「全」を観てから「在り方」と「音」を決める

「放つ・言う」前に 「聴く・知る」を創る

自我システムが強固になっていると、
「聴く」よりも「言う」が優先設定に
なっているものです。というと、御自我様は
「わたしは結構、人の話を最後まで聞く」と

思う事が多いですが、「ただ聞き流す」
「頭の中で次に自分が言いたいことを
考えながら聞いている」「判断や判定や
決めつけをしながら聞く」等々は、
上記の「聴く」の意には該当しません。

つまり「わたしを最後尾に下げて」、
相手の話で「100」になっている状態が
「聴く」という位置になります。
「訴えたい想い」「伝えたいこと」
「これだけは物申したい」みたいな事を
握っていると、相手の話に対して
「ちょっと待って。それは誤解」とか、
何かしらの「反応」をしてしまいます。

「反応しないポジションを開拓する」こと。

「聴く」が出来る観点での常駐を目指す。
 

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「それは、おかしいでしょう」と、咄嗟に
反応してしまいそうになる時や、
「その言い方はないのでは?」と、
相手の振る舞いに物申したくなる時、
御自我様は「何がどうおかしいか」
「何がどう不快なのか」等々、
「わたしの想い」を訴えようとします。

ともかく「わたしの想い」が最優先で、
その「正しさ」を先に出すことを譲らない。
この癖がある限りは、「自我を最後尾に

下げる」ことは勿論、「傾聴」という意の
「聴く」を創造する事は不可能です。

反応する時、御自我様はあたかも
それが「正当」かのように感じていますが
それは単なる「わたしの決めつけ」に
過ぎないのです。つまり、「わたしの観点」
「我軸」では「おかしい」「不適切だ」と
判断・判定しているだけで、宇宙摂理に
基づいて在る法則ではなく、それは単なる
ある一つの観点における見解に過ぎません。

結局、相手に対して物申す「反応」は
「御自我様 vs 御自我様」という状態で
埒が明かないやり取りになることは、
構造からも一目瞭然です。
想いを放つように言葉で向かっていっても
「vs」の構造を強化するだけです。

向かい合って突撃し合っている二つが
「融合」してリスタートの「場」を創るには
「向かってくる流れを、圧し返さずに、
下がって受け容れる」ことが必要です。
そうするには、相手からの流れを頑強に
堰き止める「自我の出張り」を外す事が
必要になりますが、これを外す技は、
「訴える・言う」ではなく「問うこと」です。

例えば、誰かに対して「何て常識外れな
事をするんだろうか」とか「普通は、
相手の事を考えてこうするもんでしょう」
等々の「反応」が出たならば、「〇が△に

なっていたけれど、どうして△にしようと
思ったんですか?」のように、相手が
「どんな観点から、どんな風な角度で
世界を観ているのか」を問うのです。

これを、「それは、おかしい」とか、
「わたしは、そうは思わない」等々のように
「自分の観点へ寄せるように訴える」
という「わたしの想いで塗り替える」ような
出張りではなく、「未知」の観点を
學ばせて頂く観点で聴くと、そうした
言動を創った世界観が入ってきます。

すると「ああ、そういう事だったんですね」と
相手の「凸」のエネルギーに対して
「凹」となるような受容の配置に着く事が
可能になるのです。その景色に行くには
「下がりきる」「受け容れ切る」
「全なるを観きる」という事が必須です。

「こうしてよ」「なんで、そうなの」みたいに
相手へ要望を抱く時も同じです。
例えば、洗濯物がたまっている時に、
自分の洗濯だけをしている姿をみて
「いや、それだったら全部やってよ。
こっちは毎日全員のをやってんのよ」と
思った時も、「下がって問う」ことです。

しかし「なんで自分のだけ洗濯したの?」
という「批判的問い」は物申すと同義。
「何か急ぎで必要な服があった?」
というように、「問い」とはフラットな観点で
創造する言の音を云います。

「うん、〇が明日必要だったから。」
「そうではないけど、自分の分だけでも
洗濯しておけば楽かなと思って」等々、
様々な解が返ってくるでしょうけれど、
御自我様はここから、「わたしの要望」へ
繋げようとコントロールしがちですが、
その「解」を普通に受けていきます。

「普通」とはベースラインの律のことで、
どの意識に合わせるかが重要になります。
「わたしの要望」がフォーカスされた音は

「それはありがとう。でも溜まってる分も

洗ってくれたら助かったんだけど」等々、
刺々しい音になりがちですが、
「自らが希求する律の音」に合わせると、

「そう、〇が必要だったんだね。そういえば
明日△がある日だったね。気づかなくて
ごめんね」「いいよ。今忙しいんでしょう?
これだけ溜まってるのみたらわかるし。
これぐらい自分でするから」「ありがとう」
という流れになったり、

「気遣ってくれてありがとう。一人分でも
洗濯してくれたら、本当に助かります」
「いやいや。これぐらいしか出来なくて
ごめん。休みだったら他の洗濯もしておく
ところなんだけど」「気持ちだけで十分。
また助けてくれると嬉しい」「OK」

みたいな流れを創ることも可能です。

「わたしは毎日やってるのに」「あなたは、
たまにしかしないし、しかも自分が必要な
時だけだよね」みたいな観点の律を
採用するならば、その体験が続きますが、
「リスタートの律」のチャネルを変えて、
「新しい体験を創る」ことも出来るのです。

「わたしの筋道」の中で、全ての物事を

決着させようとすると自我に囚われます。

御自我様が拘る「筋道」は、ほぼ100

「詰んでいる」ので「重苦しさ」しかない。

その筋道の律で奏でると、全タイムライン

「バッドエンド」になりますけど、本当に

未だ続けますか?というのを「続けます!」と

無謀チャレンジを愛するのが御自我様。

「筋道」を手離して、「律」に観点を移し、

「体験したい周波数チャネル」の律に

音の振動を変換して言葉を創るのです。

「リスタート」はどこからだって可能です。

一つの「わたしの筋道」に拘る必要など

微塵もないのですから、無限の創造性で

「新しい扉」を開く音を観つけるのです。

音を言葉に変換する技は、継続的に

「希求する律を湛える」という波動を

「体現する鍛錬」によって洗練されます。

「調律」は「意識の在り方・観点」と、

動きに込める「エネルギー」で行います。

「わたしの気持ち」ではなく、波動の律が

清々しく心地よいポイントを目指して―。

 

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