世界を「創る側」になる時 全てが腑に落ちる

自己説得ではなく 「実感」を創造する方向へ

「愛されたい」「感謝されたい」「必要とされたい」
等々のように、「~される」体験を望むことが
御自我さまは非常に多かったりします。

自我システムは二元構造ですので、例えば
「ある」「ない」のどちらか側に自分の
「現在地」をセットすれば、「~がある」体験や、
「~がない」体験を創造する事が可能です。
ここまでが、ただの「二元の振り分け」段階。
ここに「~される」という体験を付加する場合は、
「二元の振り分け」+「常に受けとる側」
という条件を付け足す必要があります。

上記の例でいくと、「愛がある・愛がない」
「感謝がある・感謝がない」「必要・不要」
という「二元の振り分け」のうちの、
「愛がない」「感謝がない」「不要」という側に、
わたしの「現在地」を置くと、設定通りに
「常に受け取ろう」としても、それが「常にない」
という「体験」を創ることが可能になります。

よって「ないものを欲する」世界が誕生する。
「ない」世界は、当たり前ですが、どれだけそれを
欲してみたところで「永遠にないまま」です。
「欲するを手にすることが不可能」な世界が
「何かを欲する体験」世界です。
「愛されたい」「感謝されたい」「必要とされたい」
という世界は「枯渇の体験場」だということ。

宇宙摂理と同様、大いなる意識体スピリットも

「自己循環」の創造が可能です。現在地を

「全てがある」へ置くことが 創造のはじまり。
 

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~★ありえないを超えてゆく★~

「枯渇」を体験したいですか?と問われて
「はい」という人は、「苦行」を好む人以外は
なかなか存在しないはずです。ところが、
二元構造の御自我様の殆んどが「ない」に
「現在地」を置いているのが現状です。

何度も御伝えしているように、全ては
「意識」が先行します。「物質界の在り様」に
惑わされては、覚醒は決して成せません。
「物質界は後からついてくる世界」です。
後からついてきた世界を、「これが全てだ」と
フォーカスすると、その世界が延々続きます。

では「ある」という現在地へ設定を変えるには
どうするのか。「創造者側」に立ち戻る事です。
「愛がない」「感謝がない」「不要」=現在地に
在るままでは、何もかもが「無い」世界です。
そう云うと、御自我様は「有る側に行きたい」と
思います。「ここじゃないどこかに行けば、全てが
有るという世界があって、わたしだけどうして、
行き遅れてるの。わたしも行きたい」みたいに。

「二元構造」という世界は、あくまでも
「自我システムの設定」であって、宇宙は一元、
「全」があるのみです。つまり「有る世界」とか
「無い世界」とか、分断されてなどいません。
「何かをすれば、有る世界へいける」という
観念そのものが、物質界に惑わされています。

「有る」世界も、「無い」世界も、創れるのが
大いなる意識体スピリット、「創造主」です。
「~されたい」と欲するという事は、ただ単に
「無い」世界をフォーカスし、「枯渇」の体験を
自らで創造して具現化しているだけのこと。

なので「有る世界を創造する」方向へと、
転換すればよいだけなのです。「転換」するとは、
意識とエネルギーの立て方や向け方のみならず、
言動スタイルも、それに沿って「根底から変える」
ということを「自らで実行」する必要があります。
「じっとしていて、勝手にそうなる」みたいな事は
奇跡が起こっても、物質界の理にはありません。

他者から「して貰う」「依りかかる」「与えられる」
等々の位置付けで「楽」を体験する限り、
「枯渇世界」から解脱する可能性はゼロです。
創造者は「真っ先に動き、真っ先に労を担う」
創造の最前線に常に立ち続ける役です。
「最も大変な部分=旧観念世界を壊す」事を
自らで「超える」ことなくして世は明けません。

「意識するだけ」「~するだけ」「わたし達は
全てを持っている、愛も感謝もあるんですよ。
だから自らの中のそれを感じて下さい」等々の、
「綺麗ごと」を並べても、何も変わりません。
ここは物質界です。物質界に反映されない事は
何一つ「具現化体験出来ない」という軸を、
いかなるメソッドに対してもブレずに持つ事です。
「もっともらしい事」は、「怠惰な幻想」を創造
しても、リアルな「救い」を創造することはない。

「全てを持っている」のは、その通りです。
「愛」も「感謝」も何もかもが在るのもその通り。
しかし、「在る」という事と、それを「体験出来る」
世界を「創造する」という事は全く別の話です。
例えば、世界で一番「お金」を持っていても、
「使い方」を知らなければ「無い」も同然です。
もっと云えば、それが「お金」であることすら
「気づいていない」ケースが殆どだったりする。

