肉体を進化させる代わりに、
精神を進化させてきた人間は、
生きとし生けるものが多様な
形を獲得し、選択圧に
対応しているのと同じように、
その精神をバラエティー豊かに
進化発展させて様々な形を
手に入れて来た様に思います。
僕たちはそれを、個性と呼んだり、
性格といったり
しているのかもしれません。
ただそれは、それぞれに、傾向はあっても、
星占いや、血液型判断のように、
断定的に、その人を決めるものでは
ないと考えています。
僕自身の精神のフォルムは
僕の現在持っている、機能や特徴、特性と、
という内的要因と
現在、僕自身を取り巻いている、
日々刻々と変わるあらゆる、環境、状態、境遇
といった外的要因の、因果関係によって、
形作られているのだと思うのです。
一見とらえどころのない人間の多面性は
上記のような理由で説明が付かないかな
と思っています。
話がそれました。
そして、さらに、僕にはそのバラエティーに
富んだ精神がお互いに捕食しあい、糧としながら、
複雑に絡み合い結びついて、ある種、
精神の生態系と呼べるような物を構築している
所まで現実の生命活動と、同じなのではないかと
思えるのです。
精神においての捕食とはコミュニケーションをさします。
相手の思いを吸収し自らの糧として、
新陳代謝を繰り返し、新たな
精神のフォルムを作るための材料にしたりします。
孤独が人間にとって恐怖なのは、
それが精神にとってなにも栄養を取ることが出来ない
飢餓的状況にある事をさすからだと思います。
そのように、環境等の外的要因から、
孤独を強制させられた場合、でも
植物のように、捕食(コミュニケーション)無しに
自らエネルギーを生み出すことが出来る、
孤独に強い人もいたりします。
僕個人的には、精神的なエネルギーが強いほうが、
世の中に対する影響力も強く感じます。
それは、食物連鎖のピラミッドのように、
たくさんの生命体から栄養を吸収した者
と捉えることもできますが、元をたどると、
自らの栄養を吸収するまでにたくさん過程を
要する、最終消費者であると、
考えることも出来き、
全ての栄養は植物の光合成に
依存しているともいえます。
孤独と向き合い、自ら栄養を生み出し
自ら消費し、または消費されて、
世界に影響を与える者もいれば、
他者から栄養を集め世の中に対峙する者もいます。
自分のエネルギー他の誰かにたくすことで
間接的に世界と向きあう者もいます。
たくさんの生物的戦略のなかから
三種類をを個別に分けて書きましたが。
人間はその柔軟性により全ての生物的
生存の戦略を、実につけ、時と場合に対応して
実行しているのだと思っています。
たとえば、母として、妻として、女として。
人それぞれ、その時その状況にあった
生き方があるのだと思います。
その生物的生存戦略、どう生きるかということが、
色々な形で模索され求められているように思います。