昨日に引き続き、機能不全家庭についてお話します。

 

 あれ?、もしかして、機能不全家庭で育っている子どもかな? と私が思ってしまう、学童にいる子供たちの特徴は、以下の通りです。

 

 おやつの時間や本を読む時間に暴れまわり、奇声を発し、歩き回る

 家庭内のように振る舞う(靴とランドセル投げっ放し・床で寝転んで本を読む等)

 お友達への攻撃や争いが絶えない、職員を馬鹿にした言動をとる

 

 これらの子どもたちの共通点は、一度や二度注意してもやめないこと。

 複数の職員で囲んで、根気よくかつ強めに注意しないと、やめません。

 可愛い側面もあるのですが、とても手のかかる子です。

 

 まあ学童が中途半端な位置づけだから、子供たちが気を緩ませ、あたかも家庭にいるかのような振る舞いをしてしまうだけかもしれませんけどね。

 

 私が他の学童に通っている職員から聞いた話では、学校でも気を張り、家庭でも気を張っているが、その代わり学童では大暴れする子どもがいたそうです。

 

 なんとも哀れな話です。

 

 実は、機能不全家庭で育ったと思しき子供たちの特徴が、手のかかる子どもだけではない、ということです。

 

 彼らは愛情不足(もしくは歪んだ愛情を受け続けている)の中で育っているため、寂しさでやりきれない気持ちと健全な愛情に対する渇望が顕著です。

 

 人の顔色ばかり窺ってしまう・「いい子」でいるために頑張り続けている、という子どもたちもまた、その特徴です。

 

 いずれにしても、このような家庭で育った子供たちは、いつしか自分たちもアダルトチルドレンとなってしまい、将来の自分の子どもに同様の行為をしてしまいます。

 

 まさに、機能不全家庭の連鎖です。

 

 子どもたちと接していて痛感するのは、家庭とはとても重要な役割を果たしているんだなあ…ということです。

 

 ある意味、船にとって港のような存在です。

 

 海に出て荒波に揉まれ、傷んだ船は港に着き、そこで修復されます。

 船乗りもまた、船旅の苦労を癒すかのように、港で酒を飲み、楽しみます。

 

 完璧な家庭など築くことはできませんが、せめて家庭の基礎を形成する保護者達は、子供という船を受け入れる港のような存在になってほしいなあ、と思う今日この頃であります。