youtubeを見ると、聖フランシスコ・ザビエルに関する事実誤認の動画がいくつもアップされている(2019年4月時点。その後も同類の動画が増えている)。

①ザビエルも困った...「キリスト教」の矛盾を突く日本人
②【すごい日本人】ザビエルも困った「キリスト教」の矛盾を突く日本人【ゆるいCh】
③ザビエルを追い詰めた日本人 「世界を旅したが、こんな事、日本が初めてだよ」キリスト教の矛盾を突きまくった日本人にザビエルがお手上げ状態になり・・・【日本人すごい】
などなど。
 
 同様のものは他にもいくつかあるが、ほぼ同じ内容で、ザビエルは優秀な日本人に論破され、疲れ果て、涙目になって日本から脱出した、というもの。
 
 ザビエルら宣教師たちによって始められた日本宣教は、諸説はあるものの一定の成功を収め、最終的には40~60万人の信者を得たというのが通説のようだ(当時の日本の人口は約3000万人)。多い数字では80万人という説もある。
 
 ザビエル自身が洗礼を授けたのは、2年3か月の期間で約700人とされる(尾原悟『ザビエル その人と思想』清水書院)。「言葉がわからないために、おし黙っているだけ」(書簡90)ということもあったようだし、仏教界からの反発なども大きく、その苦労が察せられる。それでも現在の宣教師と比較すればかなりの数字だといえるだろう(ザビエル自身は満足していなかったが)。

 ザビエルの書簡を読んでも、彼が日本人に論破されたなんて話はなく、記録されているのはむしろその正反対の事実である(P・ミルワード『ザビエルの見た日本』講談社学術文庫、『聖フランシスコ・デ・ザビエル書翰[上・下]』岩波文庫など。末尾のサイトも参照)。
 
 一例を挙げると、以下のようなものがある。
 
 1551年7月 山口
僧はたびたび私たちの説教を聞きに来ました。平民も貴族も大勢来ました。家はいつもいっぱいで、ときには満員になり、閉め出しを食う者もありました。質問する人びとはしきりに解答をせがみます。私たちは彼らの宗教が誤りでキリスト教のおきてが真実だということを彼らに悟らせることができました。何日も何日も討論し、質問に応じているうちに、彼らは敗北したことを認めてキリストの信仰を受け入れるようになりました。

 日本には仏教の宗派が九つあって、教理は一つ一つ異なっています。各宗派の考えがわかるようになると、私たちは相手方をやりこめるためにあらためて反論を開始し、毎日のように質問したり討論したりして魔法使いの僧やキリスト教のおきてにはむかう敵を困らせました。私たちはそれをとても効果的にやりましたので、私たちが彼らを批判し、反駁すると、彼らはぐうの音も出ませんでした。
 キリシタンたちは、僧がその非を悟ちて口をつぐめばうれしくなってますます主を信じるようになります。それと同時に討論の場に居合わせた異教徒たちは自分たちの祖先の信仰が徐々に衰えていくのを見て動揺しました。僧は少なからず不服でした。
 彼らは説教に出て聴衆が大勢キリシタンになるのを見ると、新しい信仰が気に入って祖先伝来の宗教に見切りをつける者を厳しく批判します。しかしほかの者は、キリストのおきてが自分たちの法より理にかなうものであり、僧の場合と違って自分たちの疑いを解いてくれるものなので、キリスト教に帰依すると答えました。(『ザビエルの見た日本』81-82頁)


日本を去ってからの手紙
1552年2月29日付

そういうわけで日本人は人間が救いのない地獄へ投げ込まれることもありうるという考えを受け入れることがなかなかできませんでした。つまり彼らの教義は私たちの教義以上に情けとあわれみを身上とすることを主張したのです。しかし結局私たちは彼らの心の中に疑いが一つも残らないように神の恵みによってあらゆる質問に答えることができました。(同上、88-89頁)
 
 
 上記の動画で取り上げられている、当時の日本人がザビエルに投げかけた神義論や終末論の問題は重要で難解なポイントではあるが、現代の中学生でも思いつくことであって、取り立てて日本人の優秀さを示すものではない(「宇宙の果てに何があるの」と子供が質問したからといって、その子が優秀なわけではない。簡単な質問ほど難しいのは物理学も神学も同じ)。
 
 パリ大学で10年の研鑚をつんで哲学の学位を得、哲学講師までしていたザビエルが寺子屋制度もまだなかった時代の日本人にそう簡単に「論破」されたとは思えないし、それを裏付ける資料もない。
 また、日本人が「キリスト教の矛盾を指摘した」といっても、仏教的な考え方では理解できないキリスト教の教義について、彼らがそれなりの反応をしたということでしかないだろう。
 
 ザビエルは、日本の文化が中国の影響下にあることを知り、「中国がキリスト教の信仰を受け入れるならば、アジア全体のキリスト教化に非常な助けとなるだろうと考え、『この1552年の間に、私は中国の国王のいるところへ行こう』(書簡96)と大きな抱負を抱いていた」(『ザビエル その人と思想』90-91頁)のだった。
 
 当時の「中国人はすこぶる教養が高く、日本人よりもさらに才子であった」(書簡96)ことも理由の一つのようである。確かに日本人の庶民レベルでは、罵詈雑言や「ダイウス(神:デウス)は大嘘(ダイウソ)」のような言葉遊びの批判しかできなかったので、そう感じたのかもしれない(今回のyoutube と同じレベルの批判だったのだろう。投稿者は同系統のDNAの持ち主かも知れない)。
 
