「気分が楽になる事」は「体験モード」の創造

「具現化」は「体験世界の基盤構造」の創造

「やる気」が出るような出来事があると、
途端に生産性があがるのが御自我様です。
「一喜テンション」に依存しなければ、
行動グラウンディングが出来ない状態では
「二元構造の意識場」からの解脱は不可能。
なぜならば「幻想構造」がなくなると、
生きていけなくなってしまうからです。

なぜ「二元構造の意識場」を「一元構造」の
宇宙の『循環の法則』に基づく構造へと
創り変えることが「霊性進化なのか」というと、
「幻想」に依存しなければ、「リアルな体験」を
超えられない「未熟・幼さ」を脱するから。
幻想は、例えば注射が嫌で号泣する幼子に
「ほら、これみてごらん」「凄いね。面白いね」と
何か「興を惹くような別事」に気を逸らして、
「超える必要のある体験を何とか成す」ような世界。

しかし、この「超える」は「気を逸らす」サポートが
あってこそやっと成せる世界。真なる「超える」は、
自ずから立ち、現実と対峙する時にはじまる。
わたし達は「投影幻想物語」に支えられて、
やっとリアルを生きる事が出来る「未熟」にあり、
幼子が泣かずに注射をしたり、親から離れて
学校に通ったり、キャンプなど外泊が出来る
ようになるみたいに、「段々幻想を手離す」
=「霊性進化プロセス」を生きています。

年齢のように成長が肉体に転写されない為
いつまでも「未熟」を装っていますが、こうした
「覚醒」の情報が目の前に「到来」している
我々は、もう「自立」の時を迎えている。
「現実の到来」はいつもタイミングに至った
最善最良の「學び=課題」を運んできます。

「気分」を変え、「周波数帯域」が変われば
当然、黒に観えたものが、その帯域では「白」と
認識されるようになるので、「現実が変わった」
ように「一時」観えます。ただ、ご存知の通り
「テンションは持続しません」。ヘリウムガスを
吸ったみたいな「一時変化」の「投影幻想」は
効能が切れれば終焉する世界でしかない。

気分を変えて「一喜」を追い求め続けても、

「二元構造」の意識場は決して変わらない。

「意識場の創造構造」を変えるには、

その構造の「意識」に基づき、個々スピリットの

「現実に応じた表現の行動グラウンディング」を

確実に成していくことが「必須」となります。

「こうなる」と強く思い込む事は「決定」に非ず。

「決定」は「構造へ還す行動グラウンディング」。
 

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~★ありえないを超えてゆく★~
 
「二元構造の自我の意識場」は、基本的に
「体験者=わたし」と「現実」だけの世界です。
「体験者=わたし=御自我様」の「解釈・想い
体感・思考・判断・評価」等々の「認識」で、
「ある現実」を、「わたし仕様の世界」に
創り変えて、その世界の体験を生きています。

「わたし」と「現実」しかない世界において、
その世界を世界とする全ての実権を握って
いるのが「体験者わたし=御自我様」で、その
「わたし」を「最高位=絶対神」とする世界が
自我の意識場。凄まじい信仰の強さから
ここでは「自我」を「御自我様」と称しています。

「わたしの全て」を創ってきた御自我信仰を
「手離す」というのは、「わたしの存在全て」を
一旦手離すようなもの。「わたし」と「現実」しか
ない世界で、「わたし」を手離すとなれば、
「わたしを否定するのか!」となるのは、
「わたしが黒と云えば白も黒となる世界の神」ゆえ
致し方なしですが、ゴボウを食べない文化の方が
「木の根っこを食わせるのか!」と訳知らず
激怒している状態と同じですので、

「怒」の瘴気を撒き散らかす荒神御自我様に
「お鎮まり下さい」と、「未知との出逢い」を
サポートしていくのが「観察者」です。
「現実の捉え方」を、「わたしの認識」から
「共通事実に基づく認識」構造へ
「転換する」ことは「否定」ではありませんよ?
と、意識のフォーカスの移行を導いていきます。
「意識の観点の変更」は、「わたし」という
「存在意義に何ら影響はない」ということ。

「一喜」の御供えがないと、お願いごとを
適当にしか叶えない「御自我の神様」に、
「御自我様の認識によって「2つ」に分割する
御供え物(=現実)は、実際は差異がない
一律です。ゆえ「半分」しか食(受容)されないとは、
実に勿体ない事です、と御伝えします。

御供え物を、「一喜」と「一憂」のように、
分けてしまわれますが、それは「1つの饅頭」や
「1つのドーナツ」のような「1つの御供え物」。
確かに、餡が入っている・いない部分とか、
チョコがかかっている・いない部分はありますが
全て「1つのそれ」を構成するグラデーションです。

全面「一つを創造する環」でしかなく、どこを
食しても、「一つのドーナツ・饅頭=御供え物の
一つ=現実の一つ」に変わりないのに、その
半分しか、お召し上がりになられないのは、
実に勿体のうございますよと。もし御供え物を
どこもかしこも丸々1個「全て」食されますと、
次の「御供え」=「現実」は一回り大きくなる。
全てを食される度に「御供え物」は大きくなり、
比例して「具現化」出来る世界の大きさも、
どんどん拡がっていかれるのですよ、と。

すると御自我様は「それはよい事じゃ。しかし、
不味い物は食べとうない」と荒ぶりますので、
「幻想のふりかけをかけるから、半分が
不味くなってしまうのです。その味付けを
やめれば、全部美味しく食べられますよ」と、
導いていきます。「一喜一憂」という世界が
2つに別れるのは、御自我様が「わたしの
認識」をお掴みになれているからです。

