「情動」を軸に 世界を捉える癖を崩しゆく

幻想の「終焉」ルートを 今この瞬間決定する

御自我様は「万人に対して善人・好感的」な
「わたし」を演じるので、「嫌な想い・苦」という
歪みを報せる情動の「反応サイン」が出るたび
二元構造の意識場の「否定」側へ隠して
「全然平気なフリを装う」事をスタンダードに
他者と接しているケースが多かったりします。

または、逆に「二元構造の意識場」の
「コントラスト」が創る幻想の「歪み」を
調えられるのは、自分しか存在しない事が
盲目になっていて、「わたしは、嫌です」とか
「こうされるのは、しんどいんですけど」等々、
堂々と「情動反応」を外へ言い放ち、
「わたしに嫌な想いをさせるのをやめてよ」
「あなた方の在り方を変えなさいよ」のように
外へ欲するを求めるケースもあります。

「我慢する」か「我慢してた事を放つか」という
「白か黒か」的な選択肢の創り方そのものが
「二元構造の意識世界」を表現しています。
「二元構造の意識場が創る選択肢」の
どれを選んでも「二元構造」を創るだけです。
「我慢する」体験世界そのものを終焉し、
新しき世界を創生するのです。

「解脱・覚醒」は、さなぎが蝶になるように

これまでの世界とは、根源から全て異なる

「別世界・別次元」を創生する方向にあります。

コントラストを崩壊し、融合へ向かう観点、

全ての選択肢を超越する方向を捉える。
 

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~★ありえないを超えてゆく★~
 
「感情」というのは、他者にはどうしようも
出来ないものです。「いや、出来る。あなたが
〇をしなければ、こんな気持ちにならない」と、
感じるならば、完全に幻想に嵌っています。
もしくは「依存的に生きている」とも云えます。
「何があっても、なくても」「どんな瞬間でも」
「わたし」という存在を調え立つ、という
「自律・自立」の振動を使っていない。

わたし達は生涯、たくさんの人と出逢います。
二元構造の自我の意識場を使っていると
常に「コントラスト」と出逢い続けるので、
その都度「言い方を変えて」「もっと配慮して」
「気遣いをして」「わたしを嫌な気分にするな」
等々の体験世界に嵌っていると、一生の
大部分がその体験になってしまいます。

もしくはすぐに「こんなとこ、やめてやる」とか
「あの人はダメだ。縁を切ろう」等々のように
逃亡や排除を繰り返し、「ここじゃないどこか」
みたいな夢の理想郷を探し、「きっとわたしを
認めてくれる世界や人がいる」とフワフワ幻想の
体験に生涯を費やす事になったりする。
「それこそが、我が希求」というなら、よいですが
「そうじゃない」ならば、即刻観直します。

「感情体験」は、自らが欲して創っています。
例えば「感動したい」気分だから、あの映画を
観ようみたいに、「気分を変える」為に、
「映画」「旅行」等々を使って「投影場」を
変更する事があるように、「情動の全て」は
自らが投影によって創り出しているのです。

というと、御自我様はきっと「いや、辛苦など
欲していない」と思うはず。「感情」というと、
「感情だけ」に観点を置く、その「一」しか
観ない狭小な観点は、幻想の創造者たる
特徴ですが、「全」を観ます。映画を観て
感動するのは「ストーリー」があるからです。

つまり「辛苦」を体験したいのではなく、
「辛苦という感情フェーズを解放する喜び」を
体験するストーリーを欲していると観る。例えば
「誰にも理解して貰えない、ずっと孤独」という
体験世界から、「理解してくれる人・世界」に
出逢い「満ち足りた幸せ」を体験する的な
「めでたしめでたし」なハッピーエンドへ至る
「一喜一憂」ベースのストーリーを創る為には
「辛苦」ポジションの体験は必須です。

なので、だいたいの御自我様は、何らかの
一喜一憂物語を欲している為、そのレベルは
様々あれど、辛苦体験を経ているか、
現在進行形で体験していたりします。
ストーリー体験は投影幻想でしか創れない世界。
ゆえ「自我の想い描く物語を生きる」体験を
手離さない限り、二元構造の自我の意識場から
解脱することは不可能なのです。

ですから、二元構造を手離すならば、
「やっと、”わたし”をわかってもらえる」体験や
「やっと、”わたし”が認められる」体験を創る
全てのストーリーを手離す事になります。
もう少し具体的にいうと、御自我が設定する
「わたし」キャラの通り、他者に認識される事や
「わたし最高位」通りに、他者が自分を
「凄い」と称賛する事への「執着」一切を、
手離すということになります。加えて、

「ちゃんと出来るのに」「わかってたのに」と、
実際は「出来ない」「わかっていない」が
具現化している共通事実があるのに、目を逸らし
「自我システムのわたし感情」に嵌り込む的な
体験も全て、断ち切り続ける事になります。
もしその執着を握り続けると、一元構造への
進化プロセスにおいては、二元構造のような
「やっと~してくれた」という「一喜一憂」の
「わかってもらえた」「認められた」体験が
得られないので、「辛苦」だけが募ります。

その「辛苦だけが募るしんどさ」は、間違いなく
「執着の手離しをしない決定」によって、
「自らが創り出している世界」ですが、それを
御自我様は「覚醒・解脱のせい」にして、
「覚醒はしんどい」「解脱はしんどい」みたいに
覚醒や解脱を苦行のように言い始め、
「わたしには向かない」「未熟ゆえ出来ない」
「まだまだ分不相応です」等々のように
「逃亡の言い訳」に使い出したりします。

