世間一般で「適当」というと、あまり良い印象を持たれません。

 「あいつ、適当だよな」

 「もういいよ、適当で」

 

 でも適当の本来の意味は、「ほどよく当てはまっている、ふさわしいこと」です。

 つまり、ある行動が目的にぴったりと合致しているさまを表しているのです。

 

 物流センターの話ですが、私が複数回っている中でも、適当にできないセンターがあります。とにかく、細かいのです。

 よく言えばきめ細やか、悪く言えば些末です。

 

 例えば、商品を袋詰めにするとき、商品の位置や向きをやたら気にする人がいますが、箱に入れて運送した段階で商品が動きます。つまり、その気遣いは無意味なのです。

 それ以外に、梱包の仕方にもセンター独特の「お作法」がありますが、梱包が壊れてしまったり崩れてしまったりする等の不都合がなければ、取るに足らないお作法です。合理性追求のためにやっているのだとすればむしろ逆で、働いている人の精神衛生上よろしくありません。ともすれば自己満足にもなりかねません。

 仮に商品を受け取った人の心証を害することがあったとしても、その確率は千に一つ、いや万に一つです。その不都合を回避するために膨大な手間をかけているのだとすれば、限りある人件費を浪費することにつながります。

 

 物流に限らず、日本人は適当にできない国民性です。

 

 確かに外国人観光客からすれば、きめ細やかなおもてなしが功を奏し、経済効果が高まります。ただしそれは、従業員の多大な労力の元に成り立っているのだとすれば、バランスを取る必要があるでしょう。

 

 電車もそうですね。よほど安全確認が好きなのでしょう、事あるごとに電車が止まります。そもそも電車が動いていること自体が危険なので、100%安全にすることはできません。まさに投入できる人員規模を勘案して、できる範囲内で、ということになるでしょう。鉄道職員が過労死するまでやることではありません。

 

 このような適当にできない人たちに、中国の有名な格言を送ります。

 

 「過ぎたるは及ばざるがごとし」

 

「るろうに剣心」