その現実が到来する「理をどう解して観る」か

『鏡の法則』の質は「學び」を捉える観点にあり

御自我様は、どこまでも「わたし最高位」なので
『鏡の法則』を盾に、目の前の他者の振る舞い、
在り方、物言い、未熟さ等々をあげつらって、
「そういうとこあるよね」「ああいうのダメだね」と
あーだこーだ云ってから、「わたしの鏡だね」と
纏めればOKみたいな観察は、観察ではなく
ただの「批判・否定・ジャッジ」です。

目の前の現実は、360度に開く球体世界です。
背中側の見えない世界もあれば、真ん前の
見えやすい世界もある。そして、目の前の
見えやすい世界ですら、たくさんの登場人物が
存在する中で、「自我がフォーカスした人」を
「わたしの鏡」と捉えるのが御自我様の観点。

「現実」に対して「自我の観たい人を観て」
「捉えたいままに捉え」「体験したいまま体験する」
その「わたしの意識の使い方・観点・捉え方」が
「観察対象」です。例えば「あの人、偉そうだね。
いつも上から目線だし」と、思ったならば、


「わたし最高位を超えて出張る人」をフォーカスし
「我軸判断で、ジャッジしまくる意識の観点」が
「鏡されている」のです。目の前の人の「偉そうな
振る舞い=わたし」という、物理的な鏡返しは
初歩中の初歩、出来て当然のレベルです。

他者という鏡に対峙した時、わたしの「意識」は

どう動いているのか、「意識の鏡」を観ること。

「自らへ還す學び」は、そこにのみ存在している。
 

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誰かの事を、「こんな性格だ」「こんな物言いだ」
「こんな振る舞いだ」と宣ったり「もっとこうして、
ああすればいいのに」と勝手に心中で助言し、
「わたしも、気をつけよう」で終わるのは、
シンプルに云うと、ただの他者へのダメ出しです。
もっと踏み込めば、独り悪口であり、自らの中に
「瘴気」の振動を積層する創造とも云える。

『鏡の法則』なんだから、よく鏡を観ようと
御自我様が「フォーカスしたい相手の観察」をする
これは完全なる捉え前違いです。「よく観る」のは
「その現実というスクリーンに、映し出されている
自我意識の動き・癖・観点・歪み・特徴・構造」
です。逆に「よく観なくてよい」のは、物理的な
鏡として観る、他者の「傲慢・言動・振る舞い」
等々、「相手の表現している世界」です。

なぜ、「よく観なくてよいか」というと、単に
「一目瞭然」だからです。わたし達が物理的な
「鏡」の前に立った時に、「あ、歯と歯の間に
〇が挟まっている」「顎にケチャップついてる」と
いちいち実況中継などせずに、歯ブラシをして、
顔を洗うように、パッと観て「わかる」ことは、
その状態から脱する行動グラウンディングを
パッと成せばよいだけなので、以上終わりです。

例えば、人が「偉そう」に観える瞬間があったなら
「人の話を聴こう」「冷静に綺麗な言葉を使おう」
「自分では経緯をわかっていても、他者は全く
知らないのだから、主語を使って丁寧に話そう」
等々のように、すぐに行動グラウンディングの
方向性はセット出来るはずです。なぜなら、
「わかっているがしたくなくて、していない」だけで
「進化の方向性」はとっくに知っているのです。
ただ、そうするのが「面倒で嫌・察して」と、怠惰に
呆けまくって、ここまで来たというだけのこと。

そのような「1+1」みたいなレベルの「解けるのに
解けないふりをしている」一目瞭然の鏡ではなく、
「自我意識が、どんな人をフォーカスしているか」
「何をフォーカスして体験しようとしているのか」
「どんな物語を創っているのか」「どんな観点で
世界を構造しているのか」等々、「現実」という
スクリーンを前に、鏡される「自我の意識場」の
盲目の「認識システム」こそが、観察対象であり、
そこに、進化への「學び」が映し出されるのです。

「こういうところ、リーダーとして最悪だよね」とか
「〇は△にすべきだよね」「準備不足だよね」
等々ように、ともかく「わたし」を基準に(我軸)
全てを「ジャッジ」しては、ダメ出しし、更に、
「わたし基準に調えるよう相手に働きかけよう」と
するのならば、「意識のフォーカス」は常に、
二元の「わたし=肯定」「わたし以外=否定」の
「否定に該当する世界」にあることがわかります。

