![]() ■賢治を追悼する当時の学芸欄の特集紙面 |
3年には賢治が肺結核で療養生活に入ったこともあって同協会の活動に終止符が打たれる。 |
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童話「風の又三郎」 舞台の小学校は?(朝日新聞2006-09-25)
宮沢賢治 の代表作『風の又三郎』。童話 の舞台の小学校 が、遠野市 の上郷小学校であることを窺わせる書簡が公開され、注目を集めている。一方、賢治が鉱石採集に関心があったことから、釜石市 の旧釜石鉱山尋常小学校との声もある。謎が多い作品だけに、モデルは諸説あるが、遠野と釜石の間にまたがる仙人峠に「又三郎」はやって来たのだろうか。それとも―
どっどど どどうど どどうど どどう
『風の又三郎』は、山の小学校に転校してきた高田三郎という赤毛の少年と、子どもたちの心の揺れを描いた物語。夏休み 明けの9月1日に始まり、12日に終わる。
この山の小学校が遠野市の南東部、仙人峠に向かう途中にある上郷小と推察できそうな賢治の書簡が、今春から同市宮守町のみやもりホールで公開され、ちょっとした話題になっている。
同校の教諭だった嘗ての教え子・故沢里武治氏に宛てた昭和6年(1931)8月18日付の封書に、取材を希望する旨が記されてあるからだ。
仙人峠の方は今月末この記述に、市立博物館の石井正己館長(東京学芸大学教授)は「上郷小の雰囲気が間違いなく作品にあり、モデルにしたと言っていい」とする。或 は寧 ろ学校 が始まってからの方が好都合な点もあります…(中略)…次は『風野又三郎』といふある谷川の岸の小学校を題材とした百枚ぐらゐのものを書いてゐますのでちゃうど八月の末から九月上旬へかけての学校やこどもらの空気にもふれたいのです
一方、仙人峠の反対側、近代製鉄発祥地の釜石市。以前から、童話の舞台は旧釜石鉱山尋常小ではないかと鉱山関係者に言われてきた。
今の同市甲子町大橋には、釜石鉱山の採掘場があり、職員らの子が通うため、12年に開校したのが釜石鉱山尋常小だ。戦後は釜石鉱山小、釜石鉱山学園と名を変え、鉱山の合理化に伴い昭和42年(1967)に閉校した。
賢治がここを訪れたという記録はないが、鉱山技師の父親の転勤で来た三郎の設定にぴったり合う、というのが釜石説の大きな根拠だ。
「賢治は鉱石採集に関心があり、鉱山に取材に来た可能性は十分ある」。市立鉄の歴史館の浦山文男館長は力説する。
実際に賢治は数回、仙人峠を越えて釜石へ足を運んだ。峠の釜石側には≪黒い岬のこっちには釜石湾の一つぶ
元々『風の又三郎』は謎が多いとされる。小学校のみならず、作品の舞台自体も、様々語られる。
定説は、奥州市と遠野市、住田町にまたがる種山ヶ原。花巻市 のさいかち淵も言われる。旧大迫町(現花巻市大迫町)の「早池峰賢治の会」は、作品に登場するモリブデン鉱の採掘坑跡が見つかった猫山一帯が舞台として、「大迫賢治マップ」を作ってPRする。
諸説入り交じる背景には作品の成り立ちがある。原型とされる『風野又三郎』を改変し、「種山ヶ原」「さいかち淵」などを組み入れた。その過程で様々に変化していった、というわけだ。
「風の又三郎は、賢治の精神世界と自然が一体となった作品。着想をもたらした自然は岩手 に様々ある」と宮沢賢治イーハトーブ館。
賢治生誕110年。作品の謎解きは、まだ終わりそうにない。
![]() ■「羅須地人協会」設立の記事・昭和2年2月1日夕刊 |
まず「この詩集はいちばん僕を驚かした。 |
![]() ■宮沢賢治 |
賢治は生前、岩手毎日新聞(明治32年発刊、昭和8年廃刊)に童話「やまなし」「氷河鼠の毛皮」「シグナルとシグナレス」などを発表している。岩手日報は批評や消息記事を載せて、中央で正当に評価されることの少なかった賢治を世に紹介することに努めている。 |


