初めての子供を失った日② | カフェんち

カフェんち

うし子です。
愛しの旦那カフェと
愛娘(猫)
モカ(三毛)とラテ(茶トラ)の4人暮らしです(*^▽^*)

2月20日→病院へ
先生に朝大量の出血があったことを伝え
すぐに診察

エコーで中を見ながら
先生は長い間沈黙していました。



ドラマとかでよくある
悪いことを言う前の沈黙。
あれって本当にあるんだなんて考えてました無気力ピスケ




先生「流産だね。心臓が動いてない」

聞きたく無かった言葉でした。
でもやっぱりそうだったんだ。
先生から直接その言葉を聞いて
初めて出来た子供を流産した。
愛する人の子供を。
その悲しさがこみ上げてきました。

その直後



予想外の
信じられない言葉が聞こえました。




先生「これ・・・ここ見える?双子だね」




先生が見せてくれた赤ちゃんのお家。




その中には紛れもなく2人の子供が見えました。




私は双子を妊娠していました。
その時の私は
悲しみの中に喜びが一瞬煌めいて
それが絶望に変わった。
そんな不思議な感情に襲われました。





子供が出来る前。
カフェさんと私は

双子だったらいいね!
誕生日も
私達と同じ9月か10月ならいいなぁ
でも2人とも双子は親戚にいないし
もし出来たら素敵だろうね〜

そんな話をよくしていました。






この子達は
聞いていたのかな?

双子で産まれてこようって

このまま無事に育っていれば
9月10月の出産予定だったそうです。





本当に?
死んでしまったの?
どうして。



先生は
初期の流産は私のせいでは無いとか
色々と言ってくれていました。

けど私はひたすら謝っていた
「ごめんなさいっごめんなさいっ」
子供にもカフェさんにも

その言葉しか出て来ませんでした。


失った
死んでしまった
涙が止まらなかった。
待合室に出てからも
人目もはばからず大泣きした。

看護師さんが見兼ねて来てくれたけど

ツワリが酷いの?と言ったことばが
なんだかとても悔しかった
ツワリならどれほど良かったか





先生に
手術をしなければならないと言われました。
母体が危なくなる為
この子たちを出さなければいけない。
そう言われました。

その為の検査。
レントゲンを撮らなくてはいけない。

でもレントゲン室の前で
私は動けなくなりました。


本当に?本当に死んでいるの?
本当は生きているんじゃ
まだ助かるんじゃ
レントゲンなんて撮ったら
赤ちゃんに影響が。

まだ信じられなくて。
そんなことがグルグルグルグル。



でも
そんな私の気持ちを分かるはずもなく
看護師さんに促され・・・

採血・心電図・レントゲンの検査を終えた。

2月22日に私は手術をする

実の親も妊娠は知っていた
ツワリの酷い時にカフェさんが連絡してくれていたから。

2月20日
今日は母親の誕生日だったのに
車の中で震えながら母親に電話をしました。
「母さん?・・・ごめんねぇ。私、流産しちゃったんだ。ごめんっごめんっ」
私も母さんもカフェさんも大泣きした。

その日は双子の写ったエコー写真を貰って
帰路につきました。

医療費:3690円




2月22日→手術日
カフェさんは仕事が休めず
母さんに付き添ってもらうことになりました。

ツワリは相変わらず酷くて
食事も取れずずっと嘔吐
実は心臓が動いて生きてるんじゃ?って期待もあったけど

その日のエコー検査でも
心臓は動いてくれませんでした。


9:00頃
子宮口を広げる処置をするために
検査室へ

これ・・・痛かったショックなうさぎ
処置の先生何も言わず突っ込むんだもの。
痛み止めか何かの薬も飲みました。
最初はズキズキと重い生理痛みたいな感じだったけど
そのあとはすぐ落ち着きました。

脱水症状も酷かった為
点滴をして
しばらく横になって待っていました。


そして
13時

とうとう時間に

車椅子で分娩室へ


出産するのと同じ台へ乗り

先生や看護師さんたちが周りをウロウロ

「うし子さんはお酒弱い?」
先生に聞かれ
弱いですと答えると
麻酔が点滴から流れるよう
準備を始めました。

とうとう始めるんだ。
そう思った瞬間、泣くまいと
我慢してた色々な想いが溢れて
またボロボロと涙が溢れてきてしまいました。

麻酔を入れるよ?と先生に言われましたが
前と違って熱くならず
全然効かないけど?と思って数秒後

私はいつの間にか眠っていました。









麻酔って色々違うんだね!
子宮筋腫取った時の麻酔は
痛いし熱かった大泣きうさぎ
血管に熱湯注ぎ込まれてる感じだったよカナヘイびっくり
それではまたカナヘイピスケ