『聖人たちの生涯』池田敏雄神父著、中央出版社

四月二十九日  シエナの聖カタリナ

 十四世紀、イタリアは、教臭党と反教皇党との対立によるはてしない内乱、ペストの流行、教皇のローマからの流謫などで最大の難局に直面していた。こうした混乱の中に「神は知恵者を恥ずかしめるため世の愚かな者を選び、強い老を恥ずかしめるために世の弱い者を選ばれた」(コリント前1の27)。それが染物屋のかよわい女性、シエナの聖カタリナにほかならない。

 一三四七年の春、イタリアはシエナのサン・ドミニコ教会の土手にはもう、白い小さなひなぎくが咲いていた。主の復活と聖母のお告げの祝日を祝う三月二十五日、いち染物屋に女の子が生まれた。父の名はジャコモ・ベニンカーサといい、おとなしい信心深い男だった。
 母のピアジェンティは、うるさい働ぎもの。かなりの財産家だったので二十三人の子どもたちにそれぞれ知徳両面のじゅうぶんな教育を授げた。なかでも末っ子のカタリナはかわいらしい快活な子だったので、みんなからオイフ・シネ(快活)という愛称で呼ばれ、子どもたちの中でも特に愛されてすくすくと育った。

 けいけんな彼女は自分の家の近くにあった聖ドミニコ会修道院の修道女の生活を見るにつけ、幼な心にその修道生活にあこがれをいだくようになった。そのうちカタリナは聴罪司祭のすすめもあって、一生を神にささげようという堅い決心から自発的に美しい髪を切ってべールをかぶった。父母はこの美しい娘を結婚させようとしていたやさきだげに、これを知ってかんかんに悠り、こらしめのために彼女を寒の雑用にこき使った。カタリナはこのしうちを恨まず、イエズスと聖母のみこころに合わせて黙々と日々の儀牲を神にささげるのであった。

 かくれたことをすべて見ておられる神は、高い者を低くし卑しい者を高くしたもう。カタリナにもやがてその時機が到来した。ある日、カタリナが一室にこもって熱心に祈っていたとき、父親は娘の頭の上に白いはとがとまっているのを見た。これ以来両親も娘の使命を悟ってその望みに反対しなくなったという。その後、彼女は在俗のままで聖ドミニコの精神にならい、福音のすすめを実行し、入びとの救霊のためにも働こうと決心した。まずその準備として三年のあいだ 室に閉じこもり、祈りと苦業の順罪生活を始めた。ぶどう酒や肉食を断ち、少しのパンと粗末な野菜で満足した。また二、三枚の板を枕に着衣のままやすんだ。

 そのころ、カタリナは今までかつて経験したことのない汚らわしい想像や考えに日夜悩まされるようになった。ある日、例のように激しい誘惑に襲われて思わず「ああ主よ、主はわたくしなこの悩みの中に見捨てて、どこにおいでになるのでしょう」と叫ぶと、主は「おまえの心の中に」と答えられた。「でもわたしの心はこんなにきたない思いでいっぱいですのに。」「しかしおまえは、そのような思いを楽しんでいるだろうか。」「いいえ、心の底から憎んでおります。」「それこそ、わたしがおまえの心にとどまつているという証拠である。」カタリナはこれに勇気を得て、以後どんな試練にも徴動だにしなかった。

 この三年の修業を終えて十八歳を迎えたとき、いよいよ念願がかなって聖ドミニコ会の第三会員となり、家事を手伝いながら暇をみては貧者や病人を見舞ってできるだけの援助をした。ことに一三七四年、イタリア全土にペストが流行したときなど二十人の同志の先頭に立って献身的に患者の看護にあたった。しかし苦労の多いわりに大して感謝されないばかりか、気むつかしい患者からぶつぶついわれることが多かった。また臭気ぷんぷん鼻をつくような老婆を見舞ったときなど、逃げ出したい思いにかられたが、これをぐっとおさえ「どうしてキリストの御血にあがなわれた人をきらうのか」と、自分自身に言い聞かせて特別親切にその患者を介抱したという"ある日イエズスは片手にいばらの冠を、片手に黄金の冠を携えて彼女にお現われになり、「どちらを選ぶか」と聞かれた。カタリナはすぐさま「わたくしはいばらの冠をいただぎます」と答え、キリストにならってすべての困難を喜んで引き受ける覚悟をきめた。

 まもなく彼女の徳行は夜空にまたたく星のように輝き、多くの迷える人びとに光と慰めを与えた。また聖霊の導きのままに、あるいは手紙や著書をもって、あるいは各界の知名人をたずねては、教会と国家のあいだの困難な問題について有益な助晋を与えた。また諸都市間の平和条約に、グレゴリオ十一世教皇のアヴィニオンからローマへの帰還に、聖職者の改革に、欧州の大離教に際してはローマのウルバノ六世教皇の首位権確保に平和の使節として東奔西走。「神に光栄が帰せられ、霊魂が救われるならば苦しみと罰が私の上にふりかかりますように!」と人類共同体のために働いた。

 こうした荒波の時代に聖会という箱船を双肩にになってきた彼女は、その重みにたえかねてか、ついにローマで倒れた。かろうじて終油の秘跡を受け、「ああ主よ、わが魂をみ手にまかせ奉る」の一句を残して、その潔白な魂は一三八〇年、三十二歳で永遠の故郷に帰っていった。

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