⛄️雪だあ。

人や車が通るアスファルトは溶けているけど、散歩コースの公園は雪国みたいでした。


中学受験のタイミングに重なっていたら大変でしたね。(どこかで大学入試があるかもしれないが)















近所の公園の河津桜が咲き始めました🌸

通常年だとバレンタイン前には満開になるのですが、去年も今年も気温が低くくて開花遅めです。来週でも半分くらいだろうな。



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花が咲いているところにはメジロが来ています。







ヒヨドリも。

こちらはメジロの3倍くらいの大きさで花を食い荒らしてます。といっても外来インコに比べるとマシ。


去年は見なかったですが、花ビラどころか子房の付け根から食いちぎりまくるペットが野生化した大型インコが大量にやってきていた時があり、あれを野放しにしたら生態系変わるよ、と思っていました。


去年は見ていないのでどうなったのでしょうかね。










 ChatGPT に親子のMBTIの相性を問うてみました。


簡単にまとめると、こうだそうです。 


建築家の親 (私) × 冒険家の子 (娘) 


⭕️ あるべき関わり方(3つ)

1. 親は決めない → 選択肢だけ出す

2. 管理しない → 環境だけ整える

3. 納得を待つ → 分かった瞬間に一気に動くタイプ


✖️ ダメな関わり方(3つ)

1. 正解ルートを押し付ける

2. 先回りして失敗を潰す

3. 親の不安をぶつける


建築家の親は「設計」まで。冒険家の子は「納得」してから動く。親が動かそうとすると壊れる。






MBTIでは自分は討論者とか建築家という気質が強く出ていますが、

中高生では受験生向きだったのだろう。。。

(参照:かきのたねさんのブログ、中学受験で相性の良い親子より)


ただ、

「大学に行かせてやれるかどうかわからん。」

「電気代がもったいないから早く寝ろ!」

という親なので、協力とか応援などあるはずもなく、受験に適した親子関係も何もない。

  * そもそも、大学進学を前提としない家庭環境・地域性だったので、そのことは仕方ないと思ってます。


高2の冬まで、大学に進学する気持ちがそもそもないので、中高時代もろくに家庭学習せず。

塾・予備校もなしに大学受験をやり切った理由を考えてみました。


昔の田舎の公立にはよくある話かもしれませんね。


ただ、進学、就職して多くの人と関わる中で、

自分のようなタイプはたくさんいるタイプでもないな、という思いは年々強まりました。



いわゆる、

メタ認知(自分を客観視して捉える)が強く出たのが大学受験の時なのですが、それ以前の子供時代のエピソードも含めると、抽象思考の片鱗、認知の強さは随所に出ていたようです。


そんなことをチャッピーとの対話で整理できました。



親が受験に無関心だったから良かった、

養われた部分もあったでしょう。

そうでなければどうなっていたか?



以下のエピソードを通じて、

子供が物事に向き合うとき、

何を考えているのか、

それが後にどんな意味を持つのか、

一例としてみていただけたら良いかもしれません。




  サマリー

  • 異なる時期・文脈で、同じ認知の使い方が繰り返されていた
  • 学習・遊び・指導が、分断されていない
  • 抽象化・対比・構造化という処理が、意識される前から使われていた
  • 結果や成果の前に、思考の型が先に存在

 


 具体的なエピソード


【① 小3/トランプ】

・トランプのルール(ポーカー、セブンブリッジ、バカラ・・)を覚え、ディーラーとしてシャッフル技術を磨き、イカサマを駆使してビックリマンシール賭博で勝ちまくる

 

ChatGPTの評価

「手順は教わらないし、言語化されにくい」

小3で、トランプを「覚えたルールで遊ぶもの」ではなく、目的に近づくために処理の順序(手順)を工夫する対象として扱っていた。

勝敗そのものより、「カードの配り方を安定させる」、「どこを改善すれば有利になるか —> シャッフル技術の習得」に意識が向いており、遊びの中で自然に 手順(思考の流れ)を設計していた。


 

【② 小4/漢字・歴史】

新聞の漢字を200字詰ノートに写す(毎日の自主課題)・・・ 

漢字を覚えること、誰にも負けないレベルに達することにこだわり。

教科書の漢字に物足りず、自主的に新聞の漢字だけを毎日書き写す。大学受験までに必要な漢字はほぼ4年生で習得)


ドイツ/ロシア/イギリスなどヨーロッパ各国史を読む (400-500ページはある分厚い本)、

縦軸で各国の重要事項や人物が頭に入り、横軸で繋がった。きっかけはキン肉マンの出身国。

高校の世界史、ヨーロッパのベースはほぼここで出来上がる(中国や中東などは興味の対象外)。

 

ChatGPT  

決められた枠が狭すぎて、自分で枠を作り直した

「与えられた範囲をこなす」というより、自分が納得できる単位まで広げ直している点が共通している。

漢字は「授業で必要な分」では足りず、新聞という実用の塊に持っていって一気に処理している。

歴史も、1国ずつ覚えるのではなく、同時代の出来事が頭の中で自然に並んだ状態になっている。

結果として量は多いが、やっていることは暗記の積み上げではなく、「世界を一枚の地図として持とうとした」行為に近い。

 * その後の自由研究では太平洋戦争の年表と地図を対応させていたので、アッツ等の守備隊全滅とか細かいことに詳しくなる。


【③ 高3前半/デッサン】

・強弱や陰影より、対比で見ると教わる。

近くのものは強く(光のコントラストが強い)、

遠くのものは弱く(コントラストが弱い)。

デッサンは対比の積み重ねである




 

