『聖人たちの生涯』池田敏雄神父著、中央出版社
五月十一日 聖イシドロ農夫
ある種の技術や職業はだれにでもできるわけではないが、救霊を得ること(聖人になること)はだれにでもできる。それには神と教会のおきてを守り、すべての患難や試練をたえ忍びながら、自分の職務をできるだけ忠実に募たしさえすればよい。農夫のイシドロは別に世の耳目を引くようなことをしたわげでもなく、ただ「祈りつつ働け」ということばの生ぎた模範として、一見平凡とも見える生涯を送ったまでにすぎない。
イシドロは、一〇七〇年、スペインの首都マドリードに生まれた。家が貧しく幼時から父親の家業たる農業を手伝っていたので、通学の暇もなく読み書きもできなかったが、救霊のことについては両親の感化や聖霊の導きもあって人並みすぐれた知識を備え、おりあるごとに人の手助けをしていた。その後、イシドロは一家の貧窮を救うためにある豪農の農場に雇われていった。
そこでも彼はまず夜の明けぬうちに起き出て、聖堂に行っては熱心に祈ってから仕事に取りかかり、しばしば冬の寒さ、夏の箸さを忍びながら汗みどろになつて働いた。もちろん日曜日や祝祭日にはいっさい労働を休み、必ずミサ聖祭にあずかって説教を聞ぎ、熱心に聖体を拝領した。
ところが同じ農場の農夫たちは、イシドロのまじめな生活をねたんでか、「イシドロは信心にこってのら仕事に身を入れない」と主人に告げ口した。主人もそれをまに受けて、「そんな長たらしい信心をしていては定めし仕事もはかどるだろう」と、しばしばひにくっていた。そこで、あや日イシドロは、主人に「それでは、わたしの耕した畑と、他の人の耕した畑とどちらが多く作物がとれますか調べてください」と願った。主人はためしに調べてみて驚いた。日曜の務めを果たし、朝晩長い祈りをするイシドロの畑のほうが、主日も休まず祈りもせずにあくせくと働いた他の作男の畑よりも、ずっと収護が多かったのである。
おそらくイシドロも「わたしは植え、アポッロは水を注いだ。しかし成長させたのは神である。したがって植える者も水を注ぐ者もとるにたらない。ただとうといのは成長させてくださる神である」(コリント前3の6-7)という信念から、自分の労働に祈りを合わせていたのだろう。そのうえにイシドロが働くときには白衣の天使が手伝っていたとか、祈っているあいだには天使が代わって仕事をしてくれたといううわさまでたつようになった。
このことがあってから主人もイシドロを見なおし、信心深い娘をさがしてイシドロと結ばせてやった。やがてイシドロ夫婦は一子をあげたが早死にしたので、その後はお互いの同意で兄妹のような深い愛の生活を送ったという。真に神を愛する者は、当然他の人をも愛するはずだが、イシドロの場合もその例外ではなかった。彼は、ことばや行ないで他の人を傷つけないばかりでなく、自分は質素な生活をしながらもすすんで困っている人を助けたり、旅人をもてなしたりした。
ある日のこと、イシドロ夫婦が夕食をすませたごろ、こじきが食物を求めにやってぎた。イシドロは「何か食べるものが残っていないか」と妻に尋ねた。妻はとっさに「何もありません」と答えたので、「器をあけてよく捜してみなさい」とすすめた。妻は笑いながら、「もう食べてしまったからの器に何がありましょう」と言って、ふたを取ってみると、不思議にもその中にパンとやさいがはいっていたので、それを物ごいに与えたという。
イシドロの暖かい心は鳥や動物までにも及び、ある雪の降る日、木の上で飢えと寒さにふるえている小鳥を見て同情し、積もった雷をかき払9て麦粉を地画にまいてやったという。また彼は自分の職務に生ぎがいを感じ、南欧の太陽のじりじりと照りつけるもとで、やせた段々畑の耕作にまっくろになって働き、きわ.めて快活に日々の労苦を自他の罪の償いのためにささげるのであった。
どこにおいても心を高く天に倶げ、種まきのときには主の「種まき」のたとえを、小鳥のさえずりを聞いては「空の鳥」のたとえを、花の美しさを見て「野のゆり」のたとえを思い出し、大空や山々をながめては偉大なる神のみわざを黙想していた。こうしてイシドロは六十年の実り豊かな生涯を終えて、一一二〇年、眠るようにこの世を去った。