宿屋に連れていって世話をしました。」そして36節でイエスは心を探る質問をします。「この3人のうち誰が強盗に襲われた人にとって隣人になったと思いますか。」37節の言葉は今でも当てはまります。あなたにも私にもです。「行ってあなたも同じようにしなさい」。そうです。隣人とは家族やクリスチャンの兄弟姉妹たちだけでなく日常接する全ての人のことです。それで私たちは自分たちとは異なる人種、民族、国籍、宗教の人も愛します。その愛をどう示せますか。ご一緒にローマ13章を開きましょう。隣人を愛しているので平和を乱すようなことをしないようにします。私たちはローマ13:8-10にある神からのアドバイスを真剣に当てはめるようにします。「誰に対しても義務を負わないようにしましょう。ただし愛し合うことは別です。人を愛する人は律法を実践しています。『姦淫をしてはならない。殺人をしてはならない。盗んではならない。貪欲になってはならない』という命令もほかのどんなおきても『隣人を自分自身のように愛さなければならない』という言葉に要約されるからです。愛があれば隣人に対して悪いことを行いません。ですから愛があれば律法を実践していることになるのです。」それで私たちには平和な仕方で人に接する責任があります。不親切に扱われてもイエスに倣うよう努力します。イエスは侮辱されても仕返しをせず苦しめられても相手を脅しませんでした。平和の統治者と平和の神に倣う時、得られるのは、心の平和です。次のビデオを見てひどいことをされても隣人愛を示した使徒パウロの手本から学んでいる家族に注目しましょう。

⇒でも、排斥者・断絶者には、欧州でも人権侵害認定されてても、絶対に愛を示さないんですよねぇ?その自己矛盾に気付かないんかな?

(ビデオ)あんたは何やってんだよ。臆病者!突っ立ってるだけじゃないか。中立?そんなのないんだよ!臆病者!突っ立ってるだけじゃないか臆病者!こっちは自分たちの権利のためにもっとやってるんだ!臆病者!ガブリエル今日何があったの?前にも伝道で怒鳴られたことはあったけど今日はほんとにもうなんて言うか…あの子たちの所に行って携帯壊したか。った。しなくてよかった。うんでもちょっと後悔してる。なんかすっごい腹が立っちゃって。大丈夫よ。続きを読みましょう。26節からだったわね「突然大きな地震が起きて牢屋が土台から揺れた。その上全ての戸が直ちに開き皆の鎖やかせが外れた。牢番は目を覚まして牢屋の戸が開いているのを見ると囚人たちが逃げてしまったものと思い剣を抜いて自殺しようとした。しかしパウロは大声で『やめなさい。皆ここにいます!』と叫んだ。牢番は明かりを持ってこさせてから中に駆け込み震えながらパウロとシラスの前にひれ伏した」。地震の前牢番がパウロにした仕打ちを考えて牢番を憎んでも仕方がなかったよね。うんでもそうしなかった。きっと自分のことより牢番の気持ちを考えたんだと思う。パウロは隣人を愛していて命を助けようとしたんだ。ちょっと来て。おいなんでまたここに立ってんだよ?この間言ってたことその通りだと思いました。不公正を見ながら何もしないっていうのは良くありませんよね。だったら俺たちみたいに行動しろよ。私は別の方法で世界が変わると考えて活動しているんです。その方法が聖書か?そういうイメージないかもしれませんが1つだけ見ていただけますか。1つだけな。私はこの言葉を読んでこういう活動をしようと思ったんです。マタイ24:14です。「そして王国の良い知らせは全ての国の人々が聞けるように世界中で伝えられます。それから終わりが来ます。」

⇒いや、絶対こんな結末にはならんから。私、バプって30年以上のエンホーですけど、公の証言(カート奉仕)って未経験なんですよ。そして、今後も絶対やらないと決めている。だって、無駄だし、晒しモンじゃん?このビデオ見て、「カート奉仕やってみたい!」って名乗り出る若いJWが居るんかな?と。

