何かを掴めば その他の「可能性」を全て失う

「ベース・基軸」のない「ゼロ」の凪に立つ

観点の最も外側に「空(くう)」が存在します。
「ある一つの可能性」が具現化される時、
共通認識が可能な「有」限が表へ誕生し、
同時に「無」限は裏へ返り、一対となる。

例えば、空(くう)から「〇〇へ行く」という
「ある意識」という名の「可能性」が発露し、
「〇〇へ行く」有限世界を具現化する時、
それ以外のあらゆる「可能性」の選択肢、
「寝る・食べる・遊ぶ…」等々を発露する
「無限」の可能性は「裏」へ返ります。

つまり、「〇〇へ行く」という有限世界の
(目的やフォーカスが定まると、それ以外の
タイムラインが閉じるので有限になる)

「一つの可能性」を体験している時、
「△へ行く」とか「眠る」等々のような、
「別の可能性」の選択肢を全て失うのです。
メキシコに行く時、スペインに行けないし、
料理をする時、お風呂に入れないように。

目の前に「現実の到来」がただ「在る」時は
「二元」構造であれ、「一元」構造であれ、
意識体の「可能性への発露」=「自然な興味や

フォーカスなどの意識の動き」がなければ
「未だ何も始まっても、終わってもいない」
単なる「ゼロ」であり、凪の場です。

「凪」から僅かでも逸れる時、そこは既に

何らかの可能性を選択決定した世界です。

目の前の事象・出来事を「ゼロ」認識する時

やっと無限を「観る」ことが可能になる。
 

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~★ありえないを超えてゆく★~
 
「こうなったらいいな」「こう考えたらいいのに」
「素敵だな」「可愛いな」「綺麗だな」等々、
わたし達は「事象」と出逢った瞬間、
色々な事を感じたり思ったりします。

つまり、到来する現実=無限の可能性から
ある一つの「可能性」を無意識レベルで
選択決定しては、自らの意識場が創り出す
「コントラスト世界」の中で生きているのです。
そうした「システム的反応」は、スイッチが
ONで在る以上、止められないものです。

「自我システム」の配下にある限り、
制御する事は不可能ということ。しかし、
だからといって「自我システム」がなくなると
「わたし」という意識体を、肉体に定着して
動かす事が出来なくなります。ですので、
「自我システムの中」に「わたし」を配置せず、
「自我システムの外」へ解脱するのです。

すると、「わたし」という「個体認識」を
持ちつつも、「わたしは、こういう人である」
「わたしは、絶対〇〇しない」等々のような
「絶対的基軸」が消失して、「わたし」が
ある意識体の「現在地の名称」になります。
つまり、「今この瞬間」に応じた「現在地」に
立てるようになるということです。

「わたしは、そういう事はしないから」とか
「わたしは、そういうのは好きじゃない」等々、
「今この瞬間」に捉えた「ある可能性」を、
「わたし」に紐づけると、我が強くなります。
「世界が狭小化する」「世界を有限化する」
「他の可能性を失う」とも言い換えられます。

「わたし」がそういう事を「しない」のではなく、
「今この瞬間」場の無限の可能性の中から、
「しないという選択」=ある一つの可能性を
具現化する事を決定しただけのことです。
その決定の殆どが「欲」と呼ばれるもの。
本来「わたし」という体験者は、
「決定の再生」を生きる者ですから
全てはシステム盤に刻まれているのです。

例えば、「わたしは絶対に、綺麗な水しか
飲めない」と思っていたとしても、ジャングルで
彷徨い顕著な脱水症状で命に関わる状態の時、
そこに「水」があれば、泥水でも飲むはず。
「今この瞬間」に存在する、「生死」を含む
無限の可能性の中から、「生きる」という
「一つの可能性」を具現化する創造として。

息をとめても、苦しくなると「思わず」
息を吸うし、何かに躓いてこけそうになると、
「自然と」前に手が出るように、実は全ての
「選択決定」とは、本来システム反応として
「最善最良」の「一つの可能性」を
具現化するように出来ているのです。

「わたしが」選び決めていると思っているのは
「自我システム」が創るコントラスト世界の
「主人公わたし」を生きているからです。
そこは、「わたし」という独立した存在が、
何かを動かしていると、勘違いし続ける
幻想体験が可能な、遊技場のような世界。

実際は、季節の巡りや、天候等々が
思い通りにならないように、「わたし」という
個体を含めて、宇宙の全ては摂理の
「システムの盤上」に存在しているのです。

水が上から下へ流れ落ちていくように、

そのすべては「決まっている」のです。

無限の可能性はどんな瞬間も存在しますが

それは「選びとる為」に存在していません。

ただ「無限」だからそうあるだけなのです。

「でも、選択していますよ」と思うのは、

「わたし」という自我が、最善最良の

「一つの可能性」へ自然と動かされる前に、

「これが良い」「あれは嫌だ」等々のように

先に先に「欲」を掴みにいっているだけです。

欲を生きる体験をしてみたいならばOKですが、

「最善最良」を生く場合は、いかなる事象が

到来しても、観るままに流していきます。

「何とかしよう」という意を立てるのではなく

「ある一つの可能性」が「これです」と
 
明確に浮彫となって到来する瞬間まで
 
ただ「あらゆる無限の可能性」を観流す。
 

思考せず観流すと「システム処理」が

 

最短最速で進み、ありとあらゆる

 

「無限の可能性」から「たった一つ」の

 

「今この瞬間の最善最良」を具現化し

 

目の前に「現実」として到来するので、

 
その瞬間「成るように成す」動へと

間髪入れず即決即断で乗っていくのです。

それまでは、多くの自我がアタフタ動いて
 
「こうしないの?」「こうした方がいいよ?」と

せかしてきたとしても、「決定」された

「一つの可能性」が来るまで動かないこと。
 
人それぞれ「タイミング」は異なるのです。

来た瞬間、渾身の全力で瞬発的に動くのです。
 
動けるかな?と思うのは、体験していないから。
 
「思わず」息を吸うように、転びかけて
 
「思わず」前に手を出してしまうように、
 
そうしない選択など、どこにもないという程の
 
強い振動を持つのが「決定」という未知です。

この感覚は、体得により腑に落ちるもの。

まずは「観流す」鍛錬から。「欲」を流し。

「我」を流し。削いで削いで全てを削いで

宇宙摂理システムの影を捉えてみて―。
 

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