 ザビエルは、異国での環境の変化に苦しみつつも、中国渡航を思い描いていた。「精神的な力さえ尽き果ててしまった」(書簡96)と嘆きながら、「神がその慈愛をもって、困難きわまる中国渡航を成就せしめる御恵みを垂れ給うであろう」(書簡96)ことを期待していた。「精神的な力さえ尽き果ててしまった」のは、優秀な日本人に論破されたからではない。
 
 なぜ、このような稚拙なザビエル批判がネット界にはびこっているのだろうか。
 私見ではそれは日本に蔓延してきた民族主義的傾向にあると思う。
 
 日本史における汚点の一つは、キリシタンの迫害である。それは、世界史に位置づけてもローマ帝国のキリスト教迫害より残虐非道であったとさえ言われるほどのものである。
 一部の民族主義者にとっては、善良で優秀なはずの日本人がそういう蛮行を行ったことがどうしても受け入れがたく、重荷となっていた。
 
 したがって、無かったことにはできないものの、自己正当化を試み、「そもそもこの平和な国にキリスト教を布教した連中が悪い」、「悪行を行ったから迫害されても仕方がなかったんだ」、「日本を植民地化しようとしたに違いない」、「日本人が一神教に屈しなかったのは非常に優秀だったからだ」、という単純な筋書きで押し切ろうとした。

 そういった流れが行き過ぎて、おかしな自信をもった人たちによって、ザビエルの布教活動も正反対に解釈されるようになったと思われる。上記の youtube の番組も、ザビエルの書簡にある都合の良い断片をそれらしくつなげたものだろう。あまりにもセコすぎる。すぐに見破られると思わなかったのだろうか。
 
 ちなみに、キリシタンの殉教者の数は、『新カトリック大辞典』では「史料によって知られる数が5000人に達する」(420頁、江戸時代だけで明治初期の迫害は入っていない)とある。
 しかし、実数としては、「キリシタン千夜一夜」というサイトの「キリシタン史 江戸初期の大迫害」での見方が事実に近いと思われる。
 
 「新井白石の『西洋紀聞』下巻付録によると、殉教者の数は20~30万人にのぼる、となっている。しかしこの数はおおよそであり、しかも根拠が無い。姉崎正治博士の史料に基づく実数計算では3792人、その後ラウレス博士による計算では4045人を数えた。これらは確実な史料に基づくものであり、史料発見と共にその数は増加している。未発見の史料、無くなってしまった史料、史料に残されなかった殉教事件なども起こっていただろうから、実際の殉教者総数は、何倍にもなるであろう」。
 
 為政者が大目に見ることができないほどキリシタンは増加した。簡単に論破できないことも当時の僧侶たちとの論争の結果を見てもわかっていた。為政者たちは権力に屈しないキリシタンにこれまでの日本人にはない何かを感じていた。だからこそ、禁教という方法をとる選択をしたのだろう。
 
 日本人の(というより自分の)自尊心を守るために、史実を曲げようとする人は今後も絶えないだろうし、事実を調べることもできない人たちが無責任にばら撒く誤情報もなくなることはないだろう。
 もし、日本人は本当に優秀なのかと疑問符が付けられてしまうとしたら、その原因は、こういった人たちの反知性主義的な言動にあると言えるのかもしれない。
 
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(付記)
 この問題を取り上げようと思ってザビエルの手紙などの資料を集めていたら、扱いたいことは以下のサイトに書かれていました。大変良質な内容なのでどうぞそちらをご覧ください。
 
ザビエルはキリスト教の矛盾を論破されたのか説得したのか問題
 
https://call-of-history.com/archives/4462

 
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※ 調べれば真相がわかるような話は、結局は無害だと思う人がいるかもしれません。しかし、このような誤情報を拡散している一定数の群れが存在しているという事実は、あなどるべきではないと思います。
 また、聖人に対するこのような発言に対しては、沈黙するより「そんなガセネタは通じないですよ」と、ひと言くぎを刺しておく必要があると思いました。
 
※ ザビエル批判の関連の動画でも、「ザビエルら宣教師たちは日本人を50万人も奴隷として売買した」といった類の当時の人口を考えたらまずあり得ないこともまことしやかに語られているのも問題です(「若い女性ばかり50万人」!という記述もある)。
 出所は、『天皇のロザリオ』という、趣味で出版された小説のようですが、あたかも一次資料があるかのように、大勢の日本人女性が奴隷市場で裸体をさらされていたと記す文章(目撃談)があります。しかし、これは著者の創作らしく(この本以外に出てこない話。批判されてもフィクションだと言い逃れもできるので、「吉田証言」みたいなことも平気でできるのだろう)、多方面から批判がなされています。創作された情報を史実と信じこんで義憤に駆られている人も少ないようです。
 
※ また当時は、大型の航海船を頻繁に出せなかったので、宣教師も商人も──それぞれの目的をもって──同じ船に乗っていたのですが、ザビエル批判の人たちによると、両者とも同じように日本の侵略を考えていたことになるようです。
 
※ 周知のように、キリスト教は古代においてローマ帝国から迫害を受けていました。ローマ人と現在のイタリア人が同一とは言えないものの、その歴史を覆い隠そうとする人は、イタリア人にもローマ人を先祖にする人たちの中にもいません。