ビデオの中の場面でパウロは牢番に復讐することもできたでしょう。でもひどい仕打ちを受けたにもかかわらず隣人愛を示しました。これは牢番に大きな影響を与えエホバへの賛美につながりました。私たちは不完全なので隣人愛を育てるため懸命に努力しなければなりません。使徒ペテロに起きたことがこれをよく示しています。ペテロはイエスの弟子になる前ユダヤ人でない人と交友を持ちませんでした。でもクリスチャンになった後、神からユダヤ人と異国人の間の壁は取り除かれたと教えられそれを理解しました。使徒10:34,35でペテロはこう言っています。「神が不公平ではないことがよく分かりました。神を畏れて正しいことを行う人はどの国の人でも神に受け入れられるのです。」ペテロはクリスチャンになった異国人の家に何日かとどまりその後もユダヤ人でないクリスチャンたちと食事をしていました。しかし13年後シリアのアンティオキアにいる時ペテロは突然異国人のクリスチャンとの交友をやめます。変化を受け入れないユダヤ人のクリスチャンの反応を恐れたのです。偏見というのが根深いものであることが分かります。取り除くには努力し続けなければなりません。他の人に対してエホバのような公平な見方を持つ必要があります。エホバのように他の人に接しましょう。イエスは言いました。「あなたたちはこう命じられたのを知っています。『隣人を愛し敵を憎まなければならない』。しかし私は言います。敵を愛し続け迫害する人のために祈り続けなさい」。

⇒ただ、現代のJWだって、アンティオキアのペテロ以上に、コロッと態度豹変させちゃう輩は多数おりますよ。自分にメリットがあると思えば、約束だって反故にするし、普段はしない握手だって、両手でしちゃうチョロを、オレは1914人ぐらい知っている。

それから山上の垂訓の続きのマタイ5:45に記されているようにそうした愛を示す理由を説明します。「自分が天にいる父の子であることを示すためです。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるのです。」聖なる力が生み出すこの愛は世の中で広く見られる愛と大きく違います。より高い原則に基づいています。イエスは罪人でさえ良くしてくれる人には良くすると言いました。でも私たちは「天にいる父の子であることを示すため」違っていなければなりません。神とキリストが迎え入れてくださったように私たちも他の人を迎え入れます。ローマ15:7はこう勧めています。「キリストが皆さんを迎え入れてくださったように互いを迎え入れて下さい。」ここのギリシャ語が言っているのは家や友達の輪に迎え入れるなど親切にまた手厚く迎えるということです。愛が育てば偏見は枯れていくのです。私たちは皆かつていわばよそ者で神から遠く離れていました。でもエホバは「愛の綱」で私たちを引き寄せて下さいました。キリストが迎え入れて下さいました。いわばドアを開いて神の家族に加われるようにしてくれました。イエスが、不完全な私たちを親切に迎え入れてくださったのですから、私たちが誰かを退けることなど考えられません。愛する兄弟姉妹の皆さんこの邪悪な体制の終わりが近づくにつれ分裂、偏見、敵意は増していきます。でもエホバに仕える私たちは「天からの知恵」に従い差別をしたりせず平和を求めます。私たちは喜んでほかの国の人々との友情を育んで文化の違いを受け入れできるならその人たちの言語を学びます。そうするとき平和は「川の流れのように」豊かに公正は「海の波のように」豊かになります。私たちは「全ての人に特に…兄弟姉妹に善いことを行い」ます。隣人への愛に動かされて他の人のために犠牲を払いあらゆる機会に良い知らせを伝えます。私たちの主人イエスは言いました。「私があなたたちを愛した通りにあなたたちが互いを愛することこれが私のおきてです。」隣人を愛することによってどんな良いことがありますか。ヨハネ15章でイエスが、答えています。8-10節を読みましょう。まず8節です。1つ目「あなたたちが多くの実を結び続け私の弟子であることを示すことによって私の父は称賛を受けます。」2つ目9節「父が私を愛したように私はあなたたちを愛しました。いつも私に愛されるようにしていなさい。私のおきてを守るならいつも私に愛されます。私が父のおきてを守っていつも父に愛されるようにしているのと同じです。」執筆委員会の援助者ロバート・シランコ兄弟がこのシンポジウムの最後の話をします。主題は「愛があれば平和になる 聖書を愛する」です。

⇒終わりが近づくと、分裂、偏見、敵意が増すんですか?それは会衆内に限ったことじゃねぇのか?

