『聖人たちの生涯』池田敏雄神父著、中央出版社

五月五日 聖ボニファチオ

「ほどこしをして罪を消し、貧しい者たちをあわれんで罪を消してください。」(ダニエル4の24)四世紀の殉教者聖ボニファチオは、はじめ罪の生活を送っていたが、のち右の聖書のことばどおり、善業や殉教でりっぱに自分の罪を償った。

 四世紀、ローマにアグラエという裕福で美しい娘がいた。早く父母と死に別れた彼女は、独身のまま数百人の使用人にかこまれて、父母の残したばくだいな土地や建物などを管理していた。この使用人の中にボニファチオがいたのだった。堂々たる休躯、快活で万事に気転のきくところから彼女の気に入り、会計係りを勤めていた。

 そのうち彼はアグラエのなれなれしさに誘われ.、越えてはならない一線をも越えて、金と暇とにまかせてずるずると酒色の泥沼の中に落ちていった。しかしそうしたボニファチオにも、貧者に慈悲深いという一つのとりえがあった。そしてアグラエの承諾をえて、貧者にお金や食べ物を恵んだり、旅びとを丁重にもてなしたりしていた。「あわれみのある人はしあわせである。かれらもあわれみを受けるであろうから。」たしかに慈悲はアグラエ、ボニファチオの両人を助けた。

 当時東ローマ帝国では、ジオグレチアヌス帝の迫害(三〇四年)によって多くのキリスト教徒が虐殺されていた。アグラエは、これらの殉教者のおおしい最後を話に聞き、享楽におぼれたわが身に比べて恥しく、また死後の審判が恐ろしくなり、しだいに痛悔の情を起こすに至った。

 そしてある日、思い切ってボニファチオに「今日かぎり、わたくしたちの関係をきっぱり断って正道に立ち帰りたいが、どうでしょうか」と相談した。ボニファチオもそう考えていたので、アグラエは「この決心を守り、罪の償いを果たすため、ここにあるお金、衣類、医薬を携えて迫害に苦しむ信者たちを見舞いに行き、帰りには殉教者の遺骨をもつてぎてください。わたくしは聖堂を建ててその遺骨を納め、祈りと善業によって罪ほろぼしをするつもりです」と言った。

 ボニファチオは十二頭の馬に援助の品物を乗せ、部下二十人を従えて小アジアへと出発した。出発に際してアグラエに、「人の運命はどうなるものかわかりません。もしかしたら、わたくしが殉教して遺骨になって帰ってくるかもしれません」と冗談半分に言った。
 アグラエは強くこれを否定したものの、のちにそのことばが実現するとは、だれも予測できなかった。ボニファチオ一行は河を渡り、山を越え、ようやく小アジアに着き、聖パウロの故郷タルソの町に宿泊した。まず町のようすを見に、ボニファチオはひとりでぶらぶら広場に出た。するとちょうど総督シンプリチオが兵士に命じてキリスト信者を慮殺しているところであった。情け深いボニファチオは黙って見ておれず、思わず「キリスト信者にこれほどの勇気を与えたもう神は賛美すべきかな!」と叫んで、殉教者のもとにはせ寄り、これを慰め励ました。

 総督はこれを見とがめ、さっそく逮捕させて「おまえはどこの何という者だ」と尋ねた。ボニファチオは勇敢に身もとを明らかにし、キリスト信者であることを申しそえた。そのため鉄のかぎづめのあるむちで全身をたたかれたあげく、刀で切り殺された。

 宿舎では部下がボニファチオの帰りを待ちわびていた。また例の不品行でも姶まったのだろうと思う者もいたが、あまりおそいので一同さがしに出たところ、広場ぎんしたいに彼の惨死体を発見した。

 人びとから彼の殉教のありさまを聞き、大いに感動して、その遺骨をローマにもち帰った。アグラエは涙ながらに殉教者ボニファチオの遣骨をローマ近郊のわが所有地に葬り、のちその墓の上に聖堂を建てた。アグラエも熱心に信仰を守り、財産を貧者、病人に恵み、りっぱに罪の償いを果たして聖女となった。

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