そうして「二元構造」で、巧妙に自分を
騙し続ける限り、眠り意識に沈むだけです。
自分で自分を封印し続けると、やがて
それが決定となり永遠に解呪できなくなる。
その方向を選択するなら逃亡を使わず、潔く、
「幻想を捨てたくないから、幻想に生きる」と
明確に「決定」を自覚する方を強くお勧めします。

なぜなら、やがて二元世界の「極」へ到達し
行き詰まり(底)による「転(崩壊)」の時に、
「言い訳」が出来ないからです。どんな
「現実投下」が到来しても、間違いなく
「わたしが決定し創造した体験だ」という
起点があるとリスタートを最短最速にします。
「創造者」を眠らせ、逃亡に生きる限り、
消滅と隣合わせという自覚に生きる事は大切です。

もし覚醒を決定し「二元構造」を終焉するなら
冒頭の「我慢する・しない」のような
二元的選択肢を使って、体験をスライドさせる
創造構造を持つ世界も手離す=停止します。

例えば、「家事などの分担」をしたのに、
結局は相手が出来ない事が多く、殆どを
自分が担っていることについて、ずっと
「わたしだって仕事をしているのに」という
「不満を抱いている事を我慢し続けていた」
とします。ここで「白黒」的なスライド体験で
「もう、我慢しない」となると、

「自分の事しかしませんから」「ずっとわたしは
我慢してきた、もう嫌です」「自分の事は全て、
自分でして下さいね」等々のような方向へ
転じがちです。「鬱憤」は解消されるでしょうが
その「二元構造で世界を創る」意識の観点が
変わらない限り、全ての体験は「白黒」的な
激動の世界観に終始します。

二元構造の全ての体験を終わらせるには
「創造構造の崩壊」が必須です。
「我慢する」世界を創っている全てを壊す事。
「わたしだけ、大変な想いをしている」という
損得観点があるという事は、「家事分担」を
決める時「互いの楽=自分の楽」を創造する
「意識の在り方」だった事が観えます。

そうなると「支え合う・循環」ではなく、
「平等性・損得」に観点が執着します。
「協働の為」と名打ちつつ「楽したい意識」に
基づいていると、「分担をこなす事」や、
「相手が分担をちゃんとしているか」等々に
着目してしまいます。そして「楽できない」事に
不満を持ち合う。「循環」というのは、
平等性ではなく、「支え合い」に基づきます。

簡単に云えば「思いやり」になります。
例えば「仕事から帰ってきたらゆっくりしたい」
「今日はご飯作るのしんどいな」と思うなら、
『鏡の法則』に基づき、他者だって同じことを
感じたり思う日があると解るはずです。
「相手=自分」という意識があるから、
「よし、美味しいご飯作ろう」と奮起できるし、
「夕飯の当番じゃないけど、今日は余力が
あるからわたしが作っておこう。そしたらゆっくり
休めるもんね」となったりする。

つまり、「我慢」の体験世界を創るか、
「支え合い・持ちつ持たれつ・循環」の
体験世界を創るかは、全て創造者の
「意識の在り方」にかかっているということ。
「わたしの楽」ばかりを捉えているならば、
分担表の前に、自らの意識の在り方を
調えることが「先」になります。

「分担表」は目安でしかないのです。
「分担通りすること」「分担をこなす事」が
大切なのではなく、「分担」という世界は
どのような「意識に基づき」創り始めたのか、
また創ろうとしているのかを観るのです。そして
「その意識に基づく行動グラウンディング」を成す。

世界の全ての「はじまり」を創造しているのは

「意識の在り方」です。全ての創造物は、

それに基づいて出来ています。その事を

全く気づいていない御自我様は、創造された

「分担表」のような何かを観て、その世界の中の
 
「平等性=自分の楽」が保たれているかばかり着目し

「点」の中で対立したりするのです。宇宙の全ては

フラクタル構造です。つまり「支え合い」は

分担表のような小さな世界のみならず、

人生やスピリット世という「大きな環・全」にも

存在しているのです。「恩送り」という言葉が

ありますが、頂いた分を頂いた人に還すという

「A⇔B」より、「A→B→C→D…」のように、

次なる縁者へ贈ると、環が拡大します。

「ありがとう」と感謝の気持ちが湧いた時には

その世界を協働して下さった方とは縁が切れている

という事も多々ある。その「分」を今この瞬間

目の前の「わたし」へ贈り合うことによって

「支え合い・循環」の構造は創られていくのです。

そうした「大きな環・全」の観点に立つと、

「頂いた分を、やっと他へ贈る事が出来る」

今この瞬間に「喜び」を感じられるようになる。

そして「喜び」が、これまでの全ての縁者達の

贈って頂いた分によって創られていることが

細胞に染みわたるように解ってくるのです。

今この瞬間の自分も、今この瞬間の現実も、

全てが贈られた分により創造されている事に

気づく時、新しき世界のGATEが開く。

「A他者→自分A→B他者→自分B…」と、全てが

「我が事」として他へ贈る時、循環は構造され、

その創造構造から、「わたし」という概念が

いかに幻想であるかが、よく観えてくるのです。

「他が為」が全となる時、「集」の意識も

循環となる。そこへ至るには「一」なる意識、

自我の意識場の「二元構造」を手離し、

「一元の循環構造」へ調えるが はじまりとなる。

時代の変遷と共に、霊性進化へ生きる。

惑星地球と共に 新しき一歩へ踏み出せ―。
 

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