【シンポジウム:愛があれば平和になる 聖書を愛する】(執筆委員会の援助者 ロバート・シランコ)
4000万冊もの本が並んでいるのを想像できますか。これは1300キロにおよぶ本棚を埋め尽くすほどの数です。米国ワシントンDCにある議会図書館の話です。世界最大の図書館といわれるその場所にはそれだけの数の本があります。その中で一番読む価値がある本はと聞かれたら何と答えますか。使徒パウロに答えてもらいましょう。パウロはテモテへの第二の手紙3:15で「聖なる書物…はあなたを賢くしキリスト・イエスへの信仰による救いを得られるようにします。」と言っています。パウロが言っていたのは神ご自身の言葉聖書のことでした。聖書は救いを得るのに必要な知恵を与えてくれるので世界で一番価値のある本です。本というものにそれほどの力があるのでしょうか本とその著者との関係についてギルバート・ハイエットという作家がこう述べています。「本というのは命のない紙の束ではなく本棚に並ぶ生きた知性である。それぞれが声を発している…。それで1冊手に取って開くと著者の声が時間と空間を超えて聞こえてくる。そして著者の考えや気持ちが私たちの考えや気持ちに影響を与える。」本棚からこの本聖書を取り出して開くとその著者であるエホバの声が聞こえてきます。エホバの考えや気持ちも伝わってきますか。その通りです。


⇒このグレーの聖書もどきを読んで、神の声が聞こえてきたとしたら、それはもう幻聴だよ。

エホバはエレミヤ29:11でこう言っています。「私はあなたたちのために自分が行おうとしていることをよく知っている…良い将来と希望を与えたいと思っている」。格言27:11ではこう言っています。「賢くあって私の心を喜ばせよ。私をあざける者に私が答えるためである。」エホバが聖書という貴重な本を与えてくださったことに感謝できます。それによってエホバの考えや気持ちを知りエホバに近づき永遠の命を得る方法を学べます。私たちはエホバを愛しているので聖書を通してエホバが言われることも愛し大切にします。詩編119編の作者はまさにそのように感じていました。どうぞ聖書の詩編119編を開いて161節をご覧下さい。詩編119:161の後半にこうあります。「しかし私の心が畏れるのはあなたの言葉」さらに167節と168節も読みましょう。「あなたの教えを守りこよなく愛する。あなたの命令と教えを守る。私がすることをあなたは全て知っている」。この聖書筆者は神の命令と教えを単に冷たい法律を並べたものとは見ませんでした。それを重荷とも考えなかったに違いありません。それが最高の生き方をする土台となるということを知っていました。それで神の命令と教えを学ぶだけでなくそれを守りたいという願いも持っていました。この詩編から分かるように神の言葉こそ学ぶ価値があり神の命令と教えを知っていればそれ以外の全てのことを知っている人よりはるかに賢くなることができます。165節にも注目しましょう。165節「豊かな平和はあなたの律法を愛する人たちのもの。その人たちはどんなものにもつまずかない」。これが聖書を愛する大きな理由です。それに従えば平和になるということです。誰もが平和を願っていますが、どうすればそれを得られるか聖書から分かります。それで聖書に従うことを選び試練に直面するとしてもそうします。試練によって心の平和が奪われそうになる時もです。エホバは私たちが毎日の生活で経験することをご存じで助けて下さいます。エホバの言葉を愛してそれに従うなら人の言動や生活で生じる他の事柄によってつまずくこと信仰を妨げられることはありません。聖書への愛があればどのように平和になりそれを保てますか。「聖書全体は神の聖なる力の導きによって書かれた」のでどんな場面でも役に立ちます。神は私たちよりはるかに知恵のある方で聖書を読むと物事を神の高い観点で見ることができます。預言者イザヤがイザヤ55:8,9で書いた通りです。どうぞイザヤ55:8,9をお開き下さい。こうあります。「私の考えはあなたたちの考えとは違いあなたたちの行いは私の行いとは違う天が地より高いように私の行いはあなたたちの行いより高く私の考えはあなたたちの考えより高い」どうですか。エホバの考えや言葉は人間よりはるかに優れているのです。エホバは聖書を通して人間とコミュニケーションを取る時人間が理解できるようにご自分の考えを分かりやすく表現されます。エホバの言うことを取り入れていくと自分の考えをエホバの考えに合わせられます。聖書を読むのは鏡を見るようなものです。聖書の言葉によって自分が本当にどんな人かを見ることができ自分の態度や行いのどこを調整したらいいかが分かるからです。これがどう役立つかをこのシンポジウムで見てきました。2つのビデオでやもめの母親は自分の10代の子供たちがほかの若者から圧力を受けても屈しないよう聖書を使って助けていました。息子のガブリエルは公共エリア伝道の時に、いかつい若者たちから臆病者と言われていました。娘のオリビアはクラスの男子とデートをする気がないことでほかの女子からいじめられていました。とても難しい状況でどのように平和を保てるかについて母親は聖なる力の導きによって書かれた使徒パウロの投獄に関する記述を使って教えていました。それはオリビアとガブリエルにとってとても役立つ内容でした。では娘が平和を失うような行いを避けるよう母親が聖書の別の記述を使ってどのように助けるか見てみましょう。

