『ミサの前に読む聖人伝』C・バリョヌェボ著、サンパウロ
四月八日 聖ジュリア・ビリアート (1751-1816年)
この聖女の生涯は、信じること、そして、愛することを知っていた女性の心に、宣教の種が成長していった歴史です。
マリー・ローズ・ジュリア・ビリアートは、北フランスの小さな村で商業を営む一家の、七人中五番目の子どもとして生まれました。それまでの比較的豊かな暮らし向きが、その頃から働きかけましたが、代々受け継いだ信仰と道徳は、一家の不朽の財宝でした。幼少から神の豊かな恵みに導かれ、熱心に祈ったり学んだりしていたジュリアは、やがて叔父の経営している学校に入り、七歳になったばかりの頃から同級生に信仰を伝えはじめたほどでした、主任司祭は、彼女が特別に恵まれていることを知って懸命に導き、普通は十四歳で授ける初聖体を、当時としては考えられないことでしたが、九歳の時に授けました。
しかし、まもなく試練の時がやって来ました。盗難にあった後の貧しい家計を助けるために、ジュリアは、畑仕事の重労働に日雇いの大人たちに混じって携わり、仕事の合間には、病人を見舞ったり、仲間の人びとに信仰の教えを説いたりしました。村人はこのようなジュリアの優れた人柄に魅せられて、彼女を「聖女」と呼ぶようになりました。ところがある晩、ジュリアが父のそばで縫い物をしていると、突然、一人をめがけてピストルが発射されました。この襲撃のショックからジュリアは歩けないほどの状態になり、病床の人となりました。しかし、このようになっても見舞う人をかえって励ましたり、また、求める人たちに霊的的指導を続けるのでした。しかも、病苦の中にあっても、ジュリアの心から溢れ出るのは、「神さまはなんとやさしいお方なのでしょう」ということばでした。
そのうちフランス革命が勃発し、教会の人びとへの迫害が起こりはじめました。そして分離教会から司祭がやって来た時、ジユリアは村民たちに彼を認めないように指導しました。そこで革命者たちは怒りに燃え上がり、ジュリアを火あぶりにしようとしました。ジュリアは、は難を逃れて友達の家に移りましたが、そこでも革命者たちに狙われ、ワラを積んだ馬車に隠れて逃げなければなりませんでした。それ以後、ジュリアは「主よ、この地上に私の居所がなくなりました。天国に私の場所を与えてください」と祈らねばならぬほどで、三年間に五度も住所を変えねばなりませんでした。聖心会の創立者、マグダレナ・ソフィア・バラを指導されたバラン神父は、ジュリアの熱心な信仰と努力に感心して、特に貧しい子どもたちの教育を手がける会を創立するように導きました。これを知ったある神父は、教育事業に携わるにはジュリアの身体的状態が妨げになることを残念に思い、実際は彼女のためでしたが、彼女に九日間、特別な意向のために祈るよう頼みました。祈りを始めて九日目、その年の六月一日、すなわち聖心の月の初日に、神父は突然ジュリアに「信仰があれば、イエズスの聖心の栄光のために歩きなさい」と言いました。彼女は言われるままに立ち上がり、二三年間不可能であった一歩を踏み出したのです。
その時から、ジュリアは、新しい修道会の創設とその宣教の使命のために全身全霊をささげ尽くしました。それは貧しい子女の教育を目的とした、当時では考えられないような階級制のない修道会の創設でした。しかし、ここでまた大きな試練に出会いました。教区の一司祭が、その教区内だけで働く、総長をもたない修道会をつくりたいという願望を持っていたため、教区を越えたレベルでの宣教を志すジュリアと真正面から衝突したのでした。そのためジュリアにあらゆる難問題、屈辱が降りかかりました。何事も神の許しなしには起こらないという確信を持って、ジュリアはすべてに甘んじ、すべてを許し、すべてを耐え忍び、すべてを神にゆだねて、この難しい事態に対処しました。
ついに、ジュリアのめざす修道会のあり方に理解を持つベルギーのナミュール市の司教の下に本部を移すこととなり、会の名称もナミュール・ノートルダム(聖母)修道女会となりました。会の仕事は次第に拡張され、方々からの依頼に応じることができなくなるほどでした。後には追放された教区からも戻るように要請されましたが、それはただ神への深い感謝を表わす機会となったのでした。
彼女の活動は、休むことなく続けられました。聖パウロと同じように、ジュリアは人びとからも現実からも逃れようとはしませんでした。常に神の呼びかけに応えて、聖霊の力によって惜しみなく自分を与え続けました。そうして教理指導、手紙、旅行、会員の養成、講話、家事と祈りによって、自分のいのちを周囲の人ぴとに分け与えました。ジュリアはすべての中に、すなわち入や物や出来事や環境の中に神を求め、神を見いだし、どこにあっても神の喜びに溢れる証人となりました。この生き方こそ、今世界各地で教育使徒職に携わっている三千人あまりのノートルダム修道女会の使徒的生活を支えているもので、その精神は、修道会の宣教の使命の中に生きています。
ジュリアは一八一六年、ナミュールで病に臥し、皆しみのうちにも信仰と純粋な心をもって神をたたえ、聖母マリアの賛歌を唱えながら、四月八日、その生涯を奉献した神のみもとに、旅立ちました。六十五歳でした。
私たちも、マザー・ジュリアのように神のために働くことができるよう祈りましょう。
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