ある日、学童クラブで、子供たちを受け入れる準備をしていました。

 

 洗面所に手洗いソープを並べ、ロッカーを水拭きし、出入り口に消毒用のボトルを置きます。

 

 ふと廊下に目をやると、体操服姿の一年生達が、元気よく体育館に向かいます。

 

 その中に、先生ではない補助スタッフに手をつながれて、一番後ろから歩いてくる子どもがいます。

 

 学童の子の一人でした。

 

 どうやら、体育館で運動をするのを嫌がっているようです。

 

 その子は学童で、一人で図鑑を読んだり、工作をしたりしています。

 表遊びの時も、大抵は一人で教室にいます。

 

 当たり前ではありますが、小学校でも、授業に参加できていないようです。

 

 以前昇降口で迎えに行ったときは、先生と手を繋ぎ、泣きながら姿を現しました。

 

 調子が悪かったようです。

 

 この子の行動特性は、皆と同じ行動がとれないことです。

 

 無理をして他の子と同じようにお勉強をさせようとすると、調子が悪くなってしまうのでしょう。

 

 学童では、無理に集団行動をとらせていないので、比較的楽しそうに過ごしています。

 

 さて、この状態を見て、一般人はどのように感じるのでしょうか?

 

 「単なるわがまま、甘やかしだ。」

 「その子の特性を認めてあげよう。」

 

 様々な見解があろうかと思います。

 

 実は教育現場では、このような子どもは珍しくありません。

 

 クラスに一人や二人はいます。

 

 集団生活に馴染めない子どものために、特別支援学級という少人数のクラスがあり、子供たち8人に対して一人の割合で先生が付きます。

 その先生も、特別支援の知識経験がある教員です。

 このクラスにいた方が、先生の目が行き届きやすくなります。

 

 しかし近年の傾向として、行動特性がある子も、普通学級でお勉強をするようになりました。

 親の希望もあるし、近年のインクルーシブ教育の一環でしょう。

 

 この近年の傾向に対し、私は異論を差し挟むつもりはありません。

 

 ただ気になるのは、集団生活に馴染めない子どもは皆と同じようにお勉強をしないので(自分の好きなことしかしない)、このまま普通教室にいると、子供の発達に応じた学習能力が身につかなくなる恐れがあるのです。

 

 お勉強の遅れは、取り戻すことが難しくなります。

 

 ちなみにその子は、言葉の遅れはありません。

 

 ただこのままいくと、掛け算や割り算を学ぶ機会を失うとか、漢字や文章を読む機会を失うとか、そちらの方を案じてしまいます。

 

 この子にとっての幸せな生き方は、今の状態を続けることなのか…。

 

 この子の将来を考え、長期的視野で見てあげた方がよいのではないでしょうか。