最近、悲しい写真ばかりだったから。

 

今日は五郎の全盛期の写真を、振り返りましょう。

 

 

今日の夕方。

 

五郎にお花が届いたんです。

 

五郎の骨壺はこれからもこの家にいます。

 

しばらくは食卓にいます。

 

いずれ準、帝、五月と並べて寝室に置きます。

 

そういえば五月は五郎の親戚だと、思うんですよね。

 

 

贈ってくれたのは、ベルギーに住む私の妹と姪です。

 

姪は五郎のことを、覚えていたようなのですよ。

 

会ったのは彼女が2歳のときだったんだけど。

 

猫に会う経験自体が珍しかったからでしょうか。

 

 

五郎、当時10歳。

 

私に子供はいませんでしたからね。

 

小さい子供に会うのは、五郎にとっても初めてのことだったのでしょう。

 

どうしてよいか、わからずに。

 

固まっておりました。

 

 

五郎がコタツに逃げれば、2歳児はまた追いかけてくる。

 

子供は容赦ありませんね。

 

私以外の人間に会うこと自体、珍しいことでした。

 

これは誰だろう????と、?マークが着きまくりの五郎でした。

 

 

布団の中に隠れてしまっても。

 

それでも追いかけられておりました。

 

いまとなっては懐かしい思い出です。

 

その2歳児が先週、幼稚園を卒業したというのです。

 

ベルギーは9月入学ですからね。

 

子供の成長は、早いものです。

 

そして猫が歳をとるのも…

 

 

昨日、一昨日と読者のみなさんから多くのコメントを頂戴しました。

 

ありがとうございます。

 

お返事できておりませんが、すべてありがたく拝読しております。

 

 

頂戴したコメントを読んでいて、気づいたことがあります。

 

インスタグラムでもブログでも、Twitterの方でも。

 

 

それは、猫をリンパ腫で亡くしたのは私だけではないこと。

 

もちろん猫を亡くしたことがあるのも、私だけではありません。

 

私だけが特段不幸であるわけでは、ありません。

 

私は無神論者ですが、仏教の説話に出てくるキサーゴータミーの話は好きでしてね。

 

子供を亡くした母親が、子供を復活させたくて。

 

仏陀に相談するのです。

 

 

死人が出たことのない家からケシの実をもらってくれば、復活させてあげられると仏陀はいう。

 

そこで母親はあちこち探し回るんだけど、見つけることができなくて。

 

そこでようやく、事実を受け入れる。

 

おおよそこういう話なんですけどね。

 

この話を私に教えてくれた祖母が死んだときも、思い出したし。

 

五郎の火葬を準備しているときにも、この説話を思い出したのでした。

 

 

ひとつ前の写真と、比べてみてください。

 

五郎は最後まで、私の膝の上に来るのを定番としていました。

 

正確には腿の間となりますかね。

 

私の腿の感覚はまだ、彼の重みを覚えています。

 

不思議なものですね。