なぜ「否定」をフォーカスするかというと、
「わたしが肯定する方向へ調える為」で、例えば
「わたしが正しいと思うことへ、世界が調っていく
体験で、承認欲を満たしたり、やはり自分は
誰よりも優秀なのだと優越に浸りたい」みたいな
「欲する体験の獲得」を目指しているからです。

この「意識の動き」は、「全ての世界をわたしが
采配している」観点に基づいているので、
「わたし最高位=傲慢の極み」に在ると解る。
「現実の到来が映す、最善の學び」は、
目の前の世界には「大勢」がいるにも関わらず、
そのスピリット達の「意識場」は完全にスルーして
「わたし一人だけの世界=自我の意識場」の
「孤独な幻想物語フィルター」を通して体験し、
全てを采配しようとする「意識の在り方」です。

その意識の観点=「孤独な傲慢」の解除には
「盲目の観点」を起こすしかありません。それは
「協働共存」の観点です。例えば、御自我様は
「おはよう」と挨拶されたら「おはよう」と返すのが
基本だろうと思っているが、ある人は「目を合わせ
会釈だけする」或いは、忙しかったら目も合わさず
僅かに頷く程度だったとします。いつもならば、
「挨拶ぐらいちゃんとしなよ。社会人なんだから」
「人としてどうなん」と批判が出張るところを、

相手がその振る舞いや言動を「選択決定」して
具現化する自由を観て尊重し、更に、
「相手はこういう風に挨拶をする」とか
「忙しい時は、こういう挨拶になりがちだ」みたいに
「相手の挨拶スタイルを理解」しているのに、
「わたしと同じスタイルの挨拶に変えるべきだ」と
主張しようとする「意識の在り方」を観察する。

そして、これは異なる文化圏の「挨拶の違い」を
「わたしの文化の挨拶に変えよ」と命令するような
「文化の否定」的な創造構造と同じじゃないか、
という事に「気づく」ことが出来たならば、
「ああ、そうか。わたしの中のあらゆる無限と
協働共存するという事は、異文化交流のように
自我のフレームから外れた、あらゆるを観て察し
受容する、凹+凸→□の創造なんだ」と解る。

『鏡の法則』は、「自らの盲目とする意識場」に

存在している、「學びとの出逢い」を映す。

「盲目」とは、「無意識」に存在しています。

何かを観た時、瞬時に処理をするその意識、

「当然」のように「わたしは、こう考える」とか、

「それは、違うと思う」等々のように判断する、

その「わたしを基準に世界を認識する」システムは

呼吸レベルの「自然」さで滑らかに稼働します。

情動的な「出張り」とは異なり、無意識層は、

「出張っている」感覚すらないので発見しづらく

「盲目」になってしまいがちです。しかし、それも

「観察者」がいれば明るみに出す事が可能です。

「当然」は「当たり前にしているから」気づかない。

「当たり前」にしている事へ、「ほんとうに?」と

「問う」観点を全てにおいて立てていきます。

例えば「挨拶はきちんと目をみてすべきだ」と

当然のように主張するわたしに「ほんとうに?」

「惑星地球のあらゆる民族や部族が、全員

そうやって挨拶をしているの?」みたいに。

人にむかって舌を出すなとか、挨拶をする時に

帽子を取りなさいといわれるけど、逆に、

舌をペロっと出す挨拶とか、帽子をかぶる挨拶を

行う文化圏もあるけど?と。「あの人は、本当に

ありがとうと云わない」と批判するが、いつも

率先して掃除をしてくれたり、困ったなぁと思うと

サラリと手伝ってくれたり、「行動で伝わること」を

盲目にしてませんか?と。「わたし」基準における

「満足」を欲する限り二元構造は極まり続ける。

循環のない「孤独」な自己満足の世界は、

「豊かさ」が乏しく、ゆえにやがて「虚無」となる。

現実に映っている「意識の在り方」を捉えて、

投影に逃げず「無意識に隠す、ほんとう」を観て

「盲目」を捉える「観察者の問い」を立てて―。
 

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