ここ数年、占守島(シュムシュトウ)の戦いがヤフーニュースでもよく取り上げられるようになりました。

 

占守島(シュムシュトウ)の戦いとは

 

 

 

 

靖国神社に行くと、ペライチの紙が置かれているので、この島での戦いに気づくことができます。しかし、よほど突っ込んで勉強しなければ、知られる機会そのものが非常に少ない戦いだと思います。

 

戦争が終結したと思ったタイミングで、ソ連が北海道を占領しようと侵攻、

それを決死の覚悟で食い止めた戦いがありました。

 

 

戦争終結から77年。

戦地に赴いた人は100歳前後、本土で戦争を経験した人で記憶が残る人たちもほとんどが80歳以上となりました。悲惨な思いをして生き残った人たちが口を揃えていうのは、

 

「戦争は絶対にしてはいけない。」

 

そう思います。

そのための徹底的な努力や交渉は必要です。

しかし、勉強すればするほど、そうともいえないなということを感じるようになりました。

 

まず、「戦争反対」を主張する人たちの考えの根底にあるのは、

戦争しなければ平和に生き続けることができたはずだ、というものです

ところが、歴史を振り返ると、侵略されて滅ぼされた国、民族、同化された民族、消された歴史は山のようにあります。

 

占守島で攻め込まれた時に、戦争反対と叫んでいても、戦いを避けられたでしょうか?

おそらく、大半の住民が虐殺・陵辱され、強制連行され、そのまま北海道に上陸、北海道本島でも同様の侵略行為が展開され、半分又は全てがソ連の侵略下に置かれる結果になっていたと思います。

現在、北海道出身でこの世に存在している人の多くが存在していないか、

国籍が違っていたでしょう。

 

ウクライナが必死になって抵抗しているのは、

侵略を許すことが自分達の生存を危うくするものだということを歴史を通じて知っているから。

誰も戦争なんてしたくないと思っているはずですが、自分達の子孫がウクライナ人として生き残るためには、多くの犠牲を払っても戦う必要があると知っているからです。

 

日本人は、幸いにも国土を分断されず (樺太など戻ってきてない地域はありますが)、

古来から続く天皇もそのまま、言語も変わることなく、復帰することができています。

戦わなければ平和でいられるというのは幻想だと。

 

左翼思想を持った政治家などが、激戦区からの撤退とか降伏による交渉を主張していましたが、

国ごとなくなる危機感を持って踏ん張っているか、参ったといえば助かると思っているか、

その歴史的経験値の違いです。

 

直接的な交戦国でもない朝鮮が、

国土を分断されてしまったのは悲惨としか言いようがありません。

 

 

南方諸島でのアホな作戦による兵士の餓死による犠牲とか、

必要でもなさそうなタイミングでの特攻とか、

国のために散っていった人に思いを馳せるたびに戦争はもうたくさんだ、と思います。

ただ、どちらかというとアホな指導部とそれを助長する風潮にごめんなさいですね。

(そういう点は今の世の中もなんら変わっていないということを、コロナ禍での対策とか国民の反応を見てて思います。)

 

一方、シベリア抑留を経験したり、

満州や北方領土でのソ連侵攻を経験しているならば、

極限の場面での戦いが避けられないこともよく理解していると思います。

 

そもそもの戦争の発端となった資源交渉の破綻も、

極限状態に置かれた日本の未来への危機意識から起こったもの。

その意思決定については責められないと思います。

 

ただ、戦力や戦況の正しい理解に欠けていたことが戦争を悲惨なものにしたのは事実。

幕末、日露戦争の頃の方が、世界情勢や日本の現有戦力を正しく把握して判断できていて、過信も少なかったのだと思います。

 

不勉強と過信が諸悪の根源なのでしょうね。