序章です。
天保の改革の頃、アヘン戦争でイギリスの怖さを知った水野忠邦は、異国戦打払令を撤廃。
(外国の船に喧嘩を売ることで戦争が起こるのを避けたい。)
代わりに、薪水給与令を出して、食料や薪水を提供することになったという話がこちらの動画にもあります。ここはさらっと。
そして、黒船来航となります。
ペリーの来航目的、交渉ポイントの話が展開されるのですが・・・ここで薪水給与令の話が登場しますね。
捕鯨やアジアとの貿易の中継基地として日本を活用したかった、というのが目的の一つ。
捕鯨といえば・・。
19世紀当時のアメリカの捕鯨はどうだったのか?
こちらはその様子がまとめられた論文です。
19 世紀後半期アメリカ式捕鯨の衰退と産業革命
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/119/4/119_4_615/_pdf
アメリカ人、当時から鯨の肉は食べません。
何のために捕鯨をしているかというと、産業のために使用する鯨油の確保です。
一度、漁に出ると、船のタンクを油で満タンにするまで1年も2年も帰ってこないというのが当時の捕鯨。
油が目的なので、殺した鯨の大部分は海へポイっです。
# こういう行為を野蛮とは言わず、食べる行為を野蛮というのでしょう。
# こんなことばかりしていたから絶滅の危機がやってくるんです。
上記のレポートから抜粋したデータになりますが、19世紀半ば頃の鯨油生産量のデータがこちら。
下の地図は、捕鯨航路の拡大を表したもの。
難関校だったら、こういう問題が作れそうです。
「上のデータ、地図から読み取れる情報を用いて、19世紀半ばのアメリカの捕鯨とペリーに期待された役割について述べよ。」
・表データからは、ペリーが日本にやってくる少し前(1830-1850年代) に whalre oil の生産量がピークを迎え、市場も盛り上がっていることがわかります。
・航海海域の拡大地図からは、18世紀は大西洋が主戦場だったものの、19世紀になって太平洋に漁場が移り、19世紀半ばには日本近海、アジア方面に来ていることがわかります。
つまり、アメリカにおける鯨油市場の拡大が、太平洋地域への捕鯨航路の拡大を後押しし、中継地点としての日本の開港、開国の必要性を高めたと言えるのではないか、と。
・・・少し余談になりますが、鯨油市場は20世紀が近づくと極端に減るのですが、理由の一つは石油が発掘されたから。石油が鯨の絶滅回避の一因になったといえますね。
石油の採掘が30年、50年遅れていたら、絶滅している鯨も何種類もいるのではないか?と思います。。
近代は多角的な視点で捉える
鎖国している間は国内の動きだけ見ておけば良いと思います。
しかし、近代が近づいて、世界との関わりが強く出てきたということは、それだけではダメだということです。
日本の内側からではなく、外側からの視点から物事を見るのはマストです。
捕鯨航路の拡大地図を見れば、普通に考えて日本を休憩所として活用したくなりますよね。
アリューシャン列島に向かう玄関口として、函館あたりの港で補給できると助かりそうです。政治の話なんてどうでもいいので。
このように考えていくと、日本を攻めるとか貿易で利益を上げるというのとは違う側面が見えてくると思います。
むしろ、そういう発想って出てこないのでは?という気がします。
中国やヨーロッパの植民地と化した東南アジアは話が違いますけどね。
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さて、今年の夏休みは和歌山県の太地町、くじらの博物館に行ってきました。
鯨、イルカと戯れるのが目的ですが、捕鯨の歴史についてのレポートも見てきましたよ。
子供はそこまで真剣に見てなかったですが。。。
捕鯨の歴史は古いです。
ただ、19世紀のアメリカ、ノルウェーの規模に比べれば、日本の捕鯨の規模は自給自足の域を超えないと思います。
串本町のエルトゥールル号が遭難したところにも行きました。
軍艦で生存者をトルコまで送り届けるのですが、その軍艦に搭乗していたのが日露戦争で活躍した秋山真之なのですよね。
まあ、いろいろ書きましたが、すんなり話を聞いてくれたり吸収してくれるわけではありませんので![]()
↓こんな感じのやりとりをしていることも多々あります。
違うでしょ〜
それは違うでしょ、ミキコ Listen Listen!!
怒りの表情を隠すためにはマスクをかぶるのがおすすめ!
怒りたくなったら般若に変えましょう!
仮面なんてつけなくても、ひょっとこを外したら般若が現れるかも・・。















