尾池和夫の記録(433)京都の地球科学(379)『氷室』2025年11月
京都の地球科学(三七九) 『氷室』2025年11月号掲載
京都の地下構造と地下水(四)
尾池和夫
植村善博さんの論文を元に、樫原(かたぎはら)断層の続きである。向日市物集女では、大阪層群のMa7層準(約五五万年前)が東側へ、約一三〇メートル低くなっている。大阪層群の堆積開始以降、本断層の約一一〇万年間の平均変位速度は、一〇〇〇年あたり約〇・二~〇・三メートルである。
樫原と松尾で本断層を横断したP波断面のデータが得られている。それによると、樫原では基盤上面が東へ約二二〇メートル落ち込んでおり、大阪層群は幅約一〇〇メートルにわたる撓曲帯を形成している。活断層は撓曲の東端に表れている。地表での大阪層群の急傾斜部は五〇~一〇〇度の間にあるが、P波断面では明瞭ではない。この急傾斜部の西側には、Ma7層準までの大阪層群が確認され、下盤の厚さの約半分にすぎないことから、大阪層群の堆積時から東落ちの断層運動を行ってきていることがわかる。
一方、松尾では基盤の変位は不明瞭ながら、四〇度程度東傾斜する撓曲が見られる。活断層は撓曲のほぼ中部に表れており、推定断層の延長に一致している。
注連縄を張つて地震の国の春 川崎展宏
次に灰方断層である。この断層は全長約五・五キロメートルで、大枝町沓掛付近から南北走向で東に凸のトレースを示しており、大原野台地を縦断する。亀岡断層南端(老ノ坂断層)と光明寺断層とを結ぶように生じており、南春日町へ至るものと、灰方町から長法寺に続くものとがある。南端で両者は約六〇〇メートルの間隔を持っている。灰方断層は西上がりで、そのトレースから低角度の逆断層と推定される。大原野台地では、西上がりの縦ずれ変位がH面で、約六メートル、M2面で四・二メートル、L2面で二・〇メートルであり、変位の累積性が明瞭である。平均変位速度は一〇〇〇年あたり〇・〇二~〇・〇五~〇・一メートルと、三〇万年前以降に加速化している可能性がある。
北春日町東では、H面を切る東上がりの逆向き断層崖が約四〇〇メートル続き、下盤側はM面によって埋められている。東側の隆起量は三・五メートルをやや上回ると考えられる。
P波断面は大原野台地南縁を東西に約一三〇〇メートルの測線長を持っている。二本の断層とも地下の大阪層群の変形帯に位置し、その東端付近に出現している。東側のものは基盤上面に約九〇メートルの西上がり変位がある。下盤で大阪層群の厚さが増大しており、堆積時から活動していたと推定される。西側のものは基盤に約五〇メートルの西側隆起を生じており、地表での大阪層群の急傾斜帯の東端付近に一致する。両断層とも変形帯の東端付近で変位地形が生じている。基盤上面の変位量は合わせて約一四〇メートル、一一〇万年前以降の平均変位速度は、一〇〇〇年あたり〇・一三メートルである。
光明寺断層は、大原野南春日町から長岡京市久貝付近まで北西走向で約三キロメートル連続している。西上がりおよび左横ずれ成分を持つ逆断層である。北部では野山山塊と丘陵との境界にそって、比高一〇〇メートル程度の断層崖が発達し、南部では丘陵と低地との間に比高三〇メートル以下の低い崖をなして走る。そのトレースは直線的である。大原野長峰町では急傾斜した大阪層群を不整合でおおう高位段丘層が激しく変形し、断層で切られている。丘陵の開析谷には三本の左ずれオフセット(屈曲)がみられ、累積量は西から順に五〇メートル、一五〇メートル、一〇〇メートルである。丘陵は四〇万年前頃から隆起したと考えられ、横ずれ変位速度は一〇〇〇年あたり〇・二五メートルとなる。しかし、横ずれ地形は新鮮でなく、最近に活動的とは考えにくい。光明寺では、ボーリング資料から基盤上面の変位量は約二一〇メートル、一一〇万年前からの平均変位速度は一〇〇〇年あたり〇・二メートル程度と求められる。光明寺以南では、丘陵とH面およびL面との境界をなすが、変位地形は明瞭でない。長岡天満宮では、H面とL1面との境界に比高一五~三〇メートルの急斜面がみられ、三〇万年間で平均変位速度は一〇〇〇年あたり〇・〇五メートル程度と推定される。
走田断層は、長岡京市長法寺から奥海印寺へ北東走向で長さ約一キロメートルの北側隆起の短い断層である。本断層は光明寺断層と金ヶ原断層とを結ぶように分布する。走田神社では、H面段丘層が大阪層群とともに南へ急傾斜しており、H面が南側へ約五〇メートル低下している。奥海印寺では、L2面が比高約二メートルの北上がり低断層崖によって切られている。平均変位速度は一〇〇〇年あたり〇・一七メートル、一万年間では一〇〇〇年あたり〇・一メートルで、B級下位の活動度を示す。
二〇〇二年九月、走田神社北西側での文化財調査中、南東へ約四〇度傾斜するMa2海成粘土が、基盤にアバットする位置からマガキ礁が発見された。高度八八メートル付近に約九五万年前の旧汀線が観察されたことは注目される。
友といて春の地震の二度三度 坪内稔典
