日本銀行を見学してきました | 2025 中学受験に向けて

2025 中学受験に向けて

2024年1月現在・小学5年生の娘の中学受験までの学習、活動などを綴っていきたいと思います。SAPIX には新2年生から通塾中。

日銀の見学に行ってきました。
小学5年生以上なら参加できます。平日のみ実施、60分の見学ツアー。
学校があるので長期休みや学校行事関係のイベント休み以外では参加が難しいと思うのですが、
3月の春休みにあたりはそろそろ予約開始になりそうです。ご興味のある方は年末年始は予約カレンダーの動きを要チェック。
小学生の参加もちらほら、大人だけできている人もいました。
興味深いものも見られる、良いツアーでおすすめです!



こちらの写真、西門から中に入ったところにある中庭です。ここは撮影OK。
アップしている写真は全て撮影が許可されているところで撮影した写真です。



現金を輸送するルートなので密閉された空間になっています。

この後のエリアはしばらく撮影禁止。


荷物をロッカーに預け、

移動してから別部屋で日銀の役割を紹介するビデオを見て、歴代総裁の肖像画を見ながら沿革に関する説明を伺います。



 日本銀行の役割

・銀行の銀行・・・・・・決済手段の提供。銀行からお金を預かり、銀行間の送金を行い、必要に応じて貸出を行う。

・金融システムの安定・・最後の貸し手。緊急時には他の銀行への貸し出しを行う。

・物価の安定・・・・・・紙幣の発行を一元的に行い、お金の価値を安定させる役割を担う。



 沿革

・日銀が設立されたのは1882年。西南戦争の影響で国内の経済が不安定だった後にできた、と理解すると磁気がわかりやすいと思います。

・設立したのは松方正義。パリで金本位制と中央銀行の必要性を学び、帰国後に大蔵卿として日本銀行を設立。

 薩摩出身、島津久光の側近となり、生麦事件では島津の籠の護衛に当たっていた人です(松方に関する詳しい説明はなかったので後から調べてます。)

・第4代総裁は岩崎彌太郎の弟、岩崎弥之助。

・第7代総裁は高橋是清。二二六事件で暗殺された人。

・第16代総裁は渋沢栄一の孫、渋沢敬三。戦後の焼け野原をバックに描かれた肖像画。



 日本銀行を設計したのは辰野金吾、日本の近代建築史を築いた大御所


建物の設計者は辰野金吾。東京駅を設計したのも、奈良ホテルを設計したのも彼です。



工部省工学寮(のちの東大工学部)時代の指導者はジョサイア・コンドル。

コンドルは鹿鳴館や焼失前の国立東京博物館を設計した人で、彼の教え子が明治の日本の近代建築の創始者となっていきます。

辰野金吾はのちに東大工学部の教授になり、早稲田の建築学部の設立にも関与していますね。

クラシックな銀行の建物の多くも辰野作品です。

https://www.imes.boj.or.jp/cm/research/zuroku/mod/tatsuno_zuroku_part4.pdf


日本は工学部の中に建築学科が置かれていることがほとんどだと思いますが、ヨーロッパでは建築は美術として位置付けられています。

富国強兵策の時代において、工学の一つとして位置付けられたことや、それ以前の日本では建築に関する体系だった学問がなかったことも理由です。

辰野金吾が留学中に建築の歴史を尋ねられて、何も答えられなかったことでそれを学び直したと・・『日本の建築家解剖図鑑』にも書かれていました。

歴史を知らないと、自分の足場となる立ち位置もわからず、これから向かう方向も定まらない、いい例だと思います。


結局、辰野金吾は日本の建築業界の大御所として君臨していくことになりますが、そりゃそうですよね。

江戸時代以前に作られた有名な建築物、天皇、摂政、関白、将軍の名前は残っていますが、建築者、設計者の名前はどれくらい残っているでしょうか。

“斑鳩の匠” のような宮大工集団が最も古いのかな?職業としてはほぼ成り立っていないと思うし・・。




 耐震設計はどうなってる?


日本銀行の建物のコアとなる要素は煉瓦造りです。

耐震性を高めるため、地中部分の土台はコンクリートの土台があり、その上に積んだ煉瓦をコンクリートで固めています。

近年、それを補強する工事が行われている様子が、建物内部で観察することができました。

足元がガラス張りになった部屋で、下を覗き込むと、明治時代に手作業で作られたコンクリートの土台が見えます。

その土台をバッサリと切断し、新しいコンクリートで補強し、さらにその下に免震構造を入れて未来の大震災に備えていました。



 厳重な金庫


地下に進み、金庫室を見学します。

確か、20トンを超える、数人がかりじゃないと開けられないアメリカ製の金庫扉が最初にあります。

それをコンパクトにしたイギリス製の扉が次に、その奥にそれを真似て作った日本製の扉があります。

このエリアは撮影可能で、作り物の札束を見たり手に取って撮影することができます。



最後の中庭手前のエリアも撮影可能スポット。上品な空間でした。


1970年頃まで使用されていた、始業と終業の合図に使われる拍子木を4回鳴らして、見学は終了。

始業・・・はじめの3回、

終業・・・おしまいの4回。




1000億円の札束。

大谷翔平選手の10年分の給料を積み上げるとこんな感じ。

札束を置くために30畳程度のリビングが必要になりますね。

それとも、全ての部屋に敷き詰めてクッションがわりに使うか・・・。





これがアメリカ製のクソ重い扉のパネルです。

本物は撮影禁止で、展示されている写真パネルを撮影してきました。

ギザギザに見える部分が扉の厚みとなるところで、分厚すぎて重そう・・。

蝶番は油でギトギトでした。



新札は24年7月3日に発行される予定。





新札の素材にはみつまたも使われているよ!
























こちら、お土産です。

細切れのお茶の葉っぱみたいなものは紙幣が裁断されたもの。

1万円札の寿命は4−5年、千円札は1−2年くらいで役割を終えて廃棄されるそうです。

日本銀行では、お札の寿命を管理しているので、無効化されたものはこのように裁断されて廃棄しているということでした。

袋詰めのものは無料でもらえるお土産ですが、ロッカールームの脇に売店があり、

そこでは裁断紙幣が入ったシャーペンや打ち出の小槌ストラップが反馬されていました。

これは誰か知り合いにあげるために買ってきたものです。