⇒だからね、一般の人は、年がら年中デートに誘ったり、カート奉仕しているJWの所に来て、いちゃもん付けたりしないの。そういうステレオタイプで物を見ちゃダメなんだよ。さっき、偏見は良くないって言ってたろ?

(ビデオ)来た来た。誰だと思う?オリビアです。でジェイク。オリビアはジェイクとすると思う?ほんとはすごいんだから。男子に興味あんの?レズなんじゃない?まだ未経験なんじゃないの?オリビア大丈夫?なんで、なんで、こんなことするのか分かんない。別に仲良くもないのに。また同じことされたらどうしたらいいか…きっと大丈夫。頑張れる強さを持ってるじゃない。自分ではどうにもできないように思うよね。ねえ聖書の別の話を思い出したんだけど。シュラムの乙女について勉強したの、覚えてる?うん覚えてる。誰がアプローチしてきた?ソロモン。でも彼女にその気はなかった。私がジェイクに興味がないのと同じで。でもソロモンだけじゃなかったわね。ソロモンの宮廷にいた女性たちもソロモンの申し出を受け入れるよう言ってきた。でもなんて答えたんだっけ?「ソロモンの歌」2章。「エルサレムの女性たち、皆さんはガゼルや野の雌鹿の美しさが分かる女性。誓って下さい。私の愛を無理に呼び起こさないと。」いろんな圧力があって。彼女は圧力に負けちゃったか。しら?負けなかった。誰に何を言われても言いなりにはならなかった。「私は城壁」とも言っているわね。あなたも同じように強くなれるわよ。そう思っていれば気持ちを強く持って行動できるわね。あなたならできる。ねえみんなきのうの続き。オリビアはまだジェイクとやってないみたい。オリビア彼氏募集中。動画アップしたよ。いいね押してね。自分たちと同じことをさせようとしてるだけなんだ。ねえみんなきのうの続き。オリビアはまだジェイクとやってないみたい。私はあの子たちの言いなりにはならない。正しいことをしていれば平和な気持ちでいられる。私は屈しない。「私は城壁」。

⇒何が「城壁」だよ。そんな事言うJW若者姉妹なんていないから。(※感想には個人差があります。)