「無い」というのは、「在る」全てに対して、
「使い方」「扱い方」を「自らで學ぶこと」を
放棄した意識によって創られている世界です。
「はい、どうぞ」と、ちょうどよい塩梅になった、
わたしが欲した形状とピッタリ一致する何かを
目の前に持って来て貰って、はじめて「有る」と
認識する事しか出来ないならば、目の前に
奇跡的なそれが現れるまでの99%以上の時を
「待ち」で生きるだけの世界になります。
その「待ち」が「欲する」体験です。

「自らで學ぶ」とは、「体験する」という事です。
特別な体験をする必要はなく、目の前の日常、
ありふれた日々の全てを、流さず、目を逸らさず
体験するだけでいいのです。なぜならば、それが
「自らの意識が具現化した」世界だからです。

体感するサイン全て、この目で観て聴く全て、
外側も内側も、具現化されている世界は全部
「大いなる意識が創り出して」いる。あらゆる
「全てを豊かにもっている」という現在地に
自らが在る事を、まずは「知り・學ぶ」が先です。

体験は、意識のフォーカスが創造しています。
「喜び」もあれば、「苦しみ」もあるように、
様々に変化する体感サインを通過しながら
諸行無常の流転の中で、一つの世界が
成っていく様を、身をもって体験して
「學び・知る」と、一つの観点に拘ったり、
「こうに違いない」と決めつける事など、実に
ナンセンスで、浅はかだと解りはじめてきます。

例えば、誰しもが「して貰うこと」が多い
子供を時代を経てから自立しますが、
今度は、子供や動物や何かを育てる側に
なったり、お客様や生徒や先輩後輩等々、
多くの人と役割を交代しながら協働し
「苦楽」等々、様々な数多の体験を通して、

初めて「愛」を學んだり、やがては、その体験が
出来る事に喜びを感じて「感謝」をする等々、
自らの体験が、「全ての世界を創造する」
という事に、やがて気づくことになるのです。

「いや、わたしは何を体験しても愛を感じない」
「自分が必要とされていると思えないし、
感謝の言葉は言うけど、感謝も感じない」と、
御自我様は、3日程やっただけとか、ちょっと
長めに数か月、1年等々やってみただけで、
「実感できない」事を嘆きますが、

「無い」=「現在地」を何十年もセットしてきた
意識が「即効抜ける」ことはあり得ません。
「行きつ戻りつ」しながら「段々と」成っていく。
だから「継続」が決め手となると云っています。
「して貰うこと・与えられること・~される事」に
しがみつく強いフォーカス=「執着」は、
「少しずつ」しか解除されていきません。

「貰う」のではなく、「創る」のだと。
「ない」のではなく、全ては「ある」が、
扱い方を知らないのだという事に、
「真に気づく」体験を経ることで、二元構造の
観念は徐々に段々と 薄れ崩壊するのです。

何かが「ある」人になるには、身をもってそれを

「体験」し「実感」するプロセスを経ることです。

物質的に備えているからといって、「ある」とは

限らないのです。体験世界は、意識場が

司っているので、物質的に全てがあっても、

二元構造の現在地=「ない」に設定すれば、

「枯渇」を体験する事は可能です。だから、

「得ても得ても」欲することは可能だし、他者が

羨む状況も、当人が「これより〇〇が欲しい」と

別事を執着しているという事はありがちです。

どれだけ何があっても、「枯渇」の設定にあっては

豊かに満ち足りることはないのです。豊かさを

具現化するには、「創り出す人」になる事です。

「そうじゃない道がある」と思うことは自由ですが

それ以外の「理」の道を 摂理は持っていない。

「与える人」という言い方が好まれがちですが、

「溢れる人」即ち、「振動・波動を創り出す人」

というのが近しい音です。「与える」というのは、

実に上から目線の二元的な発想です。

波動や振動というのは、ただ在るだけで、

何を意識せずとも、共振共鳴の法則が働き

「自動的に」波紋していく性質を持ちます。

なので、「愛・感謝・必要」等々全てが「在る」

という現在地に立っていると、特別な事を

何もせずとも、全ての言動や所作振る舞いに、

「在る全て」が乗るようになるのです。つまり、

全ての創造に、その振動エネルギーが含まれる。

自らの「在る全て」を循環し、豊かに満つ振動を

「自律」と云い、そう在る様を「自立」と云う。

自らが創造し、自らが豊かに満ち足りる時、

そこには「自己循環」が存在する。スピリットは

一人一人全てが、宇宙摂理と同じように

全てを創り出し、循環させる事が出来ます。

ゆえに「創造主」と云う。大いなる意識体の

「未知」なる可能性を具現化する、

霊性進化プロセスとは、即ち「宇宙の出芽(いずめ)」

壮大な「新たなる宇宙の誕生」プロジェクト。

あなたが「宇宙になる未知」へ飛び立て―。

 

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