(荒川) けがで得たもの。
(高橋)メンタルと、体の面(柔らかさ)。ジャンプは跳びにくくなった。でも五輪を体験して、久しぶりにみんなと勝負できていると感じて、五輪後にやめようと思っていたのが、もうちょっとやりたいな、と思えるようになった。
(荒川) 本田コーチは、02年の世界選手権で初めてメダルを取った。
(本田)あの頃は、ヤグディン、プルシェンコ(ともにロシア)がいて、鉄壁な時代だった。その影響か、02年世界のショートプログラム(SP)最終グループは、全員が4回転ジャンプノーミス。4回転‐3回転の連続ジャンプが5人。4回転跳ばなければ最終グループに入る資格がないという時代だった。僕が4回転を3回やっても、やはりプルシェンコとヤグディンには勝てなかった。
(荒川) 記録への思い。日本人で前人未踏(の世界選手権連覇)は?
(高橋) 意識すると多分できない。
(荒川) 浅田選手は既にギネス記録保持者。
(浅田) トリプルアクセルを3度跳ぶことを目標にして、気づいたら、です。
(荒川) かっこいいね。私なんか女子最年長(金メダリスト)記録だよ。浅田選手が次回金メダルを取っても、破られない(笑)。では、将来の夢は。
(浅田) ソチ五輪に出たい。バンクーバー五輪ではすごく緊張したけど、選手村や、たくさんの人との出会いや、閉会式を経験して、五輪っていいなと思ったので。あの空気が、すごく面白い。あと、ちっちゃい子を教えてみたいです。
(高橋) 僕はスケートの方も人生の方も岐路に立っている。夢迷子みたいな感じ。自分のパフォーマンスができないと思ったら、滑りたくない。(現役後は)選手を育てたいし、ショーもやってみたい。以前は違う職業にも興味があったが、けがをして、五輪を通して、今はやっぱりスケートしかないと感じている。
そーかそーか。
これ全編ノーカットで読みたいんだが、しかし。
‘夢迷子’って高橋真利子か梅沢富美男か!?
もぉ、そんなところが、だがしかしなのよ(笑)