旅に理由なんていらない。
なんて、いえればカッコよいのだが、正直に言えば、
どうしてここにいるのか、自分でもうまく説明できないでいる。
今私がいるのは、フランス.ヴェズレー、丘の上にある小さな町だ、
スペインの巡礼の道、聖都サンティアゴ・デ.コンポステラへと続く出発地点になる。
たしかに、きっかけはあった。5年前のことだ。
亡くなった妻の遺品の整理の時に、本棚から、スペインのガイドブックが出てきた。
隠すように、隅のほうで、ブックカバーにくるまれたその本には、
ほかの本と違って、埃がかぶっていなかった。
サンチャゴ巡礼路の項目にだけ、付箋が貼ってあり、マーカーで印もついていた。
国内旅行ですら嫌がっていた妻は、私にスペイン旅行に行きたいなんて事は
一言も言わなかった。いや、私が言わせなかったのかもしれない。
定年を迎え、仕事が人生だった私には、何ものこっていなかった。
妻との時間は、仕事が終わってからゆっくりと、なんて、
今から考えれば、虫のいい話だったと思う。
あたりまえに、当たり前のことが毎日続くと信じていると、
小さな幸せはなかなか見えてこないものなのだ、と、実感できたのはごく最近だ。
私の場合は、立ち止まって初めて、足元にある咲く小さな花に気づくことができた。
『じゃあ、いってくる。』
毎日こちらに笑顔を見せてくれる仏壇の中の小さな花に、
会社へ出勤の時よりは少し機嫌よく挨拶して、私は日本を発ったのだった。
さすがにスーツは持ってこなかったが、ほぼ出張と同じ荷物をかかえて、
路頭に迷う。険しいピレネー山脈を越え、
スペイン北西端の聖地まで全行程1500km。
もう少しガイドブックを読んで、ちゃんと準備してからくるべきだった。
情報収集もかねて、巡礼者用の宿舎であるというアルベルゲに飛び込むと、
恰幅のいい、ここの主人と思しき人がすぐさま声をかけてきた。
「アンタ、スペイン語か英語は話せるのか?」
スペイン語と英語で同じ質問をされて、英語で答えると、
にっこり笑って私の肩をたたきながら、主人は備え付けのカウンターに座らせた。
まずはこいつだ、と、手帳と貝殻を渡される。
「巡礼者手帖(クレデンシャル)と、聖ヤコブの貝(コキーユ・サン・ジャック)
は、巡礼者証明書、とすぐに巡礼者だってわかるバッチみたいなもんだ、
貝殻のほうはザックにでもぶら下げとくといい。」
「どうも、ありがとう、右も左もわからなかったので助かります。
ところで、今日の寝床を確保したいのですが、」
といいかけたところで、大きな顔をぎゅっと近づけて、私の目の奥を覗き込んで
「あんた、自分がどうしてここにいるかわかってないだろ。」
いきなり図星を突かれて動揺を隠せない私の肩をパンパンとたたきながら、
豪快に笑うと、主人はさっきまでとは違う落ち着きのある声で話し始めた。
「みんなが、同じ出発点から同じ目的地、聖都サンティアゴに、
向かっているように見えるが、実はそうじゃない。これから歩くカミーノ(道)は
今までのあんたのカミーノとつながっているんだ。
これからの旅でお前さんが出会う人たちだってそうだ。
それぞれがいろんなものを抱えながら、たまたまこの広い道、巡礼路、に
集まって来ているようなもんなんだ。
あんたが苦労して歩いてきた道で、つまづいているやつがいたら、
手を差し伸べてやれ。
あんたが、どうしてここに来たのかを知っているやつがいたら教えてもらえ。
巡礼が終われば道はなくなる。でも、本当はそうじゃない。
巡礼で一緒に旅をした仲間ともう少し旅を続けたっていい。
自分の道に戻ってはるか頂を目指したっていい。
あんたの道は、この先も、ずっと続いていく、歩みを止めない限りずっと、
それがエル.カミーノ・デ・サンティアゴだ。
わかんないって事は、いいことだ。あんたの旅は、きっといい旅になる。」
話のうわべは理解できたように思う、ただ、本当に理解できるのは、
きっと巡礼の旅がおわってからなのだろう。
そんな話とは別に、気になったことがあったので、私は主人に尋ねた。
「なんで、私の顔を覗き込んだだけで、「どうしてここにいるのか分からない」
ことが分かったんですか。」
「年に一人くらいやってくるんだよ。昔の俺みたいな顔したやつが。」
そういって、照れ笑いを浮かべたところで、主人はあっ、と息を呑んだ。
「おい、あんた、ちゃんと身内にはここに来るって連絡してきたんだろうな?」
「なほみか、おれだ。」
「テーブルの上の書置きだけで、スペイン旅行ってどういうことよ、
あの家はもう、おとうさんしかいないんだからね!」
「すまん。」
「すまんじゃないわよ、危うく捜索願出すところだったじゃないの!
で、今どこにいるの!」
「今、フランス.ヴェズレーというところだ明日からサンティアゴ巡礼に行ってくる。」
えっ、という声の後で、娘のトーンが急に穏やかになった。
「知らなかったのは俺だけみたいだな。」
「ふふふ、さあね、どうかしら。おとうさん、もう年なんだから、
あんまり無理しちゃだめよ。」
「ああ、わかってる、心配かけてすまなかった。」
電話を切って、私は部屋にむかった。明日は早い、もう、寝よう。
私のカミーノはまだ始まったばかりだ。
おわり
参考HP
http://a-stmp.hp.infoseek.co.jp/newCompstla.htm