「水」のように 「形なき」型を使って

あらゆる凹凸と共存する 協働創造を

「わたし」という固定の形状を持つ限り、
それを鏡する「他者というわたし」の固定の
形状と出逢うたび、わたしの形状「△」と、
相手の形状「☆」の歪がぶつかり合って
衝撃を受け合うことになります。

「そうかなぁ」「そういう意見もあるでしょうね」
「感じ方は人それぞれですね」等々のように
「わたしは違いますけどね」と、衝撃を相手へ
弾き返す「未知を受け容れない」意識の
観点のままでは、新しきの創造は難しい。

「知ろう」「學ぼう」とする意識を立てて、

盲目エリアを拓き、意識場を拡大するような

「凹+凸→□」という霊性進化を先導する。
 

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~★ありえないを超えてゆく★~
 

「そういう意見もある」「感じ方はそれぞれ」
という言葉は、受容されている風に聴こえる
ところがあるかもしれませんが、様々な
意見や感じ方が「在る」ことは認めるものの
「わたしのそれとは異なりますね」という事を、
暗に明示している言葉でもあります。

「異なることを認め合う」ことが「受容」だと
捉え間違えているケースが多々ありますが、
「意識がフォーカスする事が具現化する」時、
「相手と異なること」をフォーカスしてしまうと
「△」と「☆」の圧倒的異なりが目立ち、
「仕方ない。わたしと相手は違うんだから」と
「違和感と共存し続ける」状態になります。

これが「文句」「不平不満」「物申す」等々の
日常のいざこざを創る因りとなっている。
この状態は「受容」ではなく「妥協」です。
「真なる受容」に在ると、「対立」ではなく
「循環」がベースになるので協働が叶います。

「異なること」だけを受け取っても、それは
「異なり」のままです。しかし「異なる世界」が
「どんな観点によって創り出されているのか」を
「知ろう」「學ぼう」とする意識を先導させ、
「なるほど。だからそういう見解になるのか」と、
腑に落とす「真なる理解」に到達する時、
やっと「受容」の形状へと変化するのです。

「それだったら、わたしは出来ているわ」と
御自我様は、堂々と宣うでしょうけれど、
御自我様の理解は、「そうなんだね。でも、
〇〇だった場合はどうするの?それでも
△になるの?」「そう考えることはわかるけど、
わたしは出来ないな」みたいに、

最後まで聞いても結局、「我軸判定」を
ぶっ込み、オセロみたいに全てを「わたし色」へ
返すような「わたし傾聴」が殆どで、
「これまでの話を台無しにする」着地が
大変得意だったりするのです。

「確かに。その観点からは、そう観えるなぁ」
「なるほど。思いもつかない観点だなぁ」等々
「知った」「學んだ」という点、「何の意見も」
「何の思惑も」「何の判定も」ない「ゼロ」の
位置が、「受容」を創造する「場」になります。

上記の例では、敢えて自我世界が観ている
「異なり」を表現する為に、「異なりの表記」を
「△」と「☆」で表しましたが、『鏡の法則』に
則って表記すると、「わたしと他者の異なり」は
「凸」と「凸」になります。つまり「同じ形状」。
ただし、「凸(黒)」「凸(白)」のように、
「表現している世界の色彩」が違うのです。

例えば、同じ「傲慢」を持っていても、
「凸(白)」の表現は、わかりやすく態度言動が
清々しい程「上から目線」という状態で、
「凸(黒)」の表現は、「へりくだっている風」の
言動や、「頑張ってやっている風」を装いつつ、

実際は「何一つ自分を変えようとしない」ので
これまでと全く変わらない「果」へ着地して
「わかっているのに、出来ない」を繰り返す
隠蔽型「わたし=最高位」という状態、
というように、表現の仕方が異なるのです。

しかし「創造構造の形状」は「鏡合わせ」で
「凸」「凸」という「同じ」にあるのです。
「そういう意見もある」「感じ方はそれぞれ」
という世界は、「表現や彩りを変えた」だけで
異なるどころか「同じわたし自身」なのです。

「異なり」をベースとした意識では、受容も

融合も創造することが出来ません。

わたし達は、同じ事を、全然異なる表現で

創造します。例えば「お断りする」という創造も

真正面から「ご遠慮します」と云う人もいれば

「その日は予定があって…」と濁す人もいるし

個々の「選択」や「在り方」は異なるのです。

「執着」も、「好感」で表現する人もいれば

「嫌悪」「憎悪」という角度から表現する人も

いたりと、「見た目」「表現」「振る舞い」を

超えて「本質的同一」を観る時、「そうか。

わたし達は同じなんですね」と気づくのです。

「異なるように観える」全ては、「表現」という

装飾部分でしかない事を學び知ると、やっと

「受容・融合」点が観え「理解」へ到達する。

そうすると、「そういう意見もあるでしょうね」

「感じ方は人それぞれですね」「そうかなぁ?」

という「受容風な拒絶」がなくなり、

「わかったよ」と、それ以上でも以下でもない、

「ピリオド」を打つ事が出来るようになります。

「在りたい様に表現しながら」わたし達は

霊性進化を協働創造し、共存しています。

相手が「してくれない」「気が利かない」事は、

自分も別の表現で同じ事をしているだろうし、

相手が「変わらない頑固さ」も、別の部分で

自分に当て嵌ったり、「學び」の鏡でしかない。

その「表現」という「装飾部分の形状だけ」を

観て、「わたしは絶対そんな事しない」と、

言い張り合うのが御自我様のお遊戯世界です。

その「異なり」を観る位置では、霊性進化を

進めることは不可能です。反発が出た時、

即座に『鏡の法則』に基づき、盲目を

「知ろう」「學ぼう」とする意を立てるのです。

「本質的同じ」を、「一つ腑に落とす」まで、

何日も、何か月も、何年も、追い続ける

「先導」の意識を継続的に立てることで

「気づき」の振動が高まっていきます。

更に十年、数十年と、気づきを極めようと

徹底的に観察を続けると、やがてその振動が

「叡知」の扉を開ける「鍵」となるのです。

言い方や振る舞いという「形状」に惑わされず

 

それらを超えて「意識の観点」と本質の音が

一致しているかを常に捉え、盲目を照らす

高き「気づき」へ到達する観点を目指して―。
 

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