循環が「 律動してから 」が リスタートの本番

流れに「乗った」瞬間に止めず 今を超えてゆけ

「山を越す」という言葉があります。
峠を越えるような、窮地などの絶頂期を脱し
楽になるイメージで使われたりします。しかし、
リアル登山をした事がある方は、「一山越えて
また一山みたいな登山道」が存在することを、
体験上知っている方もいらっしゃるはず。

ハードな山道の中、ふと先を見上げると、
「あ!もう頂上だ」と思えるような場所が
やっと観えてきて、最後の力を振り絞って登り
「着いた~!」と思った途端、視界の先に、
「どうも、こんにちは僕です」みたいに、ここより
遥か高い頂点を持った山が堂々と目の前に
聳え立つ様に、「あれは、わたしにだけみえる
幻想だよね…?」と猛烈な現実否定状態に
見舞われる、あの瞬間を(わたしだけか)。

せっかく最後の力を振り絞って登ったのに、

まるで全ての努力を無に返すように、一旦
数十Mも下がり、そこから更に高い頂上へと
再び登るなんて「あほちゃう(無理という音を
関西風に変えてみる)」と云いつつ、ただただ
「一歩」を出し続けて、次の頂点へ到達すると
「でしょうね」な、「毎度こんにちは、僕です」と
新たな頂点が現れる。その頃にはもう、

「はい」という言葉しか出ない「無」状態です。

アップダウンが繰り返し続く登山道を行くと、
「もうすぐ頂上だ!」という、期待を持つ程に
「しんどくなる」事に気づき、自然と余計な
自我の出張りがどんどん削ぎ落とされます。
そして、「はい、わかりました」となる。
後どれぐらいで頂上かなど考えるだけ無駄で、
「何度でもどうぞ。わたしは頂上へ向かって
ただ歩き続けるだけですから」という境地を経て
やっと完全なる「無」へ突入するのです。

「二元構造→一元構造」への過渡期に、
やたらめったら「登山体験」が登場したのは
「一喜一憂」はもちろん、その体験を創る
「欲」を手離し、いかなる「現実の到来」をも
「受容する」事を「体験から學び気づく」為の
山行だったのだと思っています。「行」とは、ただ
「やるだけ・こなすだけ」の繰り返しになると、
苦しさだけが募り、それを処理する為御自我が
「我やっている感」と結びつけ、自我物語を彩る
つまらぬエゴの装飾のまま終わってしまいます。

「行」という「型」は、何を學ぶ体験として
創られているのか。その「型」に何を込め、
何を創造しようとしているのか。その「行」は
毎瞬進化しきちんと卒業して、新しく出逢う
未知の新しい現実の「行」へ移行しているか。
「行動」があると「やっている気」になりやすく、
勘違い行に嵌りやすいので要注意です。
「行」とは体験を通して學び、気づきへ昇華し
存在場の物質界へ巡り還すプロセスの一つ。
「行をするだけ」は自己満足の創造です。

一元構造では日常的に使える「無」ですが、
二元構造の時は、意識場の投影の影響で
ハードな道のりのように体験してしまう。

しかし実際は「ただ歩んでいるだけ」なのです。

「ある創造を決定」したら、最善最良ルートを

ただ「無」になって一歩一歩超えてゆく。

「アップダウン」に幻想を投影せず、その道が

決定に「到達」するまで「一歩」を創り続ける

それが「体験者」の役割。具現化の循環は

「一つの山を越えた先から」はじまってゆく。
 

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~★ありえないを超えてゆく★~
 
「高く跳ぶ前には、出来る限り低くかがむ
必要がある」という例えがあるように、
「課題を超える前」は、「思い切り低くかがむ」
現実が必ず到来します。そして「超えている」
最中も、「低い景色」が続きます。ジャンプ前、
「あそこだ」と狙いを定めながら、かがみながら
角度や感覚、跳ぶタイミングや、エネルギーの
溜めなどを計ったり創っている状態です。

そして「跳ぶ=超える」瞬間は一瞬です。
「よし!超えた」と思ったら、終わってしまう。
「期待を欲する」わたし達は、「超えられる兆し」
のような何かが、現実に到来して勇気づけて
くれることを望みますが、実際の現実は「線」を
持たない「今この瞬間点」の点滅ですから、
何の予兆もなく「それ=超える」が起こります。

「成長・進化」という世界は、前触れもなく
突如訪れるように感じるものです。
スポーツや勉強に取り組んでいる最中に
「昨日までずっと出来なかった何かが、急に
コツを掴んで出来るようになる」とか、
「ずっと解らなかった問題を解く方向性が、
急に視界が開いたように見える」等々を
体験した方は多くいらっしゃると思いますが
物質界は「継続中の僅かな変化」を
感じるプロセスを経にくいのです。

「前触れはない」ですが、進化を創るのは
「その具現化を決定している意識に基づき、
行動グラウンディングを継続する毎瞬」です。
その「毎瞬の継続」さえ「きちんと」創り続ける
ならば「必要分の時を経さえすれば」必ず、
「決定」は具現化されるのです。「きちんと」とは
「意識の在り方の軸をブレずに」という意です。
加えてそこに「片時も・一瞬たりとも」がつく。

「必要分の時」が、どれだけの「アップダウン」を
繰り返すかは不明です。例えば観点を、
「スピリット世」まで俯瞰してしまうと、今世も
アップダウンの登山道の最中に過ぎません。
頂上へ向かい続ける登山者のように、
「死という進化」へ絶え間なく向かい続ける
「宿命」を持つのが我々です。

