二元の分離意識は 己と切り離し世界を創る
「観とめない」絶対的盲目が 世界を彩る全て
二元構造の自我の意識場は「全」なる意識を
「わたし」という自我世界と、「わたし以外」の
現実世界を分け隔てるように分離して、
「わたしの要素の一部」である「わたし以外」に
「否定・拒絶・間違い・失敗・認めない」等々に
該当する全ての事象を投影し「不当」とし、
「わたし=自我意識=正当」の世界観を、
独りで体験するように創られたシステムです。
分離された「不当」なわたしの要素全ては
「絶対的否定・拒絶」を投影する対象や、
「争い」「猛烈な怒り」等々の事象として
「目の前の現実世界」に還ってきます。
しかし「わたし最高位」に相応しくない世界は
全て「わたしと無関係」の認識ですから、
「こうすればいいのに」等々のように
「別世界・他人事」として体験するだけで、
「完全なる盲目=闇」へと葬り隠蔽してしまう。
「目の前の鏡=現実」に「否定」を投影する時
そこには葬り去った「自分の闇」が映っています。
「争い」「攻撃」「自分勝手」「猛烈な怒り」
「失敗や間違いの連発」「人の話を聴かない」
など「最高位にふさわしくない事実」の他、
「羨望」「理想」なども含まれている。なぜ、
理想のような「好ましい要素」が「闇」にあるかは
「手が届かないもの=失望や絶望の投影の
引き金になるもの」は、否定してしまう方が
自我にとっては「好都合」になるからです。
つまり、「自我システム」は体験特化型であって
「進化には全く不向き」であるということです。
なぜなら「今の自分を 進化へ導く光」となる
「未だ知らぬ理を想う希求」を「拒絶・否定」し
「不当の闇」へ葬っているから。この創造構造を
捉えて、どれだけ真剣に「學び=闇と向き合い」
「気づく=全へ還す」かが、覚醒の鍵となる。
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「特別にフォーカスした」自意識過剰状態を
スタンダードとして稼働しています。だから全ての
「現実」を「わたし中心に体験」出来てしまう。
コンパスの中心点だけを「わたし」としているが、
実際は、「描いている円=現実」の中に在る
点の「一つ」が中心というだけです。それを
「わたし」という名前で「現在地」と決定し、
「全てなる意識をその一点に集中」させると
「わたし」という分離された人物が創られる。
しかしそれは、「意識の現在地」を、
「その中心点一つだけに在る」と思わせている
だけであって、実際の「全なる意識」は、
「円(厳密には球体)=全」そのものに存在する。
「中心点=わたし」には「正当とする要素」を
「中心点以外の円の面積=わたし以外」には
「不当とする要素」を設定して、コントラストで
二元構造を創れば、投影を再生する事が出来ます。
体験とは実際は「観ているだけ」のようなもの。
現実はいつも「ただそう在るだけ」です。それを
観て生じた「体感=自我システムの認識」が
「世界」というものを「独自の意識場の中」に
創り出している。この構造に「気づく=本来の
全なる意識へ戻る」事を「決定する」ならば、
やる事は一つです。「自我の観るまま」を
「体感しない」ということです。
「感情が鎮まるのを待つ」事は不可能です。
確かに、「投影のきっかけの事象・話」などが
目の前から消えれば、映画が終わった後の
ただのスクリーンに戻るので、「一時だけ」
平穏な感情になるでしょう。しかし、世界とは
『鏡の法則』を巧みに利用した創造構造ゆえ、
すぐに「闇=否定・拒絶」が登場する事になる。
よって「感情が鎮まる」を先に創ろうとするのは
非常にナンセンスであり、それは「感情体験」の
継続の決定に通じるのです。「でも、感情が
邪魔して動けなくなる」と自我は宣うかもですが
「邪魔しない」状態へ至るには、今この瞬間の
「自我システムを停止する=二元構造の
自我の意識場のコントラスト投影の解脱」を
具現化するしか道はないのです。
それを「するか・しないか」という決定しかない。
そして「する」ならば、膿を出す時の治療のように
「一瞬痛いけど我慢して」と「炙り出る感情」を
「超える決意」に沿って行動グラウンディングする
決定が必要になるのです。何度もそうして、
「感情を超えて、決定へ動く」を繰り返し続け
「膿=投影感情」が段々と放出されていくと、
「炙り出される感情」がどんどん消えていき、
やがて「真なる平穏」へ到達するのです。
「こうなったら困るから、やめとく」みたいに
「恐れ」の感情を超える事が出来なくて、
「わかっていても、しない決定」に在る御自我様は
とてもとても多い。けれど、そこにいるぐらいなら
現実が幻想などという事も全く気づかぬまま
「自我物語」にどっぷり嵌っている方が楽です。
「知らぬが仏」ということ。しかし「知った」以上、