母親はシュラムの乙女の手本を思い出しました。その乙女はソロモンの申し出を受け入れるよう宮廷の女性たちから圧力を受けました。でもシュラムの乙女はほかの人の言いなりになったりせずしたくないことをさせようとする圧力に負けませんでした。オリビアは要点を理解して言いました。「正しいことをしていれば平和な気持ちでいられる。私は屈しない私は城壁」。明らかに母親は聖書を本当に愛し、よく知っていて圧力に屈しないよう子供たちの考えを導くために聖書を穏やかに上手に使っていました。今では多くの人が聖書のことなどお構いなしで見向きもしません。でもモラルが低下しても私たちは聖書にしっかり従って神の聖なる考えに沿って行動し神の基準に従う決意を強めなければなりません。これはまさにローマ12:2で使徒パウロが勧めている点です。ご一緒にローマ12:2の言葉を読みましょう。こうあります。「そして今の体制によって形作られるのをやめて下さい。かえって考え方を新しくすることによって自分を変化させましょう。それは神の善い意志喜ばしい完全な意志を見極めるためです。」聖書から力を得て世に抵抗し堕落した習慣を退け自分を制して悪い行いをしないようにしましょう。私たちは神の善い意志完全な意志を見極めると神にしっかり従うのが最善の生き方であることも認めるようになります。聖書の教えを生活の中で当てはめることは必ず真の平和という結果につながります。でもエホバの言葉が生活に影響を及ぼすには聖書を毎日読んでそのアドバイスが、なぜためになるかをじっくり考える必要があります。読んでいる内容をじっくり考えられるペースで読まなければならないということです。大切な点を記憶にとどめるのにそれは役立ちます。

⇒毎日聖書を読んでんなら、何で年次総会でJ・ジャクソンは、マガダンでのイエスの奇跡について、全くトンチンカンな説明をしたのさ。統治体が聖書読んでない証拠じゃん?しかも、その内容も、訂正もしないで、そのまま放送しちゃうしさ。

ある兄弟は聖書を毎日読む理由を尋ねられてこう答えました。「日中何度もエホバに祈りそれを聞いてくださるよう期待するのであれば自分も毎日聖書を読んで神の言葉に耳を傾けるべきだと思います。良い友でいたければこちらばかりが話すことはないはずです。」確かにその通りですね。聖書を読むならエホバの声を聞くことができそのようにしてエホバの見方を学ぶことができます。では毎日神に話していただくようにしていますか。聖書通読の効果性は自分の態度や行いに与える影響で測れます。平和が乱される時神の知恵と導きを求めて聖書を調べましょう。天に行くクリスチャンについてイザヤ54:13はこう預言しています。「あなたの子たちは皆エホバに教えられ豊かな平和を味わう」。この描写はキリストのほかの羊にも当てはまります。感謝すべきことにキリストの兄弟である「忠実で思慮深い奴隷」はこの大会を含め私たちを教える時聖書にしっかり従いその教えを曖昧にしたりはしません。私たちが受ける教えはいつもエホバの高い道徳基準に沿ったものでエホバの教えを受け入れる時豊かな平和を味わうことができます。イザヤが書いた別の預言も今日実現しています。イザヤ2:2-4です。終わりの時代の幻の中で全ての国の人々がエホバを崇拝します。なぜでしょうか。イザヤはこう書いています。「神はご自分の道について教えてくださる。私たちはその道を歩もう」。どんな結果になりますか。こうあります。「彼らは剣をすきに、やりを鎌に作り替える。国は国に向かって剣を振り上げず彼らはもはや戦いを学ばない」。善い神であるエホバは不完全である私たちに世界中で本当の平和を実現する方法を教えてくださっています。ご自分の言葉である聖書を通してです。神に教えられるのは本当に素晴らしいことです。何かの問題が起きて個人家族会衆の平和が脅かされるとしても聖書に解決策があると確信できます。このシンポジウムで学んだようにエホバと隣人と聖書への愛を持ち続けるなら神の新しい世界で永遠に平和を味わうことができるでしょう。

⇒じゃぁ、何で世界中のJW会衆で、小競り合い、嫉み、嫌がらせが横行してるのさ。

ということで、まずはパート1でございます。皆さんの会衆では、今週の土曜の奉仕の後とか、グルで話し合ったりするのでしょうか。あるいは、日曜の集会が終わった後に討議がなされたりするのでしょうか。いずれにしましても、全6回の放送×パート1,2=12記事をアップしていく所存でございますので、「ここはこうした方が復習しやすかった。」、「犬猫、お前のコメントなんかいらん。」等々、ご指導・ご鞭撻いただければ適宜ブラッシュアップした記事にしていきたいと存じます。それでは、パート2に続きます。