その観点に立つと、「楽」になることばかりを
思考する御自我様がいかに「無駄」な時間を
費やしているかが解るはずです。何をどうしても
「アップダウン」は到来し続けるのです。なぜなら
宇宙摂理がそうしたバイオリズムの循環律を持ち、
我々スピリット達はその律の中で生きる
「宿命」と共に存在するからです。

そこに「平穏」という幻想の体験を創れるのは、
「止まっているから」です。どんな登山道でも
座り込んで動かなければ、当然「楽」です。
「じゃあ、平穏は創れないのか?」というと、
全然、普通に創れます。一元構造が創る世界は
いつも平穏です。「アップダウン」があっても
「無の振動で平穏に超えゆく楽」と共にあり、
しんどさを創る「投影」が発動しないのです。
つまり「二元構造の意識場」を解脱すればよい。

二元構造の自我の意識場は「アップダウン」
という「コントラスト」に、自我システムの通り
無意識に「投影」を創造します。「進む」限り
「コントラスト」に出逢うので「平穏」を創るには
「歩みを止める=進化を止める=停滞」を
創造するしかない。座り込んでじっとしている
「楽という名の停滞」は「退化の決定」を
創造する行動グラウンディングです。

「いつも同じことばかりしている」とか、
「この思考パターンばかりだな」等々のように
「繰り返しの自覚」が御自我様の観点でみても
「ある」ならば、無自覚ではない点については
喜ばしいことですが、御自我様でも自覚が
出来てしまう点から、症状はかなり進行している
ことが観てとれます。初期でも中期でもなく、
「我慢ならない=異変を認めざるを得ない」
という「現在地」にある事をまず認識します。

この末期的な現在地から「脱する」には、
「出来る限り低くかがむ」現実を超える、
というプロセスが必要になります。そして、
自我からは「低迷期」のように見える現実を
「無」になり「決定だけを観て超えてゆく」
意識の在り方を目指し懸命にトライしていると、
「一つ山を越えて」やっと「ある果」が到来する。
しかしそれは「決定」への通過点です。

ここで、「低迷期」の道のりを一喜一憂幻想に
振り回されながら、這うように超えてしまうと、
「もう、ここで終わろう」「これでいいじゃん」
という自我のささやきにグラッとしてしまう。
この今この瞬間が「正念場」になります。
長年ずっと放置した機械に漸く油を差した点に
在る今を手離し元に戻るか、超えて継続するか。
真なる「リスタート」はここからはじまる。

やっと重たい音をたてて僅かに回転した循環の
「律」を、「継続的に」回転させ「循環律」へ
調えるには、「しいどい、もうやめたい」と
投影を使って逃亡する御自我癖を超えて、
「一山越えて、もう一山」へ向かっていきます。
すぐに「休もう」とする楽をしたがる御自我を、
「絶え間ない無限進化の未知」へ連れ戻す
「決定」だけを真っすぐ見据える軸を立てる事。

「アップダウン」が起こる時は「正念場」です。

御自我様は「え~~」とテンションを下げますが

「アップダウン」の現実投下が起こるという事は

「動き出そうとしている兆し」でもあるのです。

これまでの「平穏=停滞」の環を、やっと

動かそうと油を差した状態ですから、この機を

逃さず間髪入れず「動かし続ける」のです。

「アップダウン」の正体は「繰り越し課題」です。

これまで座り込んでいるうちに、資産家レベルに

貯蓄された「課題の山の雨」が、パラパラと

降り始めて、天候が変化してきているのです。

「雨天決行」です。段階が進み、筋力がついて

雨天ぐらい平気になると「荒天決行」なども

訪れたりしますが、「雲一つない快晴」を目指し

嵐を超えてゆきます。いつも「逃げてきた」こと、

それは何か。じっくりと捉え「観る」ことです。

「恐れ」「想い通りへの執着」「楽したい欲」

等々、「ずっと継続的に超えなかった何か」を

「超える」絶好のチャンスを手にするのです。

未だ知らぬ「頂上」へ続く道のGATEが開いた

「今この瞬間」と共にわたし達は生きています。

それは自我システムというVR装置が見せる

「嵐のような幻影」を超えた向こうに存在する。

暴風の前に立ち竦む時、スピリットの振動は

突如躍動し「そんなものはない」と伝えてくる。

途端、どうしても行くのだという気が満ちてくる。

「そうだ。行こう、あの先へ。未だ知らぬだけで

あの向こうにも、必ず世界があるんだから」と、

一歩を踏み出す。「そこがどこであったとて、

また超えればいいだけだ。ここじゃないと思うなら

超えて、超えて、超え続ければいいだけだ」と、

ただそうして超え続け、循環の流れへ合流し

またその中で、超えて行く今を生きています。

「信じる」を具現化する「体験」を創るのです。

超え続ければ「宇宙の法則」の絶対性が

実感を伴い「わかる」瞬間が必ず到来します。

しかし超え続けなければ決してわかりません。

「先に腑に落とす」ことは出来ないのです。
 
創造主として「腑に落とす」を創ると決め、
 
それへ向かって舵をとり 立ち上がるのです。

「最大限かがむ瞬間」は無限の刻音(とき)。

「何にでも成れる」「何とでも出来る」

宇宙の全てのはじまりを持つ「今この瞬間点」で

無限という「豊かさ」を使い リスタートを目指せ―
 

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読んで下さって、本当にありがとう。
訪れて下さって、本当にありがとう。

それでは、また。

 

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