創造が「息吹く」時 それは1つの世界へ自律し
創造主を超え 無限なる宇宙を刻む「全」に成る
「獲得」ほど、「創造」と不釣り合いな音はない。
その「學び」を、人は一体いつ始めるのだろうか。
自らが関わる創造全てへ、獲得欲、独占欲、
支配欲、優越欲…ありとあらゆる「欲」を投影し
「我がもの」としてしまおうと「執着」に苦しむ。
「執着」「欲」によって「辛苦」の投影が起こると
思っている人は多いけれど、実は「創造構造上」
あるべき場所に、あるべきものを置かないから
「苦しいサインが振動している」という事に
気づいている人は殆どいない。小さい頃、
多くの人が一度は経験した可能性があるだろう
「シャボン玉」を創る遊び。ぷぅと息を吹き込むと
ストローの先からシャボン玉がぷくっと膨らむあれ。
勢いよく吹いて、小さなシャボン玉をスワワ~と、
一杯出したり、ゆっくり慎重に少しずつ吹いて
大きいシャボン玉を創ってみたり等々、色んな
チャレンジをしたかと思いますが「シャボン玉」が
創造世界なら、創造者は「息を吹き込む者」
という事になります。シャボン玉は風に吹かれて
飛んで行ってしまうように、「具現化された創造」
=「世界」は、誕生した瞬間から、創造した主と
「何の関係もない全」としての軌道を持ち始める。
「創造者」と「創造世界・物」は、蝶々と象ぐらい
「全く別の振動」を持つ「全」なる宇宙。象は象、
蝶々は蝶々の世界で生きながら「循環」という
大きな「構造」として繋がるように、創造する
全ての具現化物は「誕生した瞬間から創造者の
手を離れ、その世界の「創造主」として自律する。
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わたし達は、すでに創造された「全」であり、
「1つの宇宙」として存在している事を、
「我が事」ならば、よく解っているはずです。
なぜなら、親の過干渉だったり、親の価値観の
押し付けだったり等々に、「反発・反抗」する
「自我」という別世界を持っているから。
しかし、「育てる側」になると、『鏡の法則』から
「子」に「わたし」を投影し、まるで「子」自身を
「わたし」の延長線上のような感覚で観てしまい
様々な事に干渉したり、自分の想い通りの方向へ
なぜ、そうなるかというと、「創造者としての
観点の學びが、疎かになっている」からです。
子の「父母」いずれかが、自分だったとしても
冒頭の「シャボン玉」に例えると、誕生と同時に
「シャボン=子」は飛び立っているのです。そして、
「シャボン」はもう『魂の羅針盤』という独自の
軌道を持っていて、それは決して誰とも相容れず
誰によっても変える事が出来ない「宇」の振動を
湛えています。ゆえ関わる時は「霊性進化」的な
観点では、「學ばせて頂く鏡=師」と捉えます。
シャボン玉が軌道に乗り、遠くへ旅立つその日まで
強風や何かのアクシデントで割れたりしないよう、
そして、飛びたいように自由に飛べるように、
様々な体験を自らの律で超えながら立ち続ける
力強い「霊性進化の旅人」へ成ってゆく様を、
間近で「サポートし=下がって観守り」學び続けると
「ああ、我がものだと思っている全ての世界には
立派な創造主がいたんだなぁ」と気づき始める。
「創造者という役」を真に腑に落とした瞬間から
「執着・欲」は、やっと消滅へ向かい始めます。
子育てだけではなく、先輩後輩、上司や部下、
友人等々、ありとあらゆる人間関係の中には、
「創造者の領分」の學びの体験プロセスがあります。
そうして、投影が強く出る「人」の學びを超えると
自然と、「物・世界」への執着も消え始めます。
例えば、このブログ。御自我様らしい観点だと、
執筆者によって「書くも書かぬも自由」だし、
内容も何もかも、作者の好きに出来るものだ、
という感覚があったりしますが、今のわたし自身の
感覚は「執筆役を頂いている」「アメブロに
アップする役を頂いている」というイメージです。
創造の「主」は「ブログ」自体にあるという感覚。
つまり、「創造者の権限を持っていない」のです。
確かに、「シャボン玉を創ろう」とふと思い立って、
ぷぅと息を吹き込み「シャボン玉=ブログ」を1つ
飛ばしはしたけれど、ストローから離れて飛んだ
「シャボン玉」は、もう吹いた人の思うままに、
1ミリも動くことはないし、影響も受けないように、
「独自の世界の軌道」で走り始めるのです。
皆様が様々な国や地域や場所で、この一片の
未熟者の書く記事を読んで下さっているように、
シャボン玉は「創造者の知り得ぬご縁」を持ち始め、
未知なる軌道を独自の律で歩む、独立した
「世界」となる。つまり、集合的意識場に関わり
その影響を受けながら進化する「意識体」として
発展する「全」になってしまうのです。これは、
スピリットが関わる「創造全て」一律に同じです。
例えば「店舗運営をはじめた」としても、そこに
「店舗」が誕生し、お客様がいらした瞬間から、
「わたしの店舗」ではなくなり、「ある世界」