厳密には「知るタイミングが到来した以上」は、
「決定の方向を転じる」時が今だということ。
現実は「最善最良の學び」の到来です。
よく「決定を転じる時」が来ているのに、
往生際悪く「でも選択は創造主の自由決定」と、
「わたし最高位」な御自我様には、実に心地よい
「創造主権限」に意識のフォーカスを誘導し、
「幻想へ逃亡しようとしている事」から「巧みに」
目を逸らさせる「フワスピ理論」がありますが、
「御自我の心地良い方向には幻想あり」です。
この事を、よくよく心得て「自分で」律すること。
それは「夏」が来たのに、選択は自由だからと
「真冬仕立ての生き方」を通すような幻想です。
「夏の到来を知った=現実という世界がどう
創られるかを知った」ならば、「夏」と共存する、
「霊性進化」と共存する方向へと、「決定」を
転じる必要があるのです。なぜなら、スピリットは
「全なる一」の存在であり、ゆえに「流れ」に
「逆らい抵抗する」と苦しくなるだけだからです。
「わかっているけど、しない決定」は全て
自らで自らを苦しめる、自らの闇の浸食を許し
自らを喰らわせるような創造に繋がっている。
「楽」したい御自我に流されず、その言葉が
「理に叶っているのか」をよく観察することです。
宇宙には無限に創造が誕生します。その全ては
霊性進化プロセスの産物。良いも悪いもなく、
「色んな質のもの」があるがままに「在る」だけ。
どれも希求のもと、創造された「全」です。
わたし達は今までもこれからも、その全てと
共存協働しながら「我が未知」を生くのです。
なくなればよい創造はありません。創造は
「陰陽一対の全」であり、各プロセスに応じて
必要な「學び」を鏡してくれる宝のような存在。
その全を「どう認識するか」を決めているのは、
「意識場」です。外側の全ては「否定・肯定」
など何も持たない純粋な「創造・存在」であって、
それを持っているのは「自分だと」自覚すること。
「他人事」のように「可愛そ~」とか、「もっと、
あの人もこうすればいいのに」等々を投影し、
「わたしとは無関係」として、御自我が気分よく
上に立って「あーだこーだ」宣う事象は全て、
「わたし」から盲目で、他者からはよく観えている
わたし達は「他者の事は、よく観える」もの。
つまり『鏡の法則』は、「自我世界の中」で
「盲目」としている全てが、外側の人間からは、
「丸観え」になるのです。それを「観逃しあう」のが
「御自我様達の暗黙のルール」です。なぜなら
「お互いの幻想が解けてしまう」から。
「こう言っておかないと、また機嫌悪くなるね」
「人には謝罪を要求するけど、あの人自身は
謝らない人よね」「勝たないと気がすまないから」
「ほんとうの事なんて、口が裂けても言えない」
「大変な事になっちゃう」等々、御自我様達は
「幻想崩壊」を起こさないよう配慮し協働している。
「感情が全て」という世界に生きるならば、
「ある体験したい絶頂の感情」を得る為に
「一喜一憂」「天地返る」「充実と虚無」などを
繰り返し続ける「輪廻」の中に留まるしかない。
この輪廻から解脱し「世界線を変える」ならば
「二元構造の意識場」を「一元構造」へと
変更していく「負荷」を超えてゆくしかない。
「旧システム」から「新システム」への移行期は
様々な問題が勃発したり、混乱したり、
心情的な対立が起こったり等々、あらゆる
「膿=観とめなかったわたしの要素全て」が
表面化して不具合を起こすものです。それは
「穏やかな流れ」へ向かう途中にある「激流」です。
きちんと「先導(船頭)」すれば無事に超えられる。
わたし達が「生きることを停止出来ない」ように
「流れの上」に在る以上、「流れに逆らう」事は
「不可能」です。それを成せば自滅に繋がる。
「流れたら、流れに沿ってゆく」のみです。
そういう「理」の上に、わたし達は存在している。
一元構造になっても無限なる進化は続きます。
というと、「二元構造」のコントラスト幻想が
「とてもしんどい」のでげんなりするでしょうが、
大丈夫。「一元構造の世界」はそれがない。
「投影」が解除され、あるがままの「循環」と
協働共存するからです。何も恐れず、安心して
「激流」を超える「解脱プロセス」をゆけばいい。
あなたに「手」を差し伸べる「鏡」は無限にある。
それを真っ直ぐ観据え、ただ手を伸ばすのです。
目の前にある全ては「わたし」です。その構造を
「受容する」世界を、ここから創造するのです。
先に受容しようとせず、先に肯定しようとせず、
『鏡の法則』という「理」を体現し生きること。
その「生き様」が必ず「一元構造」を創造する。
わたしという存在が未知なる無限、ゆえ道となる。
『宇宙の法則』を信じて=わたしを信じて=
「全へ還る一と成る」今この瞬間をゆけ―。
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