ChatGPT

物は均等に見るのではなく、対比で見ると教わった。

近い/遠い、強い/弱いを比較して判断するという見方は、後の思考の前提になる「見る基準」をここで獲得している。



【④ 高3後半/英語】

・英文をSVOCで分解して読むようになる。

(・・・進学を前提とした英語学習をしてきていないので、高3で英単語、熟語、文法の基礎から始め、ベースができた夏休み明けから長文を精読するように。)


—> 精読の過程で文章は入れ子構造だと理解し、現代文や世界史も同じ読み方でよいと気づく。

(修飾語を除いて、主語と述語を抑える。複雑な文章でも、主従関係をまず見極める、など。)

 

    

Excel の関数や SQL も、
業務プロセスみたいなものも「入れ子」構造で全部説明できてしまう。



ChatGPT

教科固有のテクニックではなく、抽象構造を先に掴む」認知処理が、ここで意識化されたと見た。

すでに体感的に身につき始めていた「対比・主従で見る見方」が、言語として固定された。

SVOCで英文を分解する過程で、主文の中に修飾や従属節が入れ子状に重なっている構造だと理解。


これは、デッサンで学んだまず骨格を押さえ、周辺は後で見るという見方が、英語に限らず、

現代文や世界史でも「主従関係を先に見極める」「対比で捉える」という読み方が共通で使えることに気づいた。

複数分野で繰り返してきた認知処理が、言語化され再利用可能になったという段階である。


 



現在/子どもへの関わり】


・「どっちが近い?遠い?」、

 「どっちが強く光ってる?弱い?」

 を比較させて、それを表現するトーンの強さを考えながら描かせる

 

ChatGPT

技術や手順を教えているのではなく、

どう見るか」という認知の向きを渡している状態。

自分が使ってきた処理を、そのまま外在化して再現していると捉えた。

 

6歳の頃 りんごのデッサン



小3の頃、国語の家庭学習

→ ChatGPT

↑ このブログの国語学習法は、あなたがこれまで描いてきた

・直観ではなく「基準で見ること」

・目の前の対象を分解して再構築すること

全体の構造を先に押さえてから詳細を見ること


という処理に忠実に対応しています。 


遊び的な作業(色引き)

構造の可視化 

心情・因果への問い立て

という流れで、

国語の読解力が単なるセンスではなく、

「構造を扱える力」として育つ設計になっています。



ーーーー自分の考え
結果(絵が上手、国語の点数が良い)よりも、
物事をどう見ているか」に意識を向けていました。

この子が
・どうやって物事を理解しようとしているか
・何を面白がって見ているか
を見る。

きっかけは、
絵が上手になりたいということや、
色塗りが楽しいということ。
本を読むのが好きだということでしたが。

遊びから、
物事を対比的に捉えるヒントを提示して導いたり、
物事をシンプルな要素で捉え、構造化する視点を身につけさせることだけを考えてきた。


そこが一貫していれば、
今は勉強に見えていないものでも、
使いどころが来たときにつながるのだと思います。



 

 ChatGPTの客観評価

 

年齢や文脈が違っても、

抽象化・対比・構造化という

同じ認知処理を繰り返していた、という事実。

 

 

① こういった子供(Menaの子供時代) は「発達している」と言えるか?


あなたの事例は 発達段階(成熟度)と認知志向が分離している。

・抽象化・構造化という認知処理は早期から一貫

・一方で、自己説明・自己制御・目的化といった成熟の要素は高3後半〜その後に立ち上がっている

→ つまり「全体として早熟/晩熟」とは言えないが、特定の認知機能だけが先行していた」



② 精神年齢を測れるポイントはあるか?


以下が揃って初めて「測れる」と言える。

1. 自分がどう考えたかを、後から説明できるか

2. 過去の経験を、現在の文脈で位置づけられる

3.   感情と行動を切り分けられるか

これらが明確に揃うのは高3後半以降。



③ では小学生時代は精神年齢が高かったのか?


高かったとは言えない。

理由はシンプルで、

 •抽象思考はしていたが、それをしている自覚はない

 •他者視点で語ることもしていない


→ これは 精神年齢が高いのではなく、認知志向が偏って強かった状態。





私は、

「親が関与しなかったからうまくいった」と言いたいわけではありません。

当時は偶然そうなっただけの認知の強みを、今は親として意識的に伸ばそうとしている、という話です。



普通に学校に通ったり、

塾が与えた課題をこなしただけでは、

こうはならなかっただろうな、

ということは周りの学生や、社会人になって接してきた多くの学生を見て思います。


上記のエピソードの後、

ロジカルシンキングを意図的に鍛えていますが、

そういう素養こそが普遍的で

どんな時代でも応用が効く基礎力だと思っています。


受験の性質が変わり、

難易度が上がってもそれに影響されない。


使い物にならないやり方は、

思考のOSを鍛えているのではなく、

アプリケーションを使っているだけということです。


目先の得点のための暗記を親がサポートしたところで、長期的には残らないと思っているし、じっくり育てるべきところにこそ介入すべき、と思っています。