御自我様のおはします自我世界の神様は、
あなた様御一人ですが、その目でご覧の通り
世には沢山の神がいらっしゃいます。ご存知で
なかったでしょうけれど、あの方々も貴方様と
同じ位を持ち、同じ世界観に生きる神々です。
「絶対神」が「わたしの絶対認識」を、お互いに
投影し押し通そうと、すったもんだしているから、
この世は「しんどくて面倒」になっているんです。

「軽やかで楽」な世界にするには、神々の使う
「対立構造」を取りやめる必要があります。
「対立の停止」は「わたしの絶対認識」を下げ
あるがままの「共通事実」を認識する事で
叶います。なぜなら、共通事実は、
「どの神々からも観える事実」だからです。
「同じ世界を観る」と、「対立」は消失し、
やっと「協働共存の観点」が起動するのです。

つまり、存在場が「わたしだけの世界」ではなく
「全てが共に在る世界である」ことに、
御自我様ご自身が気づく必要があります。
未知なる世界は「気づき」からはじまるのです。
「そうか…」と云いつつ、御自我様は更に問う。
「しかし、我は気分が良くなる事に出逢えば
やはり喜ぶし、そうでなくば憂うのじゃ。
どうすればこれがなくなるのだろうか。」

貴方様に「素晴らしいですね」と云う神がいたり
「賛同しかねます」と云う神がいらっしゃる時、
「気分が上がったり、下がったり」する体験は、
「素晴らしい」や「賛同しかねる」という台詞を
「御自我様ご自身の事である」と、全てを
「わたし」に結びつける認識で創られますので、
一切を「ご自身」に結びつけないよう願います。

「自意識を過剰にすること」で、二元構造は
維持されております。「良い・悪い」と、
ご自身で振り分けた全ての要素を、ご自分に
結びつけて体験なさるから、しんどいのです。
自我世界は「自己完結型幻想」ですので、
わたしの思う世界が全てのように観えますが、
よろしいですか、絶対神の云うことは全て
「その絶対神の認識を投影しているだけ」で、
その言葉が通用するのは、「その絶対神が
たった独りおはします世界の中だけ」です。

残念ながら、御自我様が「一喜」されるような
「素晴らしい」「最高」等々のお言葉も、
「一憂」される「がっかりだ」「賛同しかねる」
等々のお言葉も、それを発言されている
ある御自我様が「自己完結型の自我世界の中で
独り投影体験されている幻想の中の貴方様」で、
協働共存場の「共通認識ではない」のです。

この「構造」をしっかりとご理解されていると、
他者が、御自我様に向ける「評価」など、
「あれ、白っぽく観えない?」「そう?わたしは
黄色っぽく観えるけど」みたいな、実に実に
たわいのない話だとお気づきになられますよ。

どの神々が、あなたに何を手向けられようと、
あなた様は「他の神々のご認識」として、
その御供物を全てありがたく頂戴(受容)すると、
あなた様の具現化する世界が、多様性に溢れ、
大変豊かになられるのです。あなた様は
ご自身がおはします場を、「あらゆる豊かさが
満つ世界」へ導く、創造神(者)です。

今貴方様は、ご自分でお創りに成られた、
「二元構造」の世界で、「全てが気分によって
支配される」体験をなさっておいでですが、
その世界が「苦しゅう」なられたのでしたら、
その「構造」を創り変えてしまえばよいのです。
それには、「お創りになられた世界を体験する
モード」から「新しき世界を創造するモード」に
観点をお切替されることが必要です。

その「はじまり」が「共通事実を軸とする認識」
及び、「評価全ては、他の神々の世界の中でのみ
展開されている投影であり幻想にすぎない」事を
ご理解された「意識の在り方」に基づいて
「受容」する「行動グラウンディング」となります。
あなたは、「気分の体験」を創る者ではなく
世界という「創造構造」を創る者である事を、
ゆめゆめお忘れなきよう、お目醒め下さい。

あらゆる御自我神と、ありがたくも日々毎瞬

學ばせて頂いていると、まるで「荒ぶる神」を

鎮める「祈り」に似ているなと感じるのです。

困った時の神頼みが如く「どうか」と願っても

届かぬのが祈り。全てを宇宙摂「理」の循環に

委ねられる意を乗せた 気づきを持っていなくば

祈りは届かず、届くことが叶わなかった意は、

全て自らへ跳ね返り、「これで學び直せ」と

「現実投下」というお土産(ギフト)を頂戴する。

「學ばせて頂いたお陰様で気づけました」という

感謝の振動を100体現し「未知への扉」を開く 

意を乗せる場において、「どうかお願いします」と

依存していては、跳ね返るばかりなのです。

「良い・一喜」にフォーカスする御自我様は、

現実投下のお土産を貰うと、「あの神様とは

相性が悪い」と思ったりしがちですが、はたして

そうなのか。実は最も慈悲深い神かもしれない。

確かめるなら、真摯に學び気づいた事を体現し

その意を乗せ 再訪してみる事です。足れば

清らかなる巡り還りが、まだ足らぬならば、

その分だけお土産を頂ける。神々に奉献酒を

御供えしても、酌み交わすのは「霊性進化」。

対話は、そこでのみ行われます。我々の中の

「御自我様」も、荒ぶる偉大なる神。この神に

我々は真摯に學びを請い、今この瞬間における

最善最良の「土産」を頂きながら共に進化し、

やがて「1つの巡り還りとなって融合」するのです。

最高神御自我様を導く「未知の神」へ進化して

二元構造からの解脱の未知を 道と成す時―。
 

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