「ある全」「ある宇宙」という独立した意識体に
進化発展してしまうのです。だから、「わたしの
店舗なんだから、わたしの好きにします」と、
「わたしの拘り」が最優先でリクエストにも応えず
「わたしは、わたしが作りたい物しか作らない」
等々「自我最前線モード」やっていると、
シャボンはどんどん小さくなっていくし、やがて
時が至れば、パチンと弾け消えてしまう。
逆に、その「世界」を「世界」としている全て、
「縁者達=その店舗に集う意識体達」の
共鳴する振動を聴き、その振動が伝え観せてくれる
「方向性・サービス・在り方・料理」等々と
「コンセプトを融合し、調え創る事に仕えさせて
頂く者」として、まるで「店舗=会社」
「わたし=社員」のように「仕える事」として
徹し続けるならば、その世界は「軌道」に乗り
「豊かな循環律の流れ」が具現化し始めます。
未熟者のわたしは、超未熟な頃、ふと思い立ち
息を吹き込んだシャボン玉が、勝手にフワフワと
飛び始めると、「マイペース」が通じなくなる事が
何とかしようと、手を伸ばし思わず「パチン!」と
消してしまった体験が幾つもあります。そこに
関わっている沢山の「縁者達の背景」も盲目に、
「自分のことだけ」を最優先に逃亡したわけです。
「やりたいように」「好きなように」出来なくなる、
そんな「想い=欲」に囚われていた20代の頃。
「わたしの思うように世の中と関わる」みたいに、
「わたしの思うままに集合的意識場の方向を
変えられる」という傲慢さが極まっていた頃。
「自我最前線」と真なる「自律」を捉え間違えて
「創造者の領分」を観極められなかった頃。
例えば、1つの何かの作品が世に出て行く時に、
「わたしの思うやり方で売って下さい」なんて事は
通用しないし、会社でも「わたしのやり方で
進めるので放っておいて下さい」など通用しない
という事ぐらい、少し観察すれば解る事なのですが
どれだけ多くの「協働創造者達や背景世界」が
存在しても、全て「完全に盲目」になってしまう。
「創造者の領分」は「シャボン玉を吹く迄」です。
「わたしが助言した事なのに、あの人はまるで
自分の手柄みたいに吹聴している」というように
「創造世界の所有権」の主張的な出張り合いは
御自我様にはよくありがちですが、創造世界とは、
「息を吹き込む」=「意識とエネルギーを込める」
方向性の通りに具現化します。その創造世界が
「気に入らなかった」としても、高く空まで飛ぶ
シャボン玉は誰にも「止めること」は出来ません。
なぜなら、もうとっくに「手離れている」から。
創造世界は宇宙の「循環構造」の流れの中で
なのに、御自我様は、まだ「掴んでいる」
「わたしが創造者だ・何とかなる」と誤認するので
「あれが、こうならないのは許せない」とか、
「こうして貰わないと気が済まない」等々のように
「欲・執着」を投影し「辛苦」を創ってしまう。
「とっくに手離れている」のに「手離れていない」と
「誤認」している意識場の創造構造によって
「辛苦」が創られているので、「手離れている」
位置に世界を置きます。目の前の「現実」は、
全て「あるべき場所に在るだけ」だと認識します。
そこに具現化されている「共通事実」は全て
「あるべき場所に収まって」いて、もしそれが
「収まっていない=間違っている」と感じるならば
それは「自我の意識場」の「認識の歪み」だと
還していきます。そして「共通事実」の方向へ、
「意識の在り方」を置き直します。「あの人は、
自分の手柄のように」という在り方は、観点が
「創造者」の位置にあります。「わたしの助言」を
吹き込んだ「ある世界」がその具現化を成した、
という現実があるだけです。その「現実」から
還し観るのは、自らが吹き込んだ「息吹」
=「意識とエネルギー」です。現実の「鏡」を観て、
例えば、「傲慢・優越」を吹き込んでいる事が
映っていると「気づいた」ならば、現実=「果」に
物申すのではなく、自らの「意識場」の律を調え
次の「今この瞬間」に込める「息吹」を調え直す。
「手離す」と言葉では表現しますが、実際は、
「現実という果」が目の前に巡り還っている時は
「全て放った後」であり、何も持ってはいない。
そこにあるのは「投影」がもたらす「幻想」体感。
「体感」は「歪み」を重苦しいサインで伝えます。
「歪み」はどこにあるか。「何とかしたい」とか
「現実へ物申して、変えようと思っている」即ち、
「創造者の権限」が、まだ目の前の「果」という
「過去に放った意識とエネルギーの具現化」した
現実=「過去の産物」に存在していると「誤認」
している事にある。なので、これを「正位置」にし
今この瞬間の「無限の可能性に在る」認識に
現在地をセットし直します。そうすると幻影は止み
「今この瞬間の息吹き」に全力で集中出来ます。
「思考・筋道」で捉えず、「構造で観る」こと。
その世界を世界とする「概念」